水やら酒やらノンアルコールやら
この世界の広大な大陸には幾つもの国があり、人々はそこで暮らしている。
東のオリテと西のゼガルドは隣国同士であるが、あまり仲が良くない。
ノエルたちが暮らしているのは、そのゼガルド王国だ。
今日参加するのは、ゼガルド王国の妃の生誕の催しである。
ただし、ややこしいのが、この妃というのがオリテ王国出身なのだ。友好の印の政略結婚なのだろうが、毎年ピリピリしなければならない国民の気持ちも少しは想像して欲しいものだ。
(西と東があったら仲違いするのは自然の摂理なんだなぁ。タイガースはジャイアンツがライバルだし、警察だって警視庁と神奈川県警は何につけても小競り合ってたし、そういうもんなんだろうなあ)
と、ノエルは思いを馳せた。
父母は儀式と殿下の挨拶が終わるなり、パーティー会場で社交に出かけていった。ここでも人脈を開拓しているのがよく分かる。夫婦そろって上昇志向の強い、抜け目のない人たちだ。
ノエルは大広間の端のソファに腰掛けていた。
くるくる回る大人たちのダンスを見ている。
正直つまらない。
その横で、話しかけてくる貴族たちの相手をしてくれている女性。
シャペロンを勤めるシーラ・コーニッシュだ。息子が二人いるらしい。濃いめの口紅をつけても品が良く、全く顔が負けていない。
(シーラ……悪くはないんだが、エリーとタイプが違いすぎて緊張するな……)
仕事のできる強気マダムほど、居心地の悪い物はない。
怒鳴られるならまだ上司を人として心中で完全に蔑んでいればいい。が、オバチャ……否、マダムは多くの場合、ド正論でこちらの非をえぐってくる。立ち直れなくなるのだ。
前世で女性事務員のマダムに頭を下げまくった苦い記憶が頭をよぎる。
ノエルはいたたまれなくなって、思わず目をつむった。
そういえば、エリーは乳母といっていた。
(ん? と、いうことは……乳母ってことは……俺はこの人の……乳……)
ノエルは隣で喋る、昔はさぞかし美人であっただろうという風貌の、シーラの横顔を眺めた。
そして、それ以上考えることをやめた。
真実を知ったところで幸せになるとは限らない。
シーラはつらつらと話をしている。
「ええ。ノエルお嬢様はまだ5歳ですが、とても賢い子なのですよ。ですので女性の身ではありますが、いずれ学院に入学を予定しておりましてね。すぐに嫁げるわけではなく……」
(初めて知ったぞそんなの)
ノエルは目を見開いて隣を見た。
シーラはノエルに一瞥もくれずに、貴族の男共を話術で捌いている。
(全く、商品にでもなったみたいだぜ。キャバやクラブの姉ちゃんたちもこんな気分だったのかねぇ)
それならば、せめてツンとすまして高級な猫のようにでもしていよう。
ノンアルコール・エールの入ったグラスを傾けて、目の前で行き交う有象無象の人々をノエルはぼんやり眺めていた。
本当は酒に弱い大人向けの代物だが、こっそり貰ってきた。
ショウガの辛みがピリッと喉を焼く。
エールは糖とショウガを発酵させて作る飲み物だ。
魔法が発展するまで水が貴重だったゼガルドの人々は、ワインや酒を水の代わりに飲む風習を未だ大切にしている。
ノエルは、昨日読んだ、魔女プルミエが編纂したという歴史書を思いだした。
それによれば、昔は安全性が保証されていない水を飲むくらいならば、加工された酒を飲んだ方が安全だという認識でいたらしい。
子どもでさえ、水よりも牛乳やアルコールを飛ばした酒を飲んでいることが多かったというのだから驚きだ。
それが変わったのは、ひとえにゼガルドの魔法技術の発展のおかげだ。
おかげで魔法都市ゼガルドは、未だに隆盛を誇っている。
ノエルとしては、酒などそれこそ常飲したい気持ちなのだ。
が、あくまでも体はプリプリでキュアキュアな5歳女児である。
このふわふわした頼りない生き物の健康をおもんぱかって、ノエルは可能な限りアルコールを避けて生活していた。
(自分の体だが、我ながら頼りないな)
ノエルは筋肉のない自分の腕をそっと触ってみた。
前世では見慣れた筋肉はもはやない。
潜入捜査で日焼けした、厳ついボディが懐かしい。
(こんな細腕で何ができるっていうんだ)
もし男に生まれていれば騎士団に入って成り上がりたかった。
魔力を使って新しい必殺技でも生み出して、武功をあげたかった。
しかし、ここから待ち受けているのは、こうした社交の日々なのだろう。
いかれたおままごとの日々、継続。
(やる気がでねぇなー……気が抜けちまう)
ノエルは手の甲に隠して、小さくあくびを噛み殺した。
硝子の割れる音がして、爆音と悲鳴があがったのはその時だった。