ジャバウォック
ノエルは黙っていた。
ここはルーナの情に訴える台詞に任せた方が良い。
(ここがだめならだめで、やり方はあるが……やはり、レヴィアスの東に拠点が欲しい。敵に気付かれず、攻められにくい場所に。やはりここだ。このマールの村が、最善手だ)
「お願いします、私たちはレイトの街に戻ったら、殺されてしまいます」
ルーナの台詞は真に迫っている。
実際、レイトの街中を鳥のフンだらけにしてしまった報いはかなりの怨嗟になるだろう。
意趣返しとはいえ、ちょっとやり過ぎたかもしれない。
「あんたも、そんなに酷い迫害を受けてきたのか」
宿屋の主人は涙を堪えるように、ぐっと奥歯を噛みしめた。
中年のようだが、白髪交じりの疲れ切った表情は諦念を感じさせた。
「ここにはもう未来がない。見ただろう? 騎士団は西レヴィアスに移動した。今ごろは旅路の途中だろうさ。西には枯れないオアシスがあって、海辺の食料もある。偉そうな人間の手先になるのはしゃくかもしれないが……生きられるならそのほうがいい。マールの村にいるのは、俺たちのような、もうここ以外には居場所のない獣人だけさ」
中年の獣人は、ため息交じりに自嘲して、引きずった左足を軽く叩いた。
「俺はこの村と心中するつもりだよ。死の匂いが漂って、枯れているだろう? この足じゃ西にも行けないしな……もう見たか? 町中の泉を。今すぐにでも干上がりそうだ。昔はそんなことはなかった。西のオアシスには劣るが、小さくともこんこんと湧き出す美しい泉だった。だが、泉は干上がり、もうここには鳥さえも来ない」
モルフェをやっつけたのか、優雅に舞い戻ってきたレインハルトが、ノエルの肩の上で少しむっとした。
「鳥じゃなきゃ俺は何なんですかね?」
「まあまあ」ノエルがなだめる。
「さしずめ幸運の黄色い小鳥とでも言ってもらえたらいいのですが」
よせばいいのに、モルフェが割って入る。
「幸運ねえ。うんうん。ウンに縁があるもんな、クソ王子は……」
ピクッと眉の辺りを動かしたレインハルトはおもむろにしっぽをあげた。
そして、モルフェの頭上をパタパタと旋回しだした。
「あっ! お前! やめろ! 近寄るな! ばか! 上を飛ぶな」
モルフェがおびえている。
自業自得だ。
「ほどほどにしとけよ」
と、たしなめたノエルは宿屋の主人に向き直った。
「水不足といっても、ここは砂漠だろう? 長年暮らしてきたあんたたちが、それだけで壊滅してしまうなんてことはないだろう」
村長は頷いて、ノエルたちを部屋に招き入れた。
簡素な台所の裏の壁は、煉瓦と石が入り交じり、砂漠の乾燥した気候を反映している。
「ああ……最近、問題が起きてね。外敵の襲撃があってから、俺たちは閉じこもるようになったんだ。今じゃおちおち外にも出られない始末さ」
ノエルとルーナは互いに顔を見合わせた。
宿屋の主人は深いため息をついた。
「数週間前、突如として村が襲われた。炎と破壊の魔法が飛び交って……村はめちゃくちゃになった。これでも復旧した方なんだ、だが、もうこれ以上は……無理だろう」
「いったい何が攻めてきたのです?」
ノエルの口の中はからからに乾いていた。
「魔獣だよ。大きな……黒くて空一帯を飲み込むような化け物だ。ジャバウォック・ドラゴンを知っているか? こんなところにはいるはずもない、本来は南の森にいるはずの、とてつもない魔獣だ……大昔、ゼガルドの果ての森にいたが駆除され、もう一匹も居ないはずだ……ジャバウォックは有史以来、こんな砂漠に来ることは一度もなかった……なのに……」
この世界にドラゴンが本当にいたとは。
ノエルは山火事を起こしたときの自分の台詞を思い返した。
「ゼガルドの兵は?」
と、ノエルは尋ねた。少し声が震えた。
15年しかいなかったが、祖国に変わりは無い。
魔法が飛び交い、伝統と格式のある優雅なゼガルドという国。
一貴族として、ゼガルドが良い国であって欲しいと思うのは傲慢だろうか。
ノエルの思いとは裏腹に、村長はすげなく断言した。
「来ない。来るわけがない。ゼガルドにとってはあくまでも他国のトラブルなんだ。自分たちでどうにかしろ、とそっけない書状が来たよ。西レヴィアスだって東を助けたりはしない。獣人は滅んだ方がいいと考えてる連中だ」
「そんな! 同じ国なのに」
ルーナが言った。村長は首を振る。
「誰も迫害の歴史を忘れていない。昔よりはかなり減ったが、まだ根強く差別意識を持つ人間もいる。かつて西には魔力で動く兵器があったし、魔力のある人間も多かった。おそらく彼らも今、ジャバウォックが飛んできたら迎え撃つための兵器を大急ぎで用意しているだろう」




