モルフェウス
薬物のような能力を持つ男と戦うはめになったノエルは、それでも冷静で、諦めてはいなかった。
前世で散々っぱら違法なものを摘発してきたからか、こっちの世界の身体も、まだ理性に従ってくれる。
だが、これは結構まずい。
ノエルはうずく肩の傷を押さえた。
おそらく対象の傷口から微量な魔力を流し込むのだろう。
詠唱も無かったからどのような仕組みなのかは知らないが、敵はかなりの手練れだ。
もう一度、男の手で衝撃を与えられたいと騒ぐ本能を、ノエルは気合いで抑えつけた。
だてに何度も修羅場をくぐってきていない。
(ヤベーブツも、ヤベーヤツも、仕事柄クッソ見てきたっつうの。上等だ)
ノエルにも分かるのはただ一つ。
毒物に耐性のないレインハルトに攻撃を絶対くらわせてはいけないということだ。
肉体よりも精神がパニックを起こすだろう。
相手は攻撃魔法と剣技とどちらもできる男だ。
接近戦だろうが、遠距離だろうが、関係がない。
どうする。どうすれば――。
ノエルは頭をフル回転させて考えた。
だが、良い考えなんてのは欲しいときにすぐに生まれ出ては来ない。
(くそっ……こんなことなら昨日、あんなにダーツで遊んだりしてねーで、すぐ宿屋を出発すりゃぁよかった)
周辺国の情報が集まったのはいいが、レインハルトとむきになって対戦なんてしてしまったのが良くなかった。
おかげで良い感じに盛り上がってしまい、ついゆったりと出立してしまったのだ。
ダーツの対戦は引き分けで最後までもつれこんだ。しかし最終的に、こっそりと氷魔法を使ってノエルが針に細工をして、勝ちを得た。
針の先端に丸い氷をくっつけたのだ。
古典的ではあるが、確実な方法だった。
真ん中に当たったはずなのに、刺さらなかったものだから、レインハルトは種明かしをするまでずいぶん焦っていた。
走馬燈のようにこんなことを想い出すなんて、自分はいよいよ死ぬのだろうか。
「いや、待てよ。そうだ。それだ」
ノエルはレインハルトの背に向かって言った。
「おい! 後ろのことは何も気にせずにアイツに向かって剣を振れ」
「そんな、だって貴方の怪我が」
「お前も俺も助かりたかったら、今は俺を信じてくれ!」
たぶんうまくいく。
いや、絶対、うまくいかせてやる。
向こうから飛ぶように男が駆けてきた。
レインハルトは剣を構える。
(イメージ……温かな流れが固く小さくまとまるような)
ノエルは胸に手を当てた。
あの日、弾丸に打ち抜かれた自分の心臓が、こうして魔力の源になるなんて、おかしな話だ。
だけどこの力で何か大切なものを守れるとしたなら、迷っている暇はない。
レインハルトが、男に向かって身を寄せた。
間合いが詰まる。
銀色の刃が鈍く光り、男に向かって振り下ろされた。
ガチッと刃同士が交わる。
短刀ごしに、男がニタリと笑う。
瞬間、ノエルはレインハルトに向けて、自らのイメージを放出した。
そしてはっきり叫んだ。
「アイス!」
レインハルトの振りかざした刃が伸びた。
研ぎ澄まされた氷の棒はみるみるうちに伸びる。
男が身を翻して間合いをとろうと後ろへ下がるよりも速かった。
棍棒のように太くなった氷の塊が、男の左の半身を切り裂くと同時に肋骨を殴打した。
うめき声も立てずに、男は地面に膝をついた。




