仄かな狂気
男は荒れた道の脇に横たわり、痛みに顔を歪めていた。
「う……」
「どうした」
レインハルトはすぐに駆け寄った。
服装からするに、旅をしている商人のようだ。
鞄や荷物は持っていない。
「盗賊団にやられたんです……全部、身ぐるみ剥がされそうになって……」
男はレインハルトに上半身を抱き起こされ、ぐったりと体を預けている。
赤い唇は震えて、荒い息をついている。
ノエルは男の怪我の様子を見た。
べったりと血がついているのは右足のようだ。
血が地面に染みこんでいる。
「助けて頂いてありがとうございます……親切な方ですね。名前は何と? 国に戻ったらお礼をいたします」
「いや、たいしたことでは」
ノエルは男をもう一度見た。
赤い唇。
頭の端に稲妻が走るような、違和感。
男は僅かにおもしろがるような声で言った。
「もしや――レインハルト様ではありませんか」
「なぜ、それを?」
怪我人に水を分けてやろうとしていたレインハルトに向かって、ノエルは大声を出した。
「レイン!」
まずい。
自分も後ろに飛びすさりながら、叫ぶ。
こいつは怪我人なんかじゃない。
「避けろ!」
レインハルトは後ろに下がろうとした。しかし、それよりも速く、男の隠し持っていた短刀が、光りを放ちながらレインハルトに向けて振り下ろされた。
しかし、研ぎ澄まされたレインハルトの反射神経が、凶刃よりも僅かに速かった。
剣を抜き、短刀の一撃をかわしたレインハルトは、即座に反撃の構えを取る。
すんでの所で捕食を躱した、野生の動物のようだった。
「フハハハハハッ、はぁずれぇ~」
男のまとっていた空気が一変する。
血に濡れた足はしっかりと地面を踏みしめていた。
「お前、嘘だったのか」
「ハハハッ、獲物を襲うのにルールがあるかよォ?」
男は舌舐めずりをして、短刀を構えた。
鈍く光る銀色が妖しく光を反射する。
「あーあっ。惜しかったなぁ~……頸動脈まであとちょっとだったのに」
上気した頬で男は残念がった。




