021.彼女と木陰でワルツを踊る
夏期休暇も残すところあと3日。今のオレの心情としては……やっぱり物悲しい気持ちと、そろそろ家臣の仕事にもどりたいという気持ちが半々ってところだ。
何故ならゲームやらなんやら娯楽の多い現代世界と違って、この中世ヨーロッパ風異世界において一人暮らしの身では段々と暇を持て余すようになってくる。
だから昼間は仕事であれこれ工夫したりしている方が、ある意味ゲーム的に楽しめるのだ。まあ、管理職になったらそうも言ってられんのだろうけど。
それはさておき、今日はソフィアと昼間に会う約束をしている。舞台初日は明日だけど大丈夫なのかな。そう言いつつも楽しみでたまらない。
待ち合わせはいつもの喫茶店の前……店先で待っていると、向こうから早足で向かってくるソフィアの姿が見えてきた。そして歩く速度は近づくにつれて速くなり、手前近くになるとほぼ駆け足となっていた。
「ふうっ。お待たせしてすみません、タツロウ」
彼女はひと息ついたあと、いつもの微笑みで優しく話しかけてくれた。昨日のことを思い出すと怖くなるが、やはりこの笑顔には癒やされる。
「そんなに大して待ってないよ。それよりも中で喉を潤してからゆっくり話そうぜ」
「ですね。では早速入りましょう」
彼女は先にドアの取っ手を握ってすぐに中へ入っていく。夏の最盛期を過ぎたとはいえまだまだ強い陽光が容赦なく降り注いでくるので、あまり肌に浴び続けたくはないのだろう。オレは取っ手を彼女から引き継いで続けて入った。
◇
「……ここのお茶はいつ飲んでも美味しいですね。落ち着いた気分になれます」
「それならこれからも通ったら……って、あと1週間しかこちらにいないんだったな」
「はい。この前も話しましたが、こうやってタツロウと一緒に過ごすのが当たり前のようになってきてから離れるのは、やはりとても寂しいです」
「オレもさ。で、このあとは何処へ移動するんだ?」
「実はここから南隣にあるアウストマルク辺境伯領の中心市内へと移動するのです。そこで再来週からファッションウイークが始まるのと、そこでも短期間の舞台公演のお仕事をいただいています」
「マジか! マグダレナがいるとこじゃん」
「そうですね。マグダレナさんにも久し振りにお会いするのが楽しみです」
ここで話題に出ている人物は誰かというと……フルネームはマグダレナ・ヴェッティンベルク。アウストマルク辺境伯の長女にして跡継ぎと目されている女性だ。というのもヴェッティンベルク家の子弟は3姉妹で嫡男がいないからである。
オレたちとは同じ神学校で1学年上の先輩であり、2人で最初に所属していた部活『錬金術研究会』ではマグダレナが部長を務めていたのだ。
そしてオレの天敵でもある。某国民的長寿アニメに例えるなら、オレが◯ツオでマグダレナがサ◯エみたいな関係と言えばわかってもらえるだろうか。
「彼女に会ったら、オレはヴィルヘルムの下で元気にやってるって言っといてくれよな」
「わかりました。そういえばマグダレナさんはこちらにはいらっしゃらないのですか? お隣ですし、それに彼女もヴィルヘルムさんも学年が1つ違うだけで同じ学校出身の仲だというのに」
「ああ、そういえばソフィアは知らないんだったな。マグダレナとヴィルヘルムは仲が悪いんだよ。すれ違いざまに会った時でもお互い顔を背けるくらいに」
「それは本当なのですか? マグダレナさんはそのような話をしませんでしたので。理由はなんなのですか?」
「本当だよ。理由は……すまない、よく知らないんだ。だから彼女の前であまりヴィルヘルムの話題を出さないほうがいい」
本当は理由を知っているのだが……あまり人に言いふらしていいことではないので、ソフィアには悪いが黙っておく。
「そうですか。私たちで仲直りのお手伝いができればいいのですが」
「たぶん時が解決してくれるんじゃないかな。今はうっかり触れないほうがいいと思うよ。それよりも、更にその後は何処へ移動する予定なのさ?」
「そこから帝国南部へと向かって行きます。端まで行けば、またこちらへ向かって北上する予定です。なのでこちらには半年くらいしたらまた訪れる予定ですね、今のところは」
「わかった、半年後にまた会えそうなら仕事に没頭して耐えられる」
「ふふっ、それは私もです。ところで、ちょっと相談がありまして。この前も話しましたが、舞台のダンスパートの件です。男装でリードして踊るのが、今だにしっくりいかなくて困っています」
「それはマズいじゃないか。じゃあ、今から踊ってみようか……って言っても何処で踊ろうか?」
「あの、ここへ来る際にいつも見かける公園でもいいですか? 木陰もあるのでその下で踊れば問題ないかと」
「オレはいいけど時間は大丈夫なのか? 稽古はどうなのさ」
「今日は休養日ですから問題ありません。夕方に集まって最後の打ち合わせがありますが、それまでに戻ればいいので」
「なら早速行こう。それで切っ掛け掴んでもらえたらいいんだけど」
◇
オレとソフィアは並んで歩いて、近くにある公園にやってきた。その間、お互いにほとんど喋らずに。話したいことはいっぱいあるはずなんだけど、なんか上手く言葉にできない。
「この辺りが良さそうです。それでは早速お願いします」
「じゃあ、久し振りに踊りますか。で、オレがリードされる側に」
「いえ、まずはいつも通りに踊りましょう。それから立場を入れ替えてアドバイスをいただければ」
「いいよ。それじゃホールドを組んで……2年振りだから忘れてちゃってる」
「そうでもないですよ? ちゃんと組めてます。身体が覚えているのでしょう」
「それなら良かった。ではいくよ」
「はい」
ソフィアの返事とともに、オレたちはどちらからともなく動き出し、伴奏も手拍子も無しにワルツを踊る。とても2年振りとは思えないくらいに息がピッタリだ。
楽しいなぁ。ずっとこうして2人で踊っていたい。だけど今日は目的があるので、キリのいいところでお互いにステップを止めた。
「やっぱりソフィアは上手いよ。オレは危うく振り回されそうになった」
「いえ、タツロウもブランクがあるとは思えないくらいキレのいいステップでした。私はとても楽しかったです」
「ありがとう。それじゃ役割を反対にして……」
「はい。こ、こんな感じですか?」
「うーん。何ていうか、やっぱりリードするよりも自分が踊りたいっていう気持ちが強いと思うな。オレはリードされているというよりソフィアに付いていくって感じだった」
「難しいですね……。こう、パートナーを引っ張るようにすればいいのでは?」
「いや、そうではなくて周りの状況を確認しながら、相手の動きをよく見て余裕をもって誘導するっていうか」
オレたちはいつの間にかダンスの練習に夢中となっていた。そうしているうちにソフィアも上手くパートナーをリードできるようになって、最後にその成果を確かめるべくワルツをワンフレーズ踊り切ったのだ。
「……気持ちよく踊り切ることができました」
「オレもだよ。とても良いリードだったと思う」
「これもタツロウのおかげです」
「いやいや、ソフィアが頑張ったから」
オレたちはどちらからともなく見つめ合い、そして……。
パチ、パチ、パチッ!
「ブラボー! いい踊り見せてもらった!」
「なんだか、本当に舞踏会で踊ってるみたいだったよ!」
「最後の見つめ合いまでロマンチックな雰囲気がたまらない!」
なんと、知らぬ間に通りがかりの人たちが周りに集まっていて、拍手と声援までもらった。
もちろん嬉しいのだが、もう少しというところを見られたオレたちは、2人して顔が赤く染まって上手く応えることができなかった。
そうしてようやく人だかりが無くなってから、帰りの途に着けたのだ。
「今日は本当にありがとうございました。これで自信を持って舞台に臨めそうです」
「ソフィアの助けになったのならそれでいいよ。それにオレも楽しかった」
「あの、この劇場が明日からの舞台公演の場所です。必ず見に来てくださいね」
「まあ、そこそこの大きさの劇場だな。短期間の公演だから市民ホールでというわけにはいかないか」
「私の実力ではまだそこまでは。でもこういう劇場で演じるとお客様との距離が近くて反応がわかって、私はそれが結構好きです」
「なるほどね。それじゃあ、休暇はあと2日だから……」
「2日間、午前と午後どちらの公演も見に来てくれるのですよね?」
「えっと……」
オレの顔を見つめるソフィアの表情は一見するといつもの微笑みであるが……その背後には有無を言わせない雰囲気を感じ取った。
それでも普段なら1回だけと断っていたかもしれないが……あの件でまだ申し訳ないという気持ちが残っていたオレには拒むことなどできはしなかった。
「ああ、もちろんさ。4回ともバッチリ見るよ」
「本当ですか!? 私、とっても嬉しいです。4回とも全力で演技しますから楽しみにしていてくださいね。それでは、今日はここで」
「ああ、それじゃ明日、客席で」
満面の笑みで劇場に入っていったソフィアを、オレも笑顔で見送った。しかし頭の中はおカネのことで一杯であった。
「仕方がない。なけなしのヘソクリを全て使い切るか」
オレは独りで呟きながらアパートへと歩いて帰っていく。




