012.略奪者
「おはよう〜、ソフィア、それにタツロウ! でっ……朝まで二人でイロイロと楽しんだんだよね〜?」
オレとソフィアは朝食を摂るために部屋の外へ出たのだが、ギーゼラがそこに待ち構えていた。
そして挨拶もそこそこに、ソフィアの肩に腕を回して何やら内緒話をしようとしている。
だがギーゼラ、お前は声が大きいから、内緒のつもりがオレの耳にも内容がダダ漏れだ。
でもあえて聞こえないフリをして、ソフィアの返答を聞くために最大限の集中力を耳に集める。
「……え〜と、ですね」
彼女の言葉に思わず唾を飲み込んでしまいそうになるほど気が張っている。
まさか、お茶を濁さずに真実をそのまま言ってしまうつもりなのか?
「恐らくギーゼラが期待していることは何も……」
「えっ……じゃあ朝まで何やってたのさ? ダブルベッドで一緒に寝なかったの!?」
「確かにベッドには一緒に入りましたが、中でお互いに向き合って、手を繋いで……あとは、いっぱいお話をして、いつの間にか眠りにつきました」
「かぁ〜っ! ウチがせっかくお膳立てしたというのに」
「……すみません、ギーゼラ。私には覚悟が足りませんでした。タツロウは、そんな私に優しく寄り添って合わせてくれたのです。ふふっ」
「いいよ謝らなくて。まあ、ソフィアらしいっちゃらしい話だよ。それはともかく、朝っぱらから惚気るのは控えてよね〜」
「だって、誰かに聞いてほしくて」
「はいはい、朝食前だけどごちそうさま〜!」
ううむ。
ソフィアも女子の友だち同士だと、結構あけすけにキワドいこと話してるんだなー。
これは聞かなかったことにして胸の中にしまっておいたほうが良さそうだ。
◇
ふう〜、食った食った。
この宿で出される朝食は、安い宿代を反映してか、パン1つと目玉焼きにハム、サラダ、それにスープが付いてるだけのシンプルなものだ。
でもパンは柔らかく、あとも食材が良いものばかりで期待以上に美味しかった。
このあとは少し休憩して、午前中は砂浜で目一杯遊ぶ予定だ。
というか昼にはもう引き上げるので、遊べるのはそれだけなのだ。
モデルさんたちと若手ファッションデザイナーさんたちで構成されているウチのグループは、みんな他にも予定があって忙しいだろうし、集まってここに来れただけでも十分だと思う。
ソフィアも来週から始まる短期間の舞台公演に女優として出演するので、休む間もなく稽古開始だ。
「アニキー! 今日は俺らと一緒に泳ぎましょうよ! 何か賞品を出し合ってレースとかどうっすか?」
「おっ、いいじゃん! でも先に言っとくがオレは速いぜ?」
オレをアニキと呼ぶのは年上でモデルのディートマーだ。
昨日の置き引き事件で彼らが止められなかった犯人をオレが捕らえたので、向こうが勝手にそう呼んで慕ってくるのだ。
面倒くさいが、断るのも面倒なので彼らのノリに付き合うことにした。
どうせ今回だけの付き合いだろうし。
「面白そうじゃん。あたしも混ぜてよ、泳ぎは得意なんだ」
女子のモデルたちのリーダー格であるヒルデが突然話に加わってきた。
まあ野郎ばっかりなのもむさ苦しいので、更にギーゼラも加わってのイベントとなったのはオレ的には歓迎だ。
というわけでオレたちは一旦それぞれの部屋に戻り、荷物を整理して帰り支度を整えたあと、宿のロビーで待ち合わせることになった。
◇
一旦の解散後、タツロウとともに部屋に戻るソフィア以外の女子のモデルたちは、集まっておしゃべりに興じている。
「ヒルデさあ。男子たちと一緒に泳ぐって、まさかタツロウくんが目当てなの?」
「ん? ああ、そうだよ」
「そうだよって……昨日言ってたことは本気だったんだ。でも彼には既に彼女が、ソフィアがいるじゃない」
「ああ〜、また始まっちゃったよ〜。ヒルデの『他人の彼氏が欲しくなる病』が!」
「ちょっと! 人聞きの悪いこと言わないでくれる? あたしが気になった男に先に彼女がいた。それがたまたま続いているだけさ」
「でも相手は期待の新人モデルちゃんなんだし、手加減してあげなよ〜?」
「それとこれとは別。あくまで彼氏彼女の関係なら恋愛は自由なんだし、彼氏を繋ぎ止められない方が悪いんじゃないの?」
「……だからモデル仲間には彼氏ができたって言いたくないんだよねえ」
「なんか言った?」
「いーや別に。今回はすぐ飽きてポイ捨てしないようにしなさいよねー!」
「そんなの実際に付き合ってみないとわかんないでしょーが。何でアンタにそんなことを」
「まあまあ。それよりそろそろ支度しないとチェックアウトの時間が迫ってるよ!」
◇
オレたちは順調にチェックアウトの手続きを済ませ、砂浜へと繰り出す。
水着に着替えてパラソルを設置し、準備万端でいよいよ泳ぐぞ!
「ところでソフィアは一緒に泳がないのか……って無理なんだったな」
「はい。貴方もご存じの通りで、今回はこれしか水着を用意していないので」
どういうことかというと。
昨日の夕方のことだった。
日がだいぶ傾いてから、オレとソフィアは波打ち際でキャッキャウフフと遊んでいた。
「そういやソフィアって泳ぐのは得意なんだっけ? 故郷のフリシュタイン公国にも海水浴場は何箇所かあるはずだよね」
「いえ、残念ながらあまり得意ではありません。なぜなら、貴方もご存じの通り、私は公爵家の館からあまり出られずに育ちましたから」
現在は弱小公国であるフリシュタイン公国は、かつては帝国北部を支配した強大な公国だった。
だけどそれ故に権力争いが激しく、当主や跡継ぎの暗殺がしばしば起きたのだ。
そんな歴史を引きずって、公国の当主の家族は幼少期を館の中だけで過ごし、成長後は館の外へ出る時や外部の人間と会う時はもちろん、館の中でも家族や重臣以外の前では変装するのが伝統というか常となっている。
ちなみにこの話はオレを含めて関係者だけが知る秘密だ。
現在のソフィアは普段どうなのかというと……彼女は表向きは認めないが、たぶん素顔なのではと思っている。
「ごめん。うっかり忘れてた」
「気にしないでください。それでは、私に泳ぎ方を教えてほしいです」
「喜んで」
それからすぐに足が着く浅瀬で彼女の手を引きながらバタ足と平泳ぎの足……カエル足でいいのかな? 正式名称は知らんが、それらを練習し始めた。
すると何でもそつなくこなし飲み込みが速い彼女はみるみるうちに上達し、ゆっくりであれば平泳ぎができるまでになった。
胸の下あたりまでの水深でしばらく泳いだあと、ソフィアは立ち上がって感謝をしてくれた。
「タツロウ! 貴方のお陰で泳ぐ楽しさを知ることができました。ありがとうございます」
「はははっ、どういたし……まして」
オレはギョッとした。
だって、彼女の水着のトップスが、胸の部分が突然ブカブカになって、危うく大事な部分が見えかけていた。
そして彼女の周りに何かプカプカと浮いていて……ひょっとして胸のパッド?
オレの視線に気づいた彼女は自分の胸元を見て……。
「きゃあああああああああああああああっ!!」
大きな悲鳴とともに胸を両腕で隠し、海水の中にしゃがんで首まで浸かった。
下から見上げるその視線はオレに向こうを向いてと暗に主張していた。
「えっ? あ、どうしよう」
しかしオレは突然の事態にどうしようかと慌てて何もできなかった。
そこへ急遽駆けつけてきたギーゼラが叫んだ。
「こんなトコで何見てやがんだ! このスケベ野郎があっ!」
そして右のグーパンがオレの左頬を捉えたのだ。
「ブヘアァーッ!?」
オレは数メートルふっとばされ、ドボンと海中に沈んだ。
ちょ、待てよ!
オレがいったい何したって言うんだ!
しかしオレのことは意に介されず、ソフィアは女子たちに囲まれて更衣室へと去っていった。
結局これで昨日の海水浴はお開きになったのである……。
しかしソフィアが胸を盛って、おまけに寄せて上げてまでやっていたとは思わなかった。
オレの中では、彼女は『そういうこと』は気にしない人だと認識していた。
なのにどうして……。
直接彼女に聞こうか、いやさすがに聞きにくい。
もうこの話題は止めておこう。
「……どうしたのですか? 難しい顔をして」
ソフィアがオレの顔を覗き込んできた。
それはいいが、その表情が可愛くて顔が赤くなりそうなのを誤魔化すために、海を見ながら返答する。
「いやなんでもないよ。それじゃあ今日はオレが泳ぐのを応援よろしくな」
「……わかりました。私の分まで頑張って賞品ゲットしてくださいね。ふふっ」
うーん、賞品目当てと言われるとちょっとアレだが……でもソフィアに頼まれた以上は頑張るのみ。
「おうよ、任せとけって」
「タツロウくんは自信満々だねえ。でもあたしも速いよ? だからソフィア、悪いけどあたしが全部いただいちゃうから」
横からヒルデが宣戦布告してきた。
なんか雰囲気的にめっちゃ手強そうだ。
でもオレもソフィアの前で無様な姿を晒すわけにはいかない。
賞品はオレがいただきだぜ!