勝ち目のない
横に飛び退ったノエルの肩口に、炎が直撃した。
「うわぁあああ!」
熱い。
痛い。
怖い。
ノエルは地面に転がって火を消した。
直撃させられていたら、こんな程度では決して済まなかっただろう。
男は不思議そうに首を傾げた。
「アレ〜? 頼まれてたのはノエルとかいうやつだったか? レインハルトがそこのお兄さんってことは、ノエルはあんた?」
黒い髪の下から、爛々とした黄色と緑の瞳が真っ直ぐにノエルを見据えている。
野生動物に相対したときのように、ノエルは身の危険を感じた。
「ノエル様!」
レインハルトがかけよってきた。
ノエルをかばうように、背中をノエルに向けて、暗殺者を睨みつけた。
「あいつヤベーぞ」
ノエルは言った。
素直な感想だった。
この男の性格や振る舞いも理解の範疇の外だが、明らかに実力の差を感じる。
「こりゃもう、どうやって倒すかとかじゃねぇわ。どうやって逃げるかだ」
と、ノエルはレインハルトの背に向かって言った。
「作戦タイムは終わったかぁ〜?」
黒髪の暗殺者が踵を地面に叩きつけながら、この場に不釣り合いなのんびりとした口調で尋ねた。
「てか、そうだ。まだ喋れる内に聞きたかったんだ。あんた、なんで俺が怪我してないって分かったんだ?」
ノエルは暗殺者の目を見た。
攻撃してくる素振りは無い。
「……あの出血量なら、唇は青ざめるはずだ」
何度も修羅場に立ち会ってきた経験が、刑事の勘を鋭くさせた。
微かな違和感が、ノエルの判断を後押ししたのだった。
「出血のわりに、お前の口は赤すぎた」
「あは」
暗殺者がニタリと笑う。
「てっきり犬みたいに鼻が効くのかと思ったぜ。ああ、そのへんのコボルトの血だけどサァ。そっかそっか、唇の色ねぇ。小せぇのに良く見てんだな」
暗殺者はぺろと唇を舐める。
血色のよい口の肉がより赤くなって見える。
あんなに地面にしたたるほど血を失えば、顔面は蒼白になるはずだ。
その時、ノエルは異変に気付いた。
「あ……?」
先ほど攻撃を受けた肩がうずく。
傷がじくじくと痛むはずなのに、どうして。
(なぜ、もう一度)
あの痛みを受けたくなっているのだろう?
神経のどこかがおかしくなってしまった。
ノエルは愕然とした。
脳の冷静な部分は、落ち着け、辞めておけと言っている。
それなのに、腫れ上がった傷口が脈打つ度、もう一度あの男と相対しろと命令してくるのだ。
「あは。あー、やば。たまんねぇ、アホづらッ。お前イイ顔すんだな」
男がケラケラと笑った。
「それ、俺の特殊能力ってやつ。一度攻撃受けたら、ハマっちゃうんだよ、みんな」
「な……」
ノエルは絶句した。
(そんな悪趣味な能力があってたまるか! ほぼ薬物じゃねぇか)
「本能がバグるっつーの? ほら、もう一回焼いて欲しいっしょ。ごめんな、恨みは無ぇんだけどよ。俺は俺より弱いやつに殺されねぇって決めてんだよ。今度はもっとうまくやってやる。きもちよーく天国に送るから、なぁんにも心配しないでいい」
男は優しささえ滲ませて言った。
ノエルが息を吐いた、小さな空気の震えの合間。
「ごめんな」
と、短刀を翻して向かってきた男に、ノエルは詠唱した。
「ウォーター!」
水の壁が目の前に出現する。
「でけぇ噴水だな」
と、男は拍手をして回避した。




