取引
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ーー…俺は暗い廊下を歩いていた。まだ昼間だというのに窓一つないせいで真っ暗だ。足元と、前はかろうじて見える。
歩きながら辺りを見回す。相変わらず要塞みたいだな、ここ。刑務所かよ。まあ似たようなもんだけど。それにしても倉庫の地下によくこんな所を作ったものだ。
目的の場所にたどり着き、生体認証スキャナーに手をかざす。ヒピッと機械音が鳴り、ゆっくり扉が開く。
「失礼します」
「おー」
聞いてるのか聞いてないのかわからない間の抜けた声が部屋の奥から聞こえた。この人ずっとここに籠もってるんだよな。足元や机の周辺にはカップ麺のゴミやお菓子の袋が散乱している。
「…ここ、掃除してないんですか」
「あ?あー…したわ。まあしたのはルーンだけど。でもいつだっけ?一ヶ月…いや二ヶ月?わかんねぇ」
ゴミを避けながら声の主に近づく。その主はくるりと椅子を回転させ、俺と目を合わせた。
「うわ、なんか久しぶりに見たわオマエ。なんだっけ?アオイだっけ?」
「…呼び出したのあなたですよね」
「いじけんなよ〜ちょっとしたジョークじゃん。俺が人の顔と名前忘れるわけねぇだろ。記憶力の天才だぜ?」
俺はハァ、とため息をついた。椅子に座っている人物…名前は知らない。けど、俺は、俺達は彼を『主』と呼んでいる。
「それで…何の用ですか、主」
主は手に持っている試験管の中身をまじまじと眺めている。ピンク色の液体だ。またしょうもないもの作ってんのかな。
はたまた、ウイルスとか毒薬とか?
「お姫様は殺せたの?」
お姫様…パルの事だ。まだ殺せていない。それどころかどこにいるのか不明だし。
レストランにキサメと行った際、気配は感じ取れた。が、すぐ追えなくなった。相変わらず気配を消すのが上手い。ルーンもだけど。
この主の『自慢の子達』は、みんなそう。
「…まだです」
「役立たずかオマエはよ」
試験管をガシャ、と乱暴に置き、主は再び机と向き合った。機嫌悪くなるの早くない?まあ悪いのは俺だけど。
「ルーン」
「お呼びでしょうか」
いつの間にか俺の隣にルーンが立っていた。いつからいたんだこいつ…。やっぱり主の『自慢の子』、気配がわからなかった。
「もうオマエでいいわ。お姫様を殺して体をここに持って来い」
「…現在お姫様ことパルは人間と契約中です。人間はどうするのですか」
「は?知らんわそんなん。俺が欲しいのはお姫様だけだし。人間なんかどーでもいいっつーの」
「人間の生死は問わないと」
「欲しいならオマエにやるよ、その人間。結婚してやれば?」
ルーンの雰囲気が明らかに冷たくなった。表情は一切変わらないが相当頭にきてるな。主が唯一パートナー契約結んでるのがルーン、すなわち逆らえない。さすがに同情する。
「ご主人、そんなだから誰にも相手にされず社会からあぶれているのでは?」
それを聞いた俺が肩をすくめてしまった。怖すぎ、よくそんな事言えるな。俺だったら即殺されてる。主はというとチッと舌打ちをした。
「口が達者で羨ましいわ〜それこそ俺の最高傑作よ、ルーン君。はよ行けクソガキ」
「クソガキにクソガキと言われる筋合いはありません。失礼します」
ルーンはしれっとしたまま部屋を出て行く。俺もルーンに便乗して部屋を出た。ルーンは心なしか早歩きだ。これ、怒ってるな。
「…口喧嘩はルーンの方が強いと思うよ、俺」
「褒めてるんですかそれ」
俺はウンウンと頷いた。そのままルーンは倉庫を出て行った。俺は倉庫の奥の部屋に戻り、布団に飛び込んだ。
「あ〜〜〜〜息が詰まるわ主〜〜〜〜」
とはいえ主からは時々しか呼び出されないし、契約される気もないし。かなり恵まれた立場だと思う。主は前何人かのガチャっとと契約してたらしいけど、今はルーンだけだし。ああ言えばこう言う関係みたいだけど、ルーンを切るつもりはないんだな。
「契約…」
結局、涼華以降は誰ともしてないな。主と先輩の味方をするって条件で一瞬だけ主と契約して即解除…その後なんか色々いじられてパートナーがいなくてもガチャガチャに戻る事はなくなったし。
ーー…眠っていたらしい。
辺りは真っ暗で俺は電気をつけた。もう夜か…ずいぶん長い事眠ってたんだな。
「…起きたみゅ?」
気配を感じ、そちらに目を向けるとふわふわした幼女が布団の隣に座っていた。人間じゃない、ガチャっとだ。
「お前は…」
「初めまして、みゅね。パルはパルみゅ。あなたとカグラミが殺したがってる…カグラミの元パートナーみゅ」
名前を聞いて俺は飛び起きた。パル。こいつが先輩や主が言っていたガチャっと。見た目はだいぶ幼いが、確かにルーンと雰囲気が似てる。主の『自慢の子』だから…。
「まさか…自分から敵のアジトに乗り込んでくるとはね」
言いながら辺りを見回す。誰もいない、一人で来たのか。殺されに来たわけじゃあるまいし、何が目的だ?
その時、どこからか鞭がパルを襲った。だが、パルの体を膜みたいなものが包みパルは傷一つつかなかった。バリアか…?
「…ルーン、久しぶりみゅね」
「ノックもなしに入るとは不躾ですね」
ルーンは再び鞭をパルに振り下ろす。が、パルのバリアはそれを跳ね返す。バリアは俺も一緒に包んでいるらしく、俺も無傷だ。
「直接あなたが攻撃してくるって事は相当焦ってるみゅね?カグラミは」
「ええ焦っています。なので大人しく死んでいただけますか」
鞭の動きが早くなる。ほとんど目で追えないがバリアは全部防いでいる。防ぎながら、パルは俺の手を引いて部屋を出る。
「ちょ、なんで俺まで」
「そのうちカグラミはあなたも始末するよう動くかもしれないみゅ。逃げた方がいい」
俺は黙り込んだ。確かに、いつ殺されるかわからない。主の用無しになったガチャっとは一方的に契約を解除されるか、出来が悪ければ殺される。俺は多分後者だ。
鞭が止まった。パルを見るとハアハアと少し苦しそうだ。ルーンがゆっくりこっちに歩み寄って来る。
「…そもそも、何しに来たのです?」
「…取引をしに来たんだみゅ」
それを聞いてルーンは鞭をしまった。どうやら戦う気はなくなったらしい。
「その取引、聞かせてもらいましょう」
パルは俺をちらりと見て言った。
「アオイを元に戻し、こちら側に渡してほしい」
ルーンが怪訝そうな顔をする。俺も困惑していた。こいつがなんでそんな事を…?
「あなたは何を差し出すのです?」
「パルみゅ」
パルは即答した。ルーンは一瞬で理解したのか、唇に指を当てた。
「…つまり、アオイを渡す代わりにあなたがこちら側に来ると?」
パルが頷く。俺はルーンに言った。
「いや勝手に決めんなよ!俺はここから離れる気ないんだけど!?」
「確かにそうですね」
俺の意思を無視して勝手に話を進めないでほしい。俺がどうするかは俺が決めるのだ、当然。ルーンが続ける。
「というか、あなたはそれでいいんですか?わかっていると思いますけどこちら側に来たら殺されますよ」
「…それで丸く収まるなら、それでいい」
パルは真剣な眼差しで言った。本気なのか、こいつ。そもそもこいつが死んだところで丸く収まるとは思わない。主は多分他にもやりたい事がある。
「収まりませんよ」
ルーンが俺と同じ意見を口に出した。やっぱりルーンも主の事がわかってる。多分俺よりルーンの方がわかるだろう。
「あなたならよくわかると思いますけど、ご主人はあなたを殺しても満足しませんよ。他に目的がうんとある。その一部に過ぎません、あなたの死なんて」
「…パルがいるとみんなに迷惑がかかる」
ルーンの話を遮るようにパルは言った。目を潤ませながら続ける。
「パルはもう誰とも契約しないつもりだった…カグラミの事もあるし、誰かと契約したら狙われると思ったから。でも美佳が、美佳がパルを見つけてくれたから」
パルの目からは涙が溢れていた。境遇は違えど何かわかるものがあった。俺も、俺も先輩と…主がいなければ誰とも契約する気がなかったから。
「…その人間は、あなたが死んだら悲しむのでは?」
「そうならないように契約を解除して、パルは死ぬみゅ」
「契約解除を承諾するのですか?その人間は」
「ルーンにはわからないみゅ!!!!」
パルが泣きながら声を荒げた。突き放すような言い方をしながらもルーンも表情は暗い。いつもと変わらないよう保っているようだが。
「…ご主人は間違えましたね」
ルーンがパルに歩み寄り、ハンカチを渡す。パルは受け取ろうとしない。そんなパルの目元をルーンがハンカチで拭う。
「ガチャっとに感情を入れて造ったのは間違いです。こんな事になる…感情さえなければただの人形に過ぎなかったのに」
パルはスン、と静かに鼻水をすすった。それを見てルーンは少し微笑み、パルの頭に手を置いた。
「今回の事は見逃します。次侵入したら容赦なく殺しに行きます」
そして俺をちらりと見て続ける。
「アオイは渡しません。取引には応じない、もっと納得のいく取引でないと」
「…例えばどんな」
「言いません」
ルーンは倉庫の扉を開け、パルに帰るよう促す。パルは抵抗する気もないらしくすごすごと倉庫から出て行った。
「…逃がしてよかったの」
先ほどの戦闘で少し散らかった倉庫内を掃除するルーンに俺は尋ねた。ルーンはゴミを拾いながら答える。
「人間の…パートナーの為に泣く彼女を見たのは初めてです。その人間との絆をもう少し見てみたいと思いました。だから逃がしました」
パルの元パートナーが主だったとすると、やっぱり色々あったんだろうか。主の為に泣くような感じのガチャっとじゃなかったしな。
「…主とは馬が合わなかったの、あいつ」
「ご主人は最低最悪ですからね」
その最低最悪のパートナーのルーンは何なんだよ、と思ったが口に出したら面倒そうなので俺は黙った。ルーンはゴミ袋を縛る。
「最低最悪でも、私を造ったのはご主人です。だから仕える…私はそういった事は気にしないのでご主人も好都合なのでしょう」
そう言ってルーンはゴミ袋を外に出しに行った。俺ももう一眠りしようと、倉庫の奥に足を向けた。




