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018.天国から地獄

「今日はどこか様子がおかしいと、会ったときからそう思っていたのですが。どういうことですか。私がわかるように説明してください、タツロウ」


 陽がかなり傾いて少し暗くなってきた街中で、オレはソフィアから厳しく詰め寄られてしまった。


 語感としては落ち着いているように聞こえるが、その端々に強く込められた憤りを感じるイントネーションで。


 何より、微笑みを崩さないようにしているが目元も口元も僅かに引きつっているのがオレにはわかる。


 そして追い打ちとばかりにヒルデが誤解を招くことを言いながら立ち去っていく。


「それじゃあね、タツロウくん。またあたしの部屋で一緒に楽しいひと時を過ごそうよ。お互い生まれたままの姿で」


 それを聞いたソフィアの顔から引きつりが消えた。しかし微笑んだまま無感情という怒りの最終形態となってしまい、その状態での彼女の力強い踏み込みに、オレは恐怖した。


「さあ、早く話してください」


 いきなり大ピンチ!


 というか、もちろんここに至ったまでの経過はあるのだが。


 今日の夕方も、昨日と同じ喫茶店でオレとソフィアはお茶を啜りながらのお喋りをついさっきまで楽しんでいたというのに……。



「ふあ〜あ。って悪い、思いっきりあくびしちまった」


「私は気にしませんが、できれば手で口を覆った方がいいと思います。昨日の夜はよく眠れなかたのですか?」


 昨日飲んだ酒がまだ抜けきっておらず、おまけにグッスリとは眠れなかったので正直言ってダルい。でもまさか昨夜の飲み会のあとヒルデに『お持ち帰り』されてしまったとは言えないしなぁ。


「そうだな、そろそろ休暇が終わっちまうなあって思うとなんだか寝つきが悪くてさ」


「その気持ちは分からなくもないです。そして、こうやって毎日のように会うことはできなくなるのですね」


「あー、それを言われると余計に物悲しくなってきたよ。せっかく2年ぶりに会ったというのに、楽しい時間はあっという間に終わっちまうな」


「……でも、永遠に会えないわけではありません。ブランケンブルク市内でのファッションウイークは年に数回ありますし、これまで通り手紙で近況を伝えることもできます」


「そういや次の仕事は決まってるのか?」


「はい、あちらこちらのファッションショーや短期間の舞台のお仕事を間断なくいただいています。お陰様で」


 改めて聞くと、人気モデルとしての彼女の一面を感じる。そんな人が自分の彼女というのは自慢すべきことなんだろうけど、なんか自分の手の届かないところに行ってしまうのではと一抹の不安を覚えてしまう。


 そんなことを考えていると、ソフィアは向かい合った席から身を乗り出して顔を近づけ、子どもをあやすよう優しく呟いた。


「私は何処に行こうとも、必ず貴方の元へ戻ってきます。だから安心してください」


「……何か顔に出てたのか」


「見れば貴方の心の動きがわかるのです。あっ、ちょっと言い過ぎですね。だいたいわかります」


「参ったな」


 オレは困惑気味に頭を掻いて俯きながら別のことで胸を撫で下ろしていた。


 昨日の夜から未明に起きたことは顔に出てないと……つまり勘付かれていない、ということだ。


 それならこのままやり過ごせばいい。実際、ヒルデとは何もなく並んで寝ていただけなのだし余計なことを言っても誰も得をしない。


 安心したところでカップをグイッと傾けてお茶を飲もうとしたら、舌の噛み傷にしみて思わず叫んでしまった。


「痛ってえええっ!」


「ど、どうしたのですか? お茶に何か入っていたとか」


 これも正直に言うわけにはいかない。とにかくごまかさねば。


「いや違う。昨日晩飯食ってた時にうっかり舌を噛んじゃって、そこにしみちゃって」


「もう、気をつけてくださいね。食事はちゃんととれていますか?」


「うん、なんとか大丈夫。それよりも稽古は順調にいってるの?」


 この話題は長引かせたくない。ここは無理矢理でも話題を切り替えていこう。


 ソフィアは座り直していつもの微笑みで話し続ける。


「はい、今日も稽古で色々あったのです。聞いてください」


「うん。それで何があったのさ?」


 ソフィアは舞台稽古が終わったばかりなので、甘い物でエネルギー補給しつつそこで起きた出来事を立て板に水のごとく話していく。


 基本的にオレはもっぱら聞く方の役割だ。まあ、今日は喋るのが面倒なので実はこの方が都合が良かったりする。


 彼女の話の内容は、大半は喋るだけでストレス解消になるといった具合のことばかりだ。


 しかし彼女が得意とするダンスパートで思うようにいかないのか、ちょっと苛立った様子なので丁寧に聞くことにした。


「私の役は、男装して追放された領地に戻ってから、叔父の娘と踊る場面があるのです。それで男側、つまりリードする側になって踊るのがうまくリードしきれないというか、彼女がついてきてくれなくて」


「そりゃあ、ソフィアの腕前なら大半の相手はついていくのがやっとだって。相手のペースに合わせるしかないよ」


「うーん。だけど、もう少し上達しようという気持ちでやっていただければと思うのです。現状だと私がリードしても空回りというか余分な動きをしているようにしか」


「まあまあ、落ち着いて。それならソフィアが相手をその気にさせるようなリードをすればいいじゃないか」


「……貴方は簡単そうにすらっと言いますけど、それが一番難しくて苦労するのですよ。その場面だけ貴方に代わってほしいくらいです」


「冗談かと思ってたけど本気かよ!? それは無理だから、現状でどうにかするしかねーって」


「そういえば貴方はアンジェを上手くリードしていましたが、コツはあるのですか?」


「いや、相手の動きや息遣いを丁寧に拾い上げてその場で試行錯誤していくだけだよ。そうしているうちに呼吸が合ってくる」


「……言葉だけではいまいちわかりにくいです。そうだ、これから私の宿舎のロビーでちょっと踊ってみるというのはどうでしょう?」


「えっ? 行っていいの?」


「はい、それぐらいは問題ないかと。ついでにマネージャーさんに貴方を紹介しますね」


 久し振りにソフィアと踊れる……!


 おまけにマネージャーさんと顔合わせできるなんて……もうちょっといい服着てくるんだった。


 そんな感じで浮かれたまま、外の様子を気にせずに喫茶店を出たのが運の尽きだった。


「あれ? タツロウくんじゃない。昨日の夜は楽しかったね、飲んで騒いで。それから……朝まで一緒に過ごしてさ」


 偶然に通りがかった……にしては出来過ぎな気もするが、ヒルデに声をかけられ、ソフィアの表情は一気に引きつったのだった。



「あ、あれはだな。昨日の夜、ソフィアと別れたあと、ヒルデに飲み会に行こうって誘われてさ。それで、ついつい飲みすぎちゃって」


「……で?」


「そ、それでその……酔い潰れちゃって。ヒルデに介抱されて……その」


「……彼女が宿泊しているホテルの部屋へと、一緒に行ったのですね」


「行ったというか、気がついたらそこにいて」


「……部屋の何処に? 私の目を見て、正直に答えてください」


「あ、あの。ベッドの中、に……」


 この時点でソフィアの身体から禍々しいオーラのようなものが湧き上がるのを感じ、オレは睨まれて動けなくなったかのように固まってしまった。


「……もう、帰ります」


「ま、待ってくれ。彼女とは朝まで横に並んで寝ていただけなんだ」


「……お互い全裸で、ですか?」


「確かにそうだけど、本当に何もなかったんだ。信じてくれ」


 オレに背を向けて歩き出したソフィアの肩に手を乗せようとしたのだが軽く振り払われ、これ以上ない拒絶の言葉を浴びせられた。


「触らないでっ! ……ついてこないで、ください」


 オレは、どうしたらいいかもわからずに、ソフィアが去っていくのを茫然と見送るしかなかった……天国から地獄とは、まさにこのことだ。

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