011.ダブルベッドで朝まで
「うわっ……なんて格好してるんだ、早く何か着ろよ!」
オレはソフィアのバスタオル姿を見て、思わず強い声を出してしまった。
彼女はオレがソファでウトウトしている間にシャワーを浴びて、たった今出てきたところなのだ。
彼女は少しムスッとした表情で、そのまま話を続ける。
「……そう言われましても、私はシャワーを浴びたばかりで、身体はもちろん、髪は濡れたままです。そんなすぐには着替えられません」
「いや、そうなんだけど」
「……それに、昼間に身に付けていた水着の方が、このバスタオルよりも布面積は遥かに小さいのですよ? それを見ておいて、今の姿に慌てるのは納得しかねます」
うん、ソフィアの言う事の方が理屈としては正しい。
それはわかったうえで、それでも……。
2人きりの部屋の中でシャワーを浴びた直後の濡れた肌を包むのがバスタオル1枚、そしてそこはかとなく漂う石鹸の匂いというのは。
男にとっては想像以上に破壊力があるのだよ。
真っすぐ彼女を見続けたら自分を抑えられなくなりそうなくらいに……!
まだ戸惑い続けるオレを待ち切れないのか、ソフィアは次の行動について提案してきた。
「……先程も言いましたが、貴方もシャワーを浴びては如何でしょうか? その間に私は髪を乾かしたいと思います」
「そ、そうだな、そうしよう。それじゃあ悪いけど、そこを明け渡してもらえるかな?」
「えっ……あっ、そうですね。失礼いたしました」
シャワー室に通じる扉の前に陣取っていた彼女は、言われてそれに気づいたらしくハッとした表情で横にサッと避けた。
それからバスタオルが落ちないように、上部を外巻きにして脇を締めながらそそくさとベッドの方に向かっていく。
オレはドキドキしているのを悟られないように落ち着いて……ってオレが思ってるだけかもしれんが。
とにかくシャワー室へ入って脱いだ服を適当な場所に重ね置きし、少しゆっくり目にシャワーを浴びる。
といってもあまりのんびりできないのだが。
現代日本と違って、シャワーのお湯は建物のボイラー室で沸かしたのが各部屋に給水されるので、必要以上に使うとヌルくなって最後には出なくなるのだ。
それはともかくオレのシャワーシーンなど誰得なので、このあとは割愛する。
◇
ふう、とりあえずサッパリした。
洗面所に置いてあるバスタオルで身体を拭いて、それを腰に巻きつけてから、いよいよ扉を開ける。
ソフィアは髪を乾かし終えて寝巻きに着替えているのだろうか。
少なくとも部屋に置いてあるバスローブくらいは着ているはずだ。
オレもさっさとバスローブを身につけて、完全に身体が乾いたらTシャツと短パンを着ることにしよう。
さあ、扉を開けるぞ!
ガラッと横に開いたその先に見えたのは。
ソファに座って文庫本サイズの本を読んでいる、バスローブ姿のソフィアだった。
ホッとした……ほんの少しだけ期待していた展開とは違うが、それでいいんだ。
オレはベッドの上に置かれているバスローブを羽織るべく、ソフィアの前を通過する。
「あっ。もう終わったのですね、タツロウ」
「ああ。すぐにバスローブを着るから、それまでは見苦しい格好ですまない」
「……別に、見苦しくなんて、ないですよ?」
「そうか、でもオレの方がなんか恥ずかしいからさ」
本を読みながらチラチラとこちらに視線を向けるソフィアと会話しながら、素早くバスローブを羽織って前を重ね合わせてから、おもむろにバスタオルを外す。
これで安心、ベッドに座って会話を楽しむとしよう。
「何の本を読んでるんだ? 面白いやつなのか?」
「はい、結構面白いです。ジャンルは推理物というかミステリーというか。主人公の探偵とヒロインの掛け合いが面白くて」
「へぇ〜。どんな奴なんだよ、主人公とヒロインって」
「え〜とですね。まず主人公は男性で……普段はぶっきらぼうで、ちょっと怠惰というか。やらなくてもいいことは省こうとするし、なんだか貴方にちょっと似ています」
「ええ〜、そんなことないと思うけど。家臣の仕事をいつも頑張ってんだぜ? あっ、学校時代はちょっと適当だったかも」
「ふふっ、そういうことにしときますね」
「なんか引っかかるけどいいや。で、ヒロインは?」
「ヒロインの女性は……お嬢様というか、良家の子女で口調や人当たりは丁寧なのですが、主人公には好奇心をぶつけて振り回しています。でもそれがなんだか可愛いというか」
「ふ〜ん。なんだかソフィアに似ている気がする」
「……私は、お嬢様ではありませんし、貴方をそんなに振り回していないです」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
「もう! 仕返しですね!」
「あはは、ごめんごめん。そういや、ソフィアって読書家だったっけ? 学校では時々読んでるのは見かけたけど」
「いえ、私が読書家なんて言ったら本当に本好きな方に怒られます。モデルの仕事は移動や待機の時間が多いので、暇つぶしに丁度いいのです」
「そうか。まあ読書してなかったオレがどうこういう話じゃないけど」
「……ところで、貴方は何故ベッドに座っているのですか? ソファに座ったら如何です?」
「いや、オレはここが座り心地良いんだよ、ハハハ」
本当は違う。
今、ソフィアの隣に座ったら、自分を制御する自信が無いのだ。
バスローブ姿の彼女は、隙間から見える胸元や脚がとても眩しくて仕方がない。
その上近くで体温を感じたら……。
「……わかりました。では、私がそちらに参ります」
ソフィアはそう言うと読みかけの文庫本をソファに置いて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そしてオレの隣に腰掛けて、ジッとオレの顔を見ている。
「ど、どうしたんだよ。オレの顔になんか付いてるのか?」
「……貴方こそ、どうして私に触れようとしないのですか?」
そ、それは質問に質問を……って言ってる余裕はない。
それに、彼女にこれだけ迫られて抗える男なんていないだろっ!
「……いいんだな?」
「……はい」
「言っておくが、始めたら……オレはもう、自分を止められないぞ?」
「……わかっています」
オレはソフィアの背中から腰に手を回し、彼女の身体を引き寄せた。
そしてオレの顔を見つめている彼女の目を見て……顔を近づけて口づけを交わした。
彼女の息遣いを感じるまで続けたあと、ゆっくりと唇を離して目を見つめ直す。
「ソフィア……!」
堪らなくなったオレは、彼女の名を呼びながら思わず両腕で抱き寄せた。
「んっ……タツロウ」
彼女もオレの名を呼んで、両腕を背中に回して優しく抱きしめてきた。
お互いに顔は肩越しで表情は見えないが、身体の温もりが高まって呼吸が乱れ始めたのがわかる。
どちらからともなく抱き合ったままベッドの上に倒れ込み、オレは彼女の背中をギュッ! と強く抱きしめた。
そして彼女も……オレはここで彼女の耳元に囁き、もう一度確認した。
「なあソフィア。本当に、このまま続けていいのか?」
「……ええ、もちろん」
「だけどオレには、ソフィアは覚悟を決めて切れていないと思えるんだけど」
「……どうして、そう思うのですか?」
「1つ目は、ソフィアがバスタオル姿でオレの前に現れた時。それからオレがシャワー室へ入るのに入れ替わった際、バスタオルが落ちないように締め直した。覚悟していたのならそこまでガードするのは違和感がある」
「……他にもあるのですか?」
「2つ目は、たった今。オレがソフィアをギュッ! と強く抱きしめても、ソフィアの手は完全には力が入らず、ギュッ! とまではいかなかった」
「……それだけで見抜かれてしまったんですね、参りました。確かに私は、覚悟を決めきれていなかったです」
「じゃあ何で誘うような真似を」
「……貴方を他の女性に奪われたくないからです」
「なんだよそりゃ。オレはソフィア以外の女性に心が奪われることはない」
「貴方は知らないだけなのです、自分が女性から魅力的に見えていることを。今日だって、置き引き事件のあと、モデルの女子たちがタツロウに視線を集めていたのを見てしまいました」
「いや、それだけでそこまで思わないだろ」
「特にヒルデさんが『タツロウくんって、結構いい男だよね』って話しているのを聞いて、心配になってきて。だって彼女は綺麗でスタイルも抜群で、おまけに大人の色っぽさというか。私には無いものを持っています」
「確かにヒルデは美人のお姉さんって感じだけど、彼女からしたら坊やのオレなんて真剣に相手にしないよ」
「それならいいのですが、彼女に迫られたら貴方が堪えきれないのではと」
「大丈夫! オレはソフィア以外の女性に靡いたりしない」
オレはさっきよりも強く、ギュ〜ッ! と彼女を抱きしめた。
最初は少し驚いていたようだけど、オレの強い気持ちが伝わったのか、安心した表情を見せてオレの胸板に顔を埋めて、しばらく抱き合って過ごした。
その後お互いに寝巻きに着替えて就寝の準備を始めた。
「見てくださいタツロウ。この寝巻き、可愛いと思いませんか?」
ベッドの上に座っているソフィアが両腕を横に広げて、寝巻き姿をよく見てほしいと要求した。
彼女が着ているのは、薄いピンク色でシンプルなデザインだが、上着の襟と裾にフリルがついている可愛らしいデザインの寝巻きだ。
半袖短パンなので肘と膝から先は見えているが、不思議とバスローブ姿のようには惹きつけられない健康的な色気である。
「もちろん可愛いよ。というかソフィアが着れば何でも似合うけど」
「ふふっ、ありがとうございます。奮発して買った甲斐がありました」
ソフィアの機嫌が完全に良くなって、これでオレも安心して寝られる。
「それじゃあソフィア、おやすみ。オレはソファで横になって寝るよ」
「ダメです! そんな小さなソファで横になっても身体は休まりませんよ? こちらへ来てください!」
ソファに向かいかけたオレをソフィアは強く引き止めて、座っているダブルベッドを右手で軽くポン、ポンと叩いて来るべき場所を指定している。
彼女は言い出したら折れないし、オレはやむなくベッドへ向かう。
「さあ、この中に入ってください」
そして彼女は先にベッドの中に入って掛け布団を捲り、早く入るようにと促す。
「そ、それじゃあ、失礼しま〜す」
「どうして背を向けるのですか? 私の方を向いてください」
「だけどなんか恥ずかしくて」
「もう! 私たちは彼氏彼女なのですから、これくらいで恥ずかしがってどうするのです?」
なんか、結局は終始彼女のペースというか、振り回されているというか。
でも彼女をすぐそばで見て、また堪らなくなるのが怖いんだよな。
でも許してくれそうにないので、なるようになるさと思い切ってベッドの中で振り向いた。
しかしオレの心配は杞憂に終わった。
彼女の笑顔を見てオレは安心感の方が高まったのだ。
それからオレたちは向き合ったまま手を繋いで、時々思いついたことを喋って、そしていつの間にか眠りについて、朝までダブルベッドの中で過ごしたのであった。