002.おもてなし
落ち着きを取り戻したソフィアをリビングへと招き、オレは夕食の準備に取り掛かった。
「本当に、手伝わなくて良いのですか? ゲストだからと遠慮する必要は無いのですよ?」
「大丈夫。だって2年近く自炊してるんだぜ? 簡単なメニューなら十分に作れるよ」
「……わかりました。それで今日は何を作るのですか?」
「それはできてからのお楽しみ。でもひとり暮らしで簡単に作れるものなんて大体想像つくと思うけど」
「それはそうですが、ここから見ている限りでは下処理もきちんとしている様子。これは本当に楽しみです」
「ありがとう。って喋ってる間にほとんどできてきたよ」
「それではテーブルに並べる準備を手伝いますね」
オレとソフィアは完成した順に料理をテーブルへと運んでいく。
夕食を始める準備は整った……オレたちはそれぞれ向かい合わせのソファに座ってお互いのグラスにボトルの中の液体を注いだ。
「じゃあ白ワインでカンパーイ! っとその前に」
「ふふっ。これですね?」
「察しが良くて助かる。それじゃこのペンダントを合わせようぜ。一緒に『合体〜!』って叫びながら」
「……それ、私も叫ぶのですか?」
「もちろん。悪いがこれだけは譲れない」
「……わかりました。では」
「行くぞ! 合体〜!」
「が、がった〜い……」
見事にペンダントのハートが一つになった!
これをどれだけ待ち望んだことか。
そしてオレは左手薬指の指輪を外して、これも合体させようと目論んだのだが。
「あれ、指輪はどうしたんだよ。忘れてきたのか?」
「……いえ、実は持って来ているのですが。その、貴方に見せていいものかと」
「なんで?」
「……だって、指輪の内側には皇帝家の家紋が。そして、貴方の家と領地は……」
実は、ウチの皇帝家、もう跡形もなく消えちゃったんだよね。
選帝侯の一人ボトルスキー家のハインリッヒと、それに呼応した同じく選帝侯のヴァンデリア侯爵を主なメンバーとして起こされたクーデターによって。
まあ、ウチは元から吹けば飛ぶような状態だったけど。
このあたりの顛末は、また機会があればということで。
「なんだ、そんなことを気にしてたのか」
「そんなことって……領地と領民は気にならないのですか?」
「仕方がないよ、領地を守れる力が無かったんだから。それにオヤジが早々に降伏したから、領民の犠牲は最小限で済んでいる。1人も死者が出ないのがベストだとはわかってるけど」
「……貴方は思っていたよりも皇帝家へのこだわりは無かったのですね」
「オレは今、ヴィルヘルムの家臣として毎日忙しいから。自分でも驚くほど冷静に受け止めている」
「家名は再興しないのですか?」
「今は何も決めていない。オレは皇帝の跡継ぎという、ヴィルヘルムにとって手駒とする価値を失った。だから家臣を辞任したいと申し出たが許されなかった。ここで見捨てるつもりならあの時助けなかったって」
「……学校時代のあの件ですね。なるほど、状況はわかりました」
「オレのこと幻滅した? 自分の領地も守れない奴だって」
「いえ、貴方だけでどうにかなる状況では無かったのは理解しています。それに、実を言えば少しホッとしたのです。これで貴方が陰謀などに巻き込まれずに済むと」
「ありがとう。ソフィアと今日話せて良かった」
「ふふっ。それで指輪はどうします?」
「それはオレ自身からソフィアに贈ったつもりだから、嫌でなければ持ち続けてほしい」
「それでは、早速左手薬指にはめさせてもらいますね」
「いいよ……ってしれっと合体の合言葉を回避したな?」
「……だって、恥ずかしいので」
「まあいいや。少し時間食ったけど改めてカンパーイ!」
「乾杯です。それにしてもこの冷製パスタ、白ワインが合って美味しそうです。具は……プチトマトに酢漬けニシンでしょうか」
「うん。こっちもそうだけど帝国北方の海に面した領地はニシンが定番の食材だから」
「私も公国で生活していた時は良く食べていました。懐かしい……お気遣いありがとうございます」
「どういたしまして。それ以外にもツマミを用意しているから遠慮なくどうぞ」
「枝豆のクリームチーズ和えに、カマンベールチーズの生ハム巻き……他にも白ワインに合うものが揃っていて、楽しみ過ぎます」
「今日は絶対にソフィアより先に酔い潰れないからな」
「それは、どうでしょうね。ふふっ」
オレたちは2年間会えなかったのを埋め合わせるが如く、いろんなことを話した。
オレがいなくなった後の学校のこと、仲間たちの進路、そしてこれからのこと。
そうして夜が更けてきて、そろそろソフィアを宿舎のホテルに送らないと……と思い始めたところで記憶は途絶えた。
◇
チュン、チュン!
小鳥の囀り……もう朝か。
ふぁ〜、よく寝た。
……ヤバい!
ソフィアを送っていく前に寝ちまった!
どうやらソファで寝落ちしたのか。
タオルケットが身体に掛けてある。
まさか一人で帰ったのか?
夜間は治安が良くない場所もある。
無事に帰れたのならいいのだが。
「目が覚めたのですね。おはようございます、タツロウ」
「ソフィア! どうしてここに」
「もう夜が更けていたので、勝手に泊まらせてもらいました」
「……どこで寝たんだ?」
「貴方のベッドを拝借しました」
あ、危なかった〜!
昨日、念の為にとベッドの周りも掃除してシーツを交換しておいて良かった。
あっ、念の為といっても別にそういうのを期待してたわけじゃねーから。
「どうかしましたか?」
「いやなんでもない。ぐっすり眠れたのか?」
「はい。きれいに掃除してありましたし、シーツも交換済みで気持ちよかったです。また機会があればあのベッドで眠りたいのですが」
それってどういう意味で……いやいや、単純に快適に眠れたからまた使いたいだけだろう。
「まあ、それは別に構わないけど。それよりいいのか? 人気モデルが男の部屋に朝までなんて」
ソフィアは神学校卒業後、モデル業をメインとして活動し、副業として舞台女優もこなしている。
学校時代は演劇部の看板女優だった彼女が何故そういう道を歩んでいるのか……。
それは先程説明したクーデターの件で北の強国ノルマーク王国が動いたことが関係している。
正確には、ハインリッヒがヴィルヘルムの背後を牽制して動けないようにするために、ノルマーク王国を利用したわけだが。
ソフィアの正体は帝国最北でノルマーク王国と接するフリシュタイン公国当主。
今は故あって下級貴族として活動しているが、いずれは公国に戻らねばならない。
そして不測の事態が起きたらすぐに戻れるようにと、拘束期間の長い舞台の仕事は受けづらいのだ。
余談が長くなったが、ソフィアは戸惑いもなく質問に答えた。
「……私がアイドルだったら不味いでしょうけど、あくまでモデルですから。それにマネージャーには知り合いの家に泊まるかもと言っておいたので問題ありません」
「すまない、ホテルへ送る約束を破ってしまった」
「さっきも言いましたが大丈夫です。それよりも朝食ができていますよ。一緒に食べましょう」
「そこまでやってもらうとは面目ない」
「もう、そんなに自分を責めないでください。あっ、私こそ勝手に食材を使ってしまいましたが、いいですか?」
「もちろん問題ない。というかありがとう」
ソフィアがテーブルまで持ってきた皿には美味しそうなサンドイッチが乗っていた。
具材は昨日の残りを活用してくれたようだ。
こんなに気を使ってくれる彼女は、本当にオレにはもったいないくらいだ。
「貴方は、今日もお休みなのですか?」
「うん。ヴィルヘルムが夏期休暇を取っていいよって言ってくれたからまだしばらく」
「それなら、明日のファッションショーにぜひ来てください。席は確保しておきますので」
「もちろん喜んで。どこでやるんだ?」
「ブランケンブルク市内で一番大きいイベントホールです。そこで15時開始です」
「ああ、あそこか。わかった、必ず行くよ」
「貴方が見に来てくれたら、私はとても心強いです」
朝食をともにしたあと、ソフィアは打ち合わせがあるからと一人で帰っていった。
オレは明日の再会を楽しみにしつつ、結局2度寝してしまった。