罪罰
モルフェが目を開けると、そこは木の陰だった。仄かにコボルトの血の匂いがする。
息を吸うたびに、左の脇腹が痛い。
さっきの二人組との戦闘でやられたんだった。
(夢か。生きてん……のか?)
とモルフェが思った矢先。
「あ。起きた! おーい! レイン、こいつ起きたぞー!」
真上で叫ぶ少年の声に、モルフェは敗北を悟った。得物を変化させる術が無いわけではないというのを知ってはいたが、あそこまで速く長大になるとは想像していなかった。
単なる己の油断だ。
木の幹に括りつけられたモルフェは手を後ろに縛られていた。抗魔法の効果がかけられた縄だろう。魔法で火を出しても駄目そうだ。
両足は伸ばされ、地面に座らされている。
拷問されるときの格好だと本能的に理解した。
舌を噛み切るか。
僅かに逡巡してやめた。
操を立てるほど、ゼガルドに世話をしてもらったわけでもない。恩義の無い国をかばって、自決なんてくだらない。
どうせなら自分が知っていることを、全部ぶちまけてから死んでやろうとモルフェは思った。
どうせ助からない。
命が助かったって、戦闘奴隷としての旬が過ぎて、若さが衰えれば、自分だって闘技場には呼ばれないだろう。
そうなればもう用済みだ。
晴れた空は青く、木陰はひんやりと冷たい。
自分の呼吸の音に重なるように、ピチチチと鳥が鳴き、風が吹く。虫が飛んで、花が揺れる。
レインハルトが走ってきた。土が踏まれる軽快な音。スラムでは、よく聞いていた。弟分たちの、裏路地の石畳を駆ける音。
(こんな景色、もう何年も見ていなかったな)
モルフェは、難しい顔をして自分を睨んでいるノエルに言った。
不思議とすがすがしい気分だった。
脇腹が痛い。
じん、と頭が痺れていく。
ふと気付くと、自分の周りが濡れていた。
木の影ではなく、これはモルフェ自身の血液だ。
「お前らすげぇな。俺の負けだ。煮るなり焼くなりしてくれ。お前らが拷問が好きなら抵抗しねーよ。でも」
咳き込んだモルフェの口から、ゴポリと赤い液体が垂れた。
ノエルが駆け寄ってこようとするのを、レインハルトが止めている。
そう、良い判断だ。
これが罠かもしれないと、レインハルトは警戒したのだろう。賢い男だ。
しかし、実際のところこれは罠でも何でもない。
モルフェは吐血した物もそのままに、ノエルたちに向かって言った。
「急がねえと、眠っちまいそうだ。いちいち爪を剥がなくても、聞かれたことには答える」
ノエルという赤毛の少年は、モルフェの言葉をきいて、眉をひそめた。
「それを信用できると思うのか」
「信用できないなら、手と足の爪を」
「やめろ。聞いてるこっちが痛くなる」
ノエルは溜息をついて、モルフェと視線を合わせた。柘榴のような、紅い綺麗な瞳だ。
「まず、いくつか聞きたいことがある。お前の名は」
「モルフェだ」
「姓は?」
「無い。奴隷だからな」
「奴隷?」
「ああ。ゼガルドの奴隷だ」
レインハルトが言った。
「嘘をつくな。ゼガルドにそんな制度は無いはずだ。捕虜はあっても、奴隷は人道的に廃止されている」
モルフェはもうどうでも良くなって、投げやりに言う。
「あのな。お前みてーなボンボン上品野郎は知らねぇだろうが、俺たち平民の最底辺は奴隷って呼ばれてんだよ。地下牢に押し込められたスラムのゴミクズだ。王室とお貴族様の貴重な娯楽なんだぜ? 毎週、ゼガルドの城下の地下闘技場で奴隷同士殺し合ってんだ」
ノエルは真剣な低い声で言った。
「本気で言ってるのか?」
モルフェは答える。
「腕も足も切り落とされたって、俺は同じことを言うぜ」
本心だった。
レインハルトが言った。
「お前が命じられたのは? 誰に暗殺を依頼された」
モルフェはレインハルトの銀色を帯びた青い瞳を真っ直ぐに見て言った。
「ソフィとかいう第二王子の婚約者だ。俺は今ソイツの護衛なんだそうだ。王室に危害が及ぶから、ノエルという奴を殺せって言われた」
「ソフィ。確かにその人だったんだな」
「ああ。そう言ってた。混ぜ物した砂糖菓子みてぇな気持ち悪い女だった」
ノエルとレインハルトは目を合わせて何やら相談した。
モルフェは首も鎖骨もさらけ出して目を閉じた。
なんだか酷く疲れた。
(どうせ死ぬなら、太陽の下で死にてぇって願いが叶ったな)
「おい、モルフェって言ったな。最後に言いたいことあるか」
赤毛のノエルが言った。
敵に情けをかけずにきちんと始末をする。
冒険者としては優秀だ。
モルフェは微笑んだ。
言いたいことか。
「クソッタレな世界にこれでサヨナラだ。次は貴族の嬢ちゃんにでも生まれ変わりてぇな」
ノエルがパチと瞬きした。
雲が風で消えて散り、じりじりと刺すような陽射しが照る。
「足止めしちまって悪かった」
目を閉じたモルフェは顎をあげ、生身の首を見せて服従の意を示した。
逃亡したことは一度もないモルフェの、少しも入れ墨の入っていない顔と首の皮膚が露わになる。
このまま放っておいても、小一時間もしないうちに、自分の意識は無くなり、魂も肉体もこの世のものでは無くなるのだろう。
手の指先も感覚がない。
しかし、万が一に備えて動くのが良い冒険者だ。
もし自分が相手の立場なら、敵が息絶えるのを待たずに、自分自身の手で息の根を止める。
「口を開けろ」
とノエルが言った。
されるがままに唇を開く。
好奇心から目をあけると、レインハルトが無感情な灰色の目で、緑色の小瓶を持っていた。
(あー。毒薬みてぇな能力の俺が、毒薬で殺されてちゃあ世話ねえや)
ふ、と笑いながら、モルフェは口を開けた。
苦くて甘い不思議な味が、舌の上に転がり落ちて、ベッタリと塗れたかと思うと、モルフェの脾臓に向かって流れていった。




