魔の手2
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私は松尾美佳の家を後にし、歩いていた。曲がり角を曲がった瞬間立ち止まり、振り返る。
「おおっと〜急に止まったら危ねぇだろ、ルーン?」
目線の先には見知った顔があった。ただ、外で会話するのは珍しい。外に出る時くらいはいつもの白衣はやめてほしいのだが。
「…いつから見てたんです?ご主人」
見知った顔…ご主人は不適に笑う。いつもは私がどこに行こうが何をしようが気にも留めないくせに、今回は違うらしい。ご主人は壁に寄りかかり、答えた。
「ん〜ガラスが吹っ飛んだトコくらい?まぁその前から見てはいたけど」
その前…という事はあの三人が家に入るところも見ていたのか。後をつけられている気配はなかったし、どこかで調べて張っていたのか?ご主人は私を見る。
「で?どうよ成果は」
「とりあえずハオにはご主人の事を話さないよう口止めしました」
「は〜ん…まぁルーンの言う事なら聞くだろうな…」
ご主人は顎に手を当てる。元パートナーとはいえ良好な別れ方をしていないハオの事だ。口止めは必要だった。
「…トキとは話したか?」
ご主人は声を少し低くして尋ねた。こっちが本命だろうな。
「姿は確認しましたが…会話はしてません。ハオがすぐ部屋の外に三人を逃がしたので」
「ふ〜ん…」
ご主人はちらりと松尾美佳の家の方に目線を移す。そして倉庫の方向へ体の向きを変えた。
「俺、話したんだよなぁ。姫路白菜と」
「…ならばトキとも話せたでは?」
「そう思うだろ?違うのよ」
ご主人はスタスタと私の前を歩きながら話しているので表情は見えない。が、声質が不愉快さを滲み出している。
「あいつ、俺を見た瞬間戻りやがった…人形に」
ご主人の話だとトキは記憶の維持が苦手との事。前の主人の記憶なんかもさっぱり忘れてしまうらしい…のだが、隠れるという事は本能的に色々覚えているのだろうか。
「ま…いいや。あいつのご主人様がどんな奴かもわかったし。お姫様も戻って来たし」
お姫様…パルは今倉庫のアオイのいる部屋にいる。正確には檻に入れて監禁している。下手な真似はしないだろうが、念の為だ。
「これからどうするんです」
「やっぱトキが欲しいんだよな〜その為にも…」
ご主人は白衣のポケットから注射器を取り出した。中には黒い液体。これは、アオイとかつてキサメを黒く染めた例の液体だ。ご主人曰く『傑作』らしい。
「…それ、誰に使うんです」
「アオイ」
「…」
アオイは既に黒に染まっている。もう一回分この薬…を入れたらどうなるのだろう。どうなるかわからないのに入れるのか、それとも…。
「これ、何回も注入するとぶっ壊れ性能になんのよ。まあマジで壊れちゃう事もあるんだけど、アオイだしいいだろ」
「ぶっ壊れ性能にしてどうするんです」
「姫路白菜に致命傷を負わせてトキを掻っ攫ってきてもらう。トキが致命傷になってもいいけど。まぁどっちでもウィンウィンよ」
ずいぶん遠回しなやり方である。念には念を、という事だろう。そこはお嬢様と似通っている。横断歩道の信号がちょうど赤に変わり、私達は立ち止まる。
「姫路白菜にはどうやって接触するのです」
「俺が接触しなくても紫月も、今はパルもいるしどーにかなるだろ。仲間が多いって素晴らしいよなぁ」
信号が青に変わる。ご主人は私の前をスタスタと足早に歩く。ご主人の事を仲間だと思っている者が、あの中に何人いるのやら。それはご主人も自覚しているだろうけど。ご主人が横断歩道を渡ってすぐのコンビニに目を向ける。
「あ、俺新作のコンビニスイーツ食べたい。買ってきて」
「かしこまりました」
私はご主人と分かれ、コンビニに入った。
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先日、木村さんがこの病院に入院したと看護師から聞いた。聞いたというより看護師がうっかり口を滑らせてしまったのだが。
そしてその後、お見舞いに来てくれた姫路さんと松尾さんから事の顛末を聞いた。二人が帰って、俺はぼーっと天井を眺めていた。
「ハァ…」
ついため息が出る。生徒会長とアオイの説得どころかパルまで向こうに行ってしまうなんて。そしてこんな状況でも何もできない自分が不甲斐ない。キサメが心配そうに俺を覗き込む。
「洋平…」
俺は窓の外を見た。雲一つない快晴だ。キサメが椅子から立ち上がり、窓を少し開けた。少し暖かい風が入ってくる。
「…ん?」
キサメが何かに気づき、窓を閉めた。そして、病室のドアに手をかける。俺は尋ねた。
「キサメ、どこに行くんだ?」
「…ちょっと」
言葉を濁し、キサメは病室を出て行った。
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病院からキサメが出てきた。すぐ俺に気づき、こちらに歩いてくる。俺はベンチに腰掛けていたが立ち上がった。
「アオイ…」
少し息があがっている。よっぽど急いで来たのだろう。俺は赤間洋平がいるであろう病室をちらりと見る。
「具合はどう?」
「…まだ全然だけど。一人?」
俺は頷いた。一人で来たし、先輩達にも何も伝えていない。独断でここに来た。俺は再びベンチに腰掛けた。キサメも俺から少し離れたところに座る。
「…姫路白菜とトキが狙われてる」
「…!」
昨日、珍しく主が倉庫を出るのを目撃した。その前にルーンがどこかに出かけているのも知っていたので大方あちら側との接触だろうと感づいた。
そして、一緒に戻って来た主とルーン。俺は部屋の壁に耳を当て、二人の会話を聞こうとした。だが、二人の声は小さかったし単語くらいしか聞き取れなかった。
「確信はないけど…黒に染める、紫月にやらせる、とか…言ってた。その中で姫路白菜とトキの名前も出てた」
「トキを黒に染めるって事…?」
「それはわからない。けど、あんたら側のガチャっとを黒に染める気なのかもしれない」
俺は考えた。キサメ側のガチャっとといえばキサメ、トキ、あと一時的に松尾美佳の家にいるハオ…この三人だ。
「俺は既に黒に染められて戻ってるから可能性は低い…なら、トキかハオ…?でもハオは元々あっち側だし」
キサメがブツブツと言う。キサメもわかると思うが、そうなると染められる可能性があるのはトキだ。
「なんで俺にそれを話した?」
俺は黙った。こんな事をしたのが主達にバレたら俺は殺されるかもしれない。何の徳もない。なんでだろう。
ただ、キサメと話したかっただけなのかもしれない。
「…帰る」
「は?」
キサメは何か言いたそうだったが、去る俺の背中を見たまま何も言わなかった。少し歩いて振り向くとキサメの姿はなかった。赤間洋平に今の話をするんだろうな。
「ーー…いけませんね、アオイ」
その時、どこからか聞き覚えのある声がした。声の主を見つける前に背中に痛みが走る。そして、何かが体内に注入されるのがわかった。
「…っ…!?」
俺は前に倒れた。ぼやける視界に綺麗に磨かれた靴が目に入った。ルーンの靴。声の主はルーンで、今俺に何かしたのもこいつだ。
「大丈夫です、死にはしません…むしろ生まれ変われますよ、貴方」
ルーンは優しい声で耳打ちする。不気味だ。俺はその一言で確信した。俺だったんだ、黒に染められるの。もう染まってるけど、さらに染められるのか。
「キサメ…」
俺はそのまま意識を失った。




