尊厳とかプライドとか
※お食事中の方はすみません。
これは絶対に、元に戻ったらレヴィアスでモルフェが千枚切りにされるだろう。
「そろそろやめておけよ……」
ノエルが髭を撫でながら、モルフェを諫めようとした。
その時だった。
ポトッ……
一迅の風が吹いた。
さわさわ、と道ばたの草が揺れる。
「ンギャーーーッ!!」
モルフェの野太い悲鳴が聞こえた。
「おい、モルフェ、テレパシーはどうし……え!?」
振り向いたノエルは驚いた。
艶々とした黒猫のビロードのように美しい毛並みに、見まごう事なき汚れが付着していた。
白い、小さな水たまりのような。塗料のようなそれ。
そう、鳥は飛行時、体を軽くするために、あることをする。
賢明なノエルは察した。
そして、空を仰いだ。
「アイツ、やりやがった!」
モルフェが本気で怒っている。
人間の体であれば、三白眼が六白眼くらいに進化しそうなものだが、今は猫なので見た目には猫パンチを空に向かって繰り出す可愛いにゃんこでしかない。
パタパタッと急降下したレインが、ノエルの隆々とした肩に止まった。
「ふー、スッキリしましたね」
「ちょっと、お前、それはレイン、お前、高貴な者としてさ、絶対やっちゃダメなやつ……」
「違いますよ。精神的な意味です」
「今、……やったよね?」
万引きGメンのようにノエルは優しく言う。
小鳥は首を傾げる。
「いいえ?」
「いやいやいや、それはないだろ」
「違う鳥ですよ。ほら、ヒバリが過ぎ去っていきました。あれじゃないですか?」
そんなことしそうに見えます? とでも言うように、レインハルトは木の実のようなつぶらな瞳をパチパチッと瞬かせた。
「仮に俺だとしても、今、鳥ですから。飛ぶための本能ですから、自然です」
「あー、分かった。分かったよ、確かにな、仲間に向かって『クソ野郎』っていうのはな、俺もダメだと思った。モルフェの口は悪い。だけどな」
「まさに自分自身に返ってきていましたね。天に唾を吐く者は自分の顔にかかるというコトワザをご存じですか、ノエル様。今のアイツのようなことを言います。なんと無様で滑稽な生き物なのでしょうね」
モルフェは自力での毛繕いを試みようとして不可能を悟り、絶望している。
ノエルは呆れて言った。
「レイン、お前って手段を選ばなすぎるだろ……もっとさ、貴人の尊厳とかイケメンのプライドとかさ……」
「そんなものは十年前に全て捨てました。誇りなど、後生大事に飾っていても飯の種になりやしませんからね」
きっぱりと言った潔さに、
(コイツイケメンなのにな)
とノエルは神妙になった。
かといって仲間に鳥爆弾をかますのは、理解できないが。
レインハルトはこんな時でさえ優雅で、歌うように言葉を口にする。
「誤解ですよ。俺が仲間に酷いことをするわけありません。さっき心地よく吹いた風に、空からの落とし物が運ばれてしまっただけで……」
無駄にイイ声なのが、もったいない。
ノエルは顔の隣のもふもふとした羽毛に頬を擦りたくなる欲求をグッと押しとどめて、冷静に突っ込んだ。
「うん。詩的で美しい表現なんだがな、それって結局トリさんのウン」
「テメェェェェェ! お前だけは一生、天地にかけても許さん!」
怒り狂った黒猫が、ノエルの体を駆け上がってきた。
「いてぇ! い、いててててっ! こら、やめろモルフェ! 俺はキャットタワーじゃねぇ!」
「ニャーッ!!」
瞳孔が開ききったモルフェは思いっきり爪を伸ばして、ノエルの顔の横にとまる金色の鳥をじっと見た。
「クソ野郎、だったか? その言葉、そっくりそのまま貴様にお返ししよう」
やめておけばいいのに、レインハルトが煽る。
「お、おい、モルフェ、落ち着けッ」
「魔法を使うまでもないわっ! ナックル・スーパーキャットネイル!」
にょんと伸びた凶器のような爪がキラリと光った。
モルフェの動きを見越していたように、金の鳥はスッと華麗に空へと飛んでいく。
行き場を失ったモルフェの攻撃は、その隣の無防備な青い髯の顔面を直撃した。
バリッ!!
「いだああぁぁぁぁ!?」
ノエルの眉から血が垂れた。
かくして、青髯のノエルは、右目の上に切り裂かれた生傷が痛々しい、さらに凄みのある冒険者の風貌となってしまった。
道行く旅人が、全員ノエルを道の端まで避けて通る。
親子連れの母親が「こらッ見ちゃいけません!」と小声で注意していた。
(絶対に、犯罪に関わるタイプの人間だって思われてる……!)
茶番を繰り広げ、小川で嫌がるモルフェを水洗いしているうちに、夕方になった。
三人は気付けばレヴィアスに通じるオリテの中心街に到着していた。




