013.賞品は腕時計
「こ、これはっ! セイ=カークス製の腕時計じゃないか!」
オレと男子モデルたち、それと女子からはヒルデとギーゼラが参加して、それぞれが持ち寄った賞品をかけて水泳でレースをすることになった。
まあ、賞品といっても殆どがお菓子か果物なのだが……1つだけ場違いとも言える高級腕時計が混じっていたのだ。
現代世界では◯レックス製の腕時計に相当するものだと言えばイメージが湧いてくるだろう。
「こ、こんなの誰が」
「あー、それは俺っすよアニキ。もう飽きちゃって、そろそろ次の最新モデル買おうと思ってたんで」
オレをアニキと呼んで、尚且つセイ=カークス製の腕時計を提供したのは、男子モデルのリーダー格であるディートマーだ。
「いや飽きたって、これかなりの高級品だぞ? そんなのを惜しげもなく。オレの手に渡るかもしれんのに?」
「いや、そいつはセイ=カークス製のヤツの中でも安い方のモデルなんで。それにアニキの腕に着けてもらえるなら本望っす」
安い方ったって数十万はするはずだけど……。
ディートマーは男子モデルでは帝国内で指折りのトップモデルらしいし、そこまで上がれたらやっぱり儲かる仕事なんだろうな。
「まあ、それならいいけど」
「でも俺も、そんな簡単に負けるつもりはないんで。勝負っすよアニキ!」
「おうよ、望むところだっ!」
「ちょっと、アンタらだけで勝手に盛り上がってんじゃねえ! ウチもその賞品狙ってるんだから本気でいくよ?」
「おう、ギーゼラもか。でもこの腕時計は男物だぞ?」
「実はさ、ヤニクの誕生日が近づいてるんだ。それで、彼へのプレゼントにって……。男はみんな、その腕時計なら喜んでくれるって聞いてるし」
ヤニクとは、オレの学校時代の友人で遊び仲間であり、ギーゼラの彼氏なのだ。
「そうか、確かにヤニクなら喜ぶだろうな。ノアとかだと興味無さそうだけど」
ノアも同じく学校時代の友人で、実家が豪農からの成り上がり貴族というのもあってか、外見も中身も素朴で人当たりのいい男子である。
かくいうオレも、学校時代はセイ=カークス製に限らず、高級腕時計なんて興味なかった。
それどころか、時刻が正確にわかればいいだけのモノに大金払って喜ぶなんてバカじゃねーの? とまで思っていたのだ。
しかしそれは学校時代という狭い範囲の世界での認識でしかなかった。
ヴィルヘルムの家臣として働き出すと、オレとロベルト以外の家臣はみんな様々なブランドの高級腕時計をしているのだ。
ヴィルヘルムに至っては常にセイ=カークス製の最高級品を左腕に着けていて、しかも数種類の物を日替わりで身につけている。
そういう環境に身を置いているうちに、これがオトナの男のお洒落なのかと何となく理解できるようになってきたのだ。
それを正確に言葉で表すのは今のオレには難しいのだが……そういうわけで、オレもタダで手に入れられるのなら狙わずにはいられないっ!
「ねえ、タツロウくん。あたしが勝ったら、その腕時計をキミにあげるよ」
腕時計をじっと見ていたオレに声をかけたのは女子モデルたちのリーダー格であるヒルデだ。
彼女も帝国内ではトップクラスのモデルらしいが、普段は気さくで親しみやすいお姉さんという感じだ。
「いやそんな、悪いですよ」
「昨日、あたしが置き引き犯に顔を殴られそうになったところを助けてくれたじゃん。そのお礼だよ」
「いや、その前にヒルデさんがソフィアを庇ってくれたんだし」
「まあまあ、お姉さんに恥をかかせるもんじゃないよ。といっても勝ったらの話だけどね」
「……わかりました。でもオレは自力で手に入れたいんで」
「……いいじゃん、ますます気に入った」
「えっ?」
「なんでもないよ。それじゃあお互いに頑張ろう!」
ヒルデは軽く手を振ってから離れていった。
それと入れ替わるようにソフィアが目の前まで近づいて、いつもの微笑みで話しかけてくる。
「頑張ってくださいね、タツロウ。応援してます」
「ありがとう、ソフィアの応援があればオレは百人力だぜ!」
「任せてください、ふふっ」
ソフィアが見守ってくれている中、いよいよレース開始だ。
◇
オレたちは砂浜で海に背を向ける形でうつ伏せに寝そべって、スタートの合図を待っている。
そしてオレたちの頭の先に一本だけ棒っ切れが砂浜に刺さっている。
それは昨日のスイカ割りで使用した棒っ切れで、ゴールを示す目印であり、この棒を手にした者が勝者となるルールだ。
「よおーい……スタート!」
合図とともに一斉に海の方へと身体を向けながら立ち上がり、ダッシュの体勢に入る。
オレはスムーズに立ち上がって走り出し、海へと先頭切って爆走だ!
「うおおおおおおおおっ!」
目の前に餌……じゃなかった、目標がある時のオレは強いのだよ、うわっはっはっ!
そして海に一番乗りして、そこからはクロールで一気に沖へと進んでいく。
沖にある海水浴場の範囲を示すブイが次の目標で、そこにタッチしてから折り返すのだ。
「うらあああっ! 一番手でタッチだあ!」
オレはクロールで右手を前に出すタイミングでブイにタッチ!
「ふふふ、あたしと同時だね」
なんと、いつの間にか追いついてきていたヒルデの手が伸びてきて、全く同じタイミングでブイにタッチしたのだ。
そして彼女は水中でクルッと体勢を反転させると、蹴る壁があるわけでもないのにロケットのような勢いで折り返しスタートを切った。
ヤバい、このままじゃ引き離される!
「うおおおおおおっ! 負けるかあああっ!!」
オレは腕に精一杯の力を込めて水をかくが、何故か差が縮まるどころかジリジリと離されていく。
「タツロウー! 力が入り過ぎです! もっと流れるように腕を水中に入れるのです!」
ソフィアからの声援が聞こえた!
なるほど、焦るあまりに無駄な動きが大きかったのか。
オレは力を半分くらい抜いて、スッスッと前に伸びていくような感覚で腕を前に伸ばし、力を入れるのを我慢して泳いでいく。
すると、差は縮まらないが離されることもなくなった。
この調子でいけば、砂浜に上がってから逆転を狙える。
そして、ヒルデが先に上がって、少し遅れてオレも駆け出す。
「うおおおおおおっ!! 悪いが捲らせてもらうぜっ!!」
「やるじゃん! でもあたし、足も速いよ!」
ほぼ拮抗した状態で、2人で棒っ切れを取りに行く。
「タツロウー! もう少しです、腕を伸ばして!」
ソフィアの声援に従って腕を伸ばして取りに行く。
しかしヒルデもその長くしなやかな腕を伸ばす。
さあ、最後の勝負!
おりゃああああああっ!!
バシィッ!!
「取ったー! あたしが取ったぞー!」
「チクショー! あとほんの少しだったのに!」
先に棒っ切れに指が掛かりかけたのはオレの方だった。
しかしヒルデの手がグーンと伸びてきて、ぱっと攫われるように取られてしまった!
ああ〜、残念すぎる。
「すまないソフィア。せっかく応援してくれたのに手ぶらで」
「いえ、タツロウが頑張っている姿が見れて良かったです。ふふっ」
「それにしても泳いでた時のアドバイスが的確だったけど、昨日まで初心者だったソフィアがどうして」
「あの……実は、ヒルデさんの泳ぎ方を見て、それを貴方にそのまま伝えただけなのです」
そういうことか。
ヒルデは力任せではなく、キレイで無駄のないフォームで泳いでいたってわけだな。
彼女が今回自信を持っていた理由が分かった気がする。
「アニキー! アニキもヒルデも速すぎて完敗でした!」
「いや、ディートマーさんも3位じゃん。気にすることないって。それよりもまたこーゆーのやろうぜ」
「もちろんっす! また一緒に競わせてください!」
おっとしまった。
今回だけの付き合いって思ってたのに、また会うことを約束してしまった。
まっ、いいか。
楽しかったし。
「それじゃあタツロウくん。約束通り、コレあげるよ」
いきなり横からヒルデが現れて、オレの左腕に腕時計をつけ始めた。
それはいいけど、彼女は必要以上に密着してきて、その大きな胸がオレの腕に何となく当たったり触れたり……そっちのほうが気になって仕方がない。
「よしっ! サイズもほぼピッタリだし、タツロウくんに良く似合うよ、それ」
「あ、ありがとうございます、ははは」
オレはハッと我に返ってなんとかお礼を返すことができた。
それにしても何だったんだろうな。
スキンシップにしてはちょっと密着し過ぎな気がするし。
でもヒルデは他人ともそういう距離感で触れ合うのが普通なのかもしれん……そうだ、そうに違いない。
勝手に納得して話を終わらせようとしたオレの少し後ろから、今度はソフィアがヒルデに話しかける。
「あの、ヒルデさん。腕時計をいただいて、ありがとうございました」
「……あたしはタツロウくんにあげたんだけど? どうしてソフィアからお礼を言われたのか、わからないよ」
「……あの、その、タツロウの彼女として、というか」
「ふうん。彼女として、ねえ。でもそれって女房気取りっていうんじゃない?」
「いえ、そういうつもりは」
「別にいいけどさ。若い男の子って、そういうの嫌がるんじゃない? なんか、自分を縛り付けようとしているみたいに思えてさ」
「……いえ、タツロウと私は、そういうのを既に超えた信頼関係で結ばれていますから。ねえ?」
「え? あ、うん」
「へ〜、面白いじゃん。でも今の反応見たら、それもソフィアの思い込みじゃないの?」
「いえいえ、タツロウは表現が不器用なだけなのです。ねえ、タツロウ?」
「そ、そうだな。オレとソフィアは固い絆で結ばれているのさ、ヒルデさん」
「あっそう。でも人の心なんて移ろいやすいからねえ」
なんか変な雰囲気だな。
もしかしてこの2人、あまり仲が良くないのか。
まあ見るからに水と油の関係っぽいし、ここは話題をそらして引き離そう。
「あ〜、頑張ったから喉が渇いた! ソフィア、喫茶店に行って何か飲もうぜ」
「……そうですね。それではヒルデさん、失礼しますね」
「じゃあね、タツロウくん。あたし、明日からしばらくブランケンブルク市内に滞在する予定だから。街であったら声かけてね」
ヒルデが最後になんか言ってたけど、適当に相槌打って話を終わらせた。
ふう、これで一安心。
オレとソフィアは美味しいグレープジュースを飲んでお喋りを楽しんだ。
◇
オレたちは昼までそれぞれ波打ち際で水遊びを楽しんだあと、喫茶店で一緒に昼食を取り、いよいよ解散の時間となった。
といっても大半は結局同じ船に乗って川を遡り、ブランケンブルク市内に引き上げるみたいだけど。
オレは海水浴場の出口でみんなと別れることにした。
「じゃあみんな! 2日間だけだったけど楽しかったよ! また機会があったらオレも呼んでくれよな!」
「それはいいけどさ、アンタはソフィアと一緒に帰るんじゃないの?」
「いやオレはここから走って帰るから、ギーゼラ。あっ、結局ヤニクへのプレゼントをオレが取っちゃってゴメンな」
「腕時計のことは気にしないで……っていうか走って帰るだと? ここから市内まで7、80キロは距離があんだけど?」
「だって船賃勿体ないし。それに昨日も夜明け頃に家を出て走ってきたんだぜ? そういうわけで、それじゃあな。ソフィア、また連絡するから」
「……わかりました。それでは、行ってらっしゃい」
オレは早速駆け出した。
昼間で暑いので、できる限り日陰を通るようにする。
まあ、夕食時よりちょっと遅く家に着くだろうけど、ゆっくりと走るか。
◇
「とんでもない奴になっちゃってるね、タツロウの奴。ソフィアは引き留めなくてよかったの?」
「タツロウはずっとベタベタしてると飽きてしまいますから。これで丁度いいのです」
「はいはい、またまたご馳走さん」
「おいっ、男子モデルども! 俺たちもアニキに続くぞっ!」
「ま、マジっすかディートマーさん!? 無茶苦茶っすよ!」
「やかましいっ! アニキを一人で行かせて俺たちだけラクできるかってんだ! 四の五の言わずに俺に続け!」
「ひええ〜!」
「……ウチらは船で帰ろうね」
「そうですね。では船着き場に参りましょう、ギーゼラ」