014.彼氏としての務め
「それじゃあな、オヤジ。また来るわ!」
「……」
ソフィアとギーゼラ、それとモデルの人たちとのグループで行った海水浴の翌々日。
オレは、自分の父親……つまり帝国の前皇帝が密かに住んでいる、ヴィルヘルム所有の建物を訪問していた。
海水浴場で買ったお土産を渡すついでに様子を見に行ったのである。
選帝侯ハインリッヒたちのクーデターというか陰謀というか、それで心身ともに深い傷を負ったオヤジは、相変わらず塞ぎ込んで人を寄せ付けない状態だった。
現代世界であればうつ病とかって診断されて適切な治療が受けられるんだろうけど。
この中世ヨーロッパ風異世界には心療内科などというものは存在しないので、オレもどうすればいいのかわからないのだ。
こんな状態で追われる身であるオヤジを、利用価値もないのに匿ってくれるヴィルヘルムには感謝してもしきれない。
オレにできることは、家臣としてヴィルヘルムに尽くして恩を返すことだけだ。
最近のオレは、自分が皇帝家に返り咲こうなどとはもう考えなくなった。
むしろヴィルヘルムを皇帝にしてやりてえ、とまで思うようになっている。
ただ、ヴィルヘルム……というかオーエンツォレオン家には壮大な計画があるらしく、ヴィルヘルムは自分の代で皇帝になることは考えていないらしいけど。
壮大な計画とは、オーエンツォレオン家が帝国を完全支配して、選帝侯などに選ばれるのではなく文字通り帝国を統べる皇帝に即位するというものだ。
確かに、これは現在の帝国では難しく、できるとしても何代も先まで計画して勢力を拡大していく他ない。
まあ、それならそれでオレはその計画に貢献して、家臣としてできる限り上まで成り上がるまでさ。
そうして、少しでもソフィアと釣り合うようになってから一緒になりたいんだ。
おっと、つまんねえ一人語りの前置きが長くなって悪かったな。
オレはオヤジと別れたあと、特に用もなく街をブラブラと歩いていた。
今日の晩飯どうしようかな……海水浴でだいぶ生活費を使っちゃったし、給料日までは節約しないとな。
夕方はソフィアと喫茶店で待ち合わせてお茶を飲む約束してるし、いっそのこと1食くらい抜いても……と考えていた矢先のことだった。
「タツロウく〜ん! お〜い!」
誰だオレを呼ぶのは。
聞いたことのある女性の声……って、あの人は!
「ヒルデさんじゃないですか。お久しぶりです」
「久しぶりって、2日前に一緒に遊んでたじゃん」
「そうなんですけど、他にいい挨拶の仕方が思い浮かばなくて」
「ふふふ、まあ別に構わないよ。それよりさ、今日の夜なんだけど、ヒマ?」
「えっと……」
「先約があるの?」
口ごもるオレに、ヒルデは顔を近づけながら確認を取ろうとする。
さすがトップモデルだけあって、ソフィアに負けず劣らずの綺麗な顔をしている彼女が近づいてくるだけで少しドキドキしてしまう。
それに、微かに香る香水が、またオトナの雰囲気を感じさせてクラクラしそうに……。
おっと、オレにはソフィアがいるのだ。
こんなことで惑わされてどうする、しっかりしろオレ!
「夜っていうか、夕方にソフィアと喫茶店で会う約束してて」
「ふうん。それならあたしたちの宴会には参加できそうだね」
「宴会、ですか?」
「そう。あたしの知り合い中心に集まって宴会やろうってなってるの。タツロウくんは、お酒はイケる方?」
「まあ、人並み程度には」
「ならおいでよ、面白い連中が集まるし楽しいよ?」
「いやでも、カネの余裕がないし。それにソフィアとそのまま夕食に出かけるかもだし」
「あっそ。でもおカネなら心配しなくていいよ。タツロウくんの分はお姉さんが奢ってあげる」
「そ、そんな甘えられないですよ。この前腕時計もらったばかりなのに」
「この前も言っただろ、お姉さんに恥をかかせるなって。それにソフィアは確か舞台稽古があるって言ってたから疲れてるだろうし、ゆっくり休ませてあげたら?」
「うーん」
「まあ、無理にとは言わないけどさ。気が向いたらココにおいでよ、待ってるから」
ヒルデから宴会をやる飲み屋の場所を示す手書きの地図を渡されて、オレたちは別れた。
どうしようかな。
まあ、ソフィアと会ってから考えても遅くないか。
オレはいったんアパートの部屋に戻って昼寝してから、夕方にもう一度街へと歩いていった。
◇
「あっ。タツロウ、来てくれましたね」
「ゴメン、ソフィア。待たせちゃって」
「いえ、私、気がはやって早めに来て待っていただけですから。気にしないでください」
オレとソフィアは待ち合わせた喫茶店の入り口の前で軽く会話をしたあと、一緒に店の中へと入った。
「それじゃあ、お茶を2つ。ソフィアは何か食べる?」
「そうですね、稽古の後なので、エネルギー補給に甘いものが欲しいです。ショートケーキを……タツロウは?」
「オレはお茶だけでいいよ」
「ではフルーツのショートケーキ1つ、お願いします」
「かしこまりました」
店員がテーブルから離れてから、お冷を一口飲んでひと息つく。
夕方と言っても夏の陽はまだそこそこ高く、暑さも収まってはいないので、歩いてくるだけでも体力を消耗するのだ。
「そういえば、今回の舞台公演ってどんな話なのさ? ソフィアはどんな役をやるの?」
「えーと。ではまず、簡単なあらすじですが。とある公爵家にて弟が兄を追放して乗っ取り、兄の娘も一緒に追放されたのです」
「もしかしてその娘が主役でソフィアがやるの?」
「はい。ありがたいことに主役をいただきました」
「で、どうなるの?」
「娘は男装して密かに舞い戻ったのですが、そこで弟の娘に気持ちを寄せられてしまうのです」
「今回も男装役なんだね」
「『も』というほどやっていませんよ、男装役」
ソフィアは珍しく口を尖らせて不満を言った。
彼女は女子としては背が高く凛とした雰囲気なので男装の麗人役がよく似合うのだが、本人はあまり好みではないらしい。
「ゴメン、そういうつもりじゃ。学校時代に見た男装の麗人役が印象に残っていただけだよ」
「……わかりました。で、それから紆余曲折を経て弟は改心し兄に領地を返還して……娘は元々思いを寄せていた男性と添い遂げて、めでたし、めでたしとなるのです」
「途中を端折りすぎだろ」
「だって、あまり話すとネタバレに……それに、私がこういう説明が苦手なことを貴方は知っているクセに」
「悪かったよ。それにしても今日はちょっと怒りっぽくないか?」
「稽古が終わって間がないので気が立っているのかもしれません。エネルギー補給したら収まるのではと」
「なるほどね。あっ、丁度来たよ」
「お待たせしました。ショートケーキ1つと、お茶を2つです」
「では失礼して早速……ふふっ、美味しいです!」
ソフィアはこれまた珍しくフォークを高回転で口に運んでパクパクと食べ始めた。
稽古でエネルギーを使ってよほどお腹が空いていたのだろう。
オレはお茶をゆっくり啜りながらその様子を眺めていたのだが。
「……あの、女子が食事をしているところをジッと見続けるのはどうかと思うのです」
「ああ、ちょっとボーッとしてた。気が付かなくてすまん」
なんか今日はギクシャクしてしまうな。
まあ、付き合いが長くなればこういう日もあるだろう、いちいち気にはしない。
「ふう、ご馳走様でした。それで稽古なのですが、短期間で仕上げないといけないのに、なかなか共演の皆さんと息が合わなくて。自分の演技の未熟さが腹立たしいのです」
「まあまあ、ソフィアはちょっと完璧主義なとこがあるから。本番までに間に合えば……極端に言えば公演が終わるまでに完全になればいいくらいに思ったほうがいいよ」
「そうなのですが、特にダンスパートがちょっと。いっそのこと、貴方がそこだけ相手役と代わってもらえると助かるのですが」
「いや、さすがにそれはマズイだろ。そんなアンジェリカみたいな愚痴言ってないでさ、前向きに行こうよ」
「それは、わかっているのですけど」
こんな調子で稽古の大変さを彼女に吐き出してもらい、オレは基本的に聞き役に徹した。
まあ、時々ツッコミ入れたけど。
その甲斐あってか、話が終わる頃には彼女の表情が晴れてきて、明日からの稽古に前向きな感じになってきた。
「今日はすみませんでした。ずっと私の愚痴に付き合わせてしまって」
「気にしないでいいよ。まあ、これも彼氏としての務めということで」
「本当にすみません。それでは私は宿舎に帰りますね」
「ちょい待ち。このあと晩御飯は一緒にどう?」
「すみません、ちょっと疲れてまして」
「わかったよ。じゃあまた明日もここで」
「はい、明日もいっぱいお話を聞いて下さいね」
うーん、お話じゃなくて愚痴だろうけど、それはまあいい。
でもオレも、ずっと聞いてたらさすがにストレスが溜まってしまった。
どうしようかと思っていた宴会への出席だけど……ちょっと行こうかな。
タダで食べさせてもらえるし、アルコールで少し気分を晴らしたい。
オレはヒルデから渡された地図を片手に飲み屋に向かったのだった。