019.厚かましいお願い
「早速あたしのところに来てくれるなんて……めっちゃ嬉しいよ」
「……そうですか」
オレは今、ヒルデが宿泊しているホテルのスイートルームにいる。
夕方にソフィアと喫茶店で会って、楽しく喋って、それから思わぬ形で彼女は帰ってしまって……そのあとしばらくオレは放心状態で街をウロウロしていた。
そうしているうちに気がつくとこのホテルの真ん前に来ていたんだけど。
どうしたものかと逡巡すること数分……いや30分くらいだったか。オレは意を決してヒルデの部屋を訪ねることにしたのだ。
高級ホテルなのでちょっと気後れしていたが、フロントで名乗りつつ訪問先はヒルデと伝えると、しばらくしてからスタッフの人が丁寧に案内してくれて、チップを渡した後にドアをノックしてから開けて……それがここまでの経緯である。
ヒルデはガウンを羽織ってソファにゆったりと座りながら、嬉しいのを隠しきれないって表情でオレに尋ねた。
「ということは、もうあの子とは……ソフィアとは関係を終わらせて、あたしを選んでくれたって、そういうことだよね!?」
「……すみません、そういうわけじゃないです」
「どういうことなのさ。意味わかんないんだけど?」
「オレが今日ここに来たのは、ヒルデさんにお願いがあるからです」
「なんだ、おねだりってわけか。思ったよりちゃっかりしてるねタツロウくんは。いいよ言ってごらん、あたしがあげられるモノなら叶えてあげる」
「……ソフィアに本当のことを言ってほしいです」
「えっ? 何よそれ。あたしが? あの子に?」
「はい。ヒルデさんがあの時……喫茶店のすぐ外で出会った時に喋ったことでソフィアに色々と誤解されてしまいました。だからキチンと本当のことを彼女に説明してください」
「……あたしは本当のことしか言ってないよ。ソフィアが誤解したって、それはあの子が勝手にそう思っただけじゃん。なんであたしが」
「でも、あのタイミングであんな話し方したら、誰でも誤解する……というか、わざとですよね? ソフィアに誤解させるように」
「……だとしても、あたしがソフィアにそんなことをしてやる義理なんて無いね。彼氏を信じきれないなんて、それこそ彼女としてどうなのよ? そう思わないのタツロウくんは?」
「今回は、彼女に誤解させることをやらかしたオレに一番の責任があると思います。だから彼女のことを責めるつもりはないです。ただ誤解は解きたいと」
「……なんかさあ、あたしショックなんだけど。ここまでの流れで、あたしに靡かなかったオトコなんてこれまでいなかったのに。その上、彼女と関係を修復する手伝いをしろとか、もうワケわかんない」
「すみません、全てはオレの失態です。ヒルデさんに奢ってもらえるからって前後不覚になるまで酒飲んで、結局自分で隙作っちゃって。だからヒルデさんにも申し訳ないです」
「申し訳ないって言いながら、ずいぶんと厚かましいお願いするんだねキミは」
「だから、せめて償いはしたいです。この前奢ってもらった分、そして介抱してもらった分、おカネで返したいです。オレの有り金全部はたいても……足りなければ毎月の給料から払います。あと、もらったこの腕時計も……」
「やめてよね! 前から言ってるだろ、お姉さんに恥をかかせるなって。キミに奢ったのも、介抱してあげたのも、その腕時計も……年下の坊やにあげたものを突き返される方が屈辱だから!」
「じゃあ、どうしたら」
「それじゃあ、これからキミは下僕となってあたしの言うこと何でも聞いてよ。それで満足したらお願いを聞いてあげてもいいよ」
「わかりました。早速何でも言いつけてください」
「じゃあ、そこの箱持ってきて」
箱……ああ、ソファの目の前にあるテーブルの上に置いてある小さいやつか。自分で取ったほうが早そうだが、ここは素直に従おう。
「はい、喜んで」
「うんうん、素直でよろしい」
それじゃあすぐに……って、これタバコのケースじゃないか。モデルさんなのにいいのか?
いや、そういえば元の世界でもスーパーモデルの人が喫煙者だってテレビで言ってたような。まあストレスが溜まる仕事なんだろう。
「はい、どうぞ」
「……うーん、素直すぎるっていうか。ふつう、ケース持ってきたら中にあるものを口に咥えないかな?」
「あっ! すみません、ではこれをどうぞ」
「うんうん。それじゃあ……」
「これっすね、当然」
「そうそう、マッチで火をつけないとねー。ふーっ。ということはタツロウくんの魔力は火属性じゃないんだね」
「はい、風です。だからサッとマッチの炎を消せます」
「あっ、手をサッとかざしただけで消えちゃった。でも普通は逆に燃え広がるんじゃないの?」
「応用で炎の周りの空気を吸い出したんですよ。酸素が無いと消えますから」
「なるほどねー、思ったよりやるじゃん。ますますキミが欲しくなったなー」
「……次のご要望をどうぞ」
「乗ってこなかったか。じゃあ、一服吸い終わったらマッサージしてよ。ふーっ」
それからヒルデは美味しそうに煙というかヤニというか、それらを摂取して気分を落ち着けていた。オレは前世も含めて喫煙したことないので何がそんなに良いのやらよくわからんが、他人の嗜好をとやかく言うつもりはない。
「ふーっ。それじゃあ背中から足先までマッサージよろしく」
ヒルデはそう言うなり、キングサイズのベッドに俯いてゴロンと寝転んだ。ガウンの隙間から見える長くて細い脚にちょっとドギマギするが、できるだけ見ないようにして背中に両手を置く。
「こ、こんな感じでどうっすか?」
「うん。まあまあ気持ちいいよ、そのまま続けて。ところでさあ、タツロウくんって、あの子の……ソフィアの何処が良いわけ?」
「えっと。いきなり言われると、なんて答えていいやら」
「やっぱり、あのお人形さんみたいな綺麗で可愛らしい見た目かな? でもあたしだってオトナの魅力で負けてないつもりなんだけどな」
「まあ、外見に惹かれた面もないとは言いませんが。でも学校で出会った当初はそんなに仲良くなかったです」
「へえー。タツロウくんからアタックしたんじゃないの?」
「いえ。同じ部活に入って、それから色々と事件とかイベントとか、そういうのを一緒に乗り越えていくうちに、気がついたら彼女のことが気になっていたというか。彼女の方はどうだったのか知りませんが」
「そうなんだー。でもあたしが見た感じ、ソフィアって結構面倒くさい性格してそうだけど、それでもいいの?」
「そういう一面も無くはないですが、でも今ではそういうのも可愛いって思っちゃうんですよ」
「はあ。なんか簡単に割り込めそうにない関係だねー、キミたちって。それより脚もちゃんと揉んでね」
うっ……できれば話しながらやり過ごしたかったのだが仕方がない。時々艶めかしく動くヒルデの脚元を、心頭滅却しながらなんとか揉み終えてホッとした瞬間だった。
「ねえ。次は、キスしてよ。もちろん唇に」
ヒルデはいきなり上半身を起こしてオレの顔を両手で掴み、次の指示というか命令を出してきた。
「え、そ、それはちょっと」
「何でも言うこと聞くって言ったじゃん。それともあれはウソだったの?」
「し、しかしですね」
「……従わないなら、あたしからいくよ?」
「それもダメですよ。だって約束と違います」
「……何が違うのさ?」
「だって、ヒルデさんの言ってることは指示じゃなくてセクハラです。だから従う必要はないし、このまま黙って受け入れるつもりもありません」
「そう来たか。まあ、反論できないし仕方がない。じゃあ、あたしの足にキス……いや舐めてちょうだい」
「えっ……」
「これは下僕としての服従の証を要求してるんだから不当なハラスメントじゃないよ? さあ、早く」
「……わかりました」
抵抗感はもちろんあるのだが、外で靴を舐めろと言われるよりは余程良心的だ。オレはそう思ってヒルデが浮かせた右足の甲に舌を近づける。
「ストーップ!」
ヒルデは、舐める寸前だったオレの舌先から足を払いのけると大声で指示を中止した。
「あー、もうっ! わかったよ、あたしの負け。やだよ、足を舐めさせるなんてくすぐったいというかさすがにちょっと気持ち悪いからさ」
「そ、それじゃあ」
「ああ。あの子に……ソフィアにちゃんと事情を話してあげるよ、偽りなく」
「あ、ありがとうございます。でも何で急に」
「……あたしさ、キミがさすがに泣きついてくると思ったのよね、さっきの指示は。だけどソフィアのためにそこまでやるんだって思ったら、なんか急に自分が情けなく思えちゃって」
「いえ、オレは自分の失態を償いたいだけなので」
「……やっぱりいいじゃん。絶対諦めないから」
「えっ?」
「なんでもないよ。それじゃあソフィアと会う場所をセッティングしてちょうだい。必ず行くから」
「はい、喜んで!」
オレはその後もしばらく彼女の下僕としてできる限り尽くし、それからまた連絡することを約束してホテルを去った。
しかし、ソフィアとはどう連絡をつけたらいいのか……とにかく手を考えるしかない。