エピローグ
凍てつくような戦いの夜が明け、世界は新しい静寂を取り戻していた。
ノエルは、タルザールの路地裏の居酒屋を貸し切りにしていた。
リーヴィンザールの城から隠し通路でつながっている、あのカシウスの店だ。
カシウスの伝手で卵留学を果たしたアヴァは、料理の基礎を学び、絶品の卵料理が作れるようになって帰って来た。
ノエルは、今のゼガルドにいると聖女聖女と祭り上げられては声をかけられる。民衆にとっては革命の先導者なのだ。ありがたくもあり、疲れもする。
復興にはまだかかるし、もう少しやらなければいけないこともあるが、休息が必要だと逃げてきたのだった。
今頃、もぬけの空になった寝床を見てモルフェが怒り狂っているかもしれない。
「いやあ、ほんまに驚いたわ」
ノエルの隣でカウンター席に座ったリーヴィンザールが感慨深げに呟いた。
「まさか死者が復活するなんてな」
ノエルは、遠い目をした。
「復活なんかじゃねえよ。あれは……転生だ」
「テンセイ?」
「いいか、リーヴ。俺も別の世界から転生してきたんだ。ソフィが息をしだしたとき、『我がレインハルト様!』って叫んだだろ。本物のソフィならあんなこと言うわけないんだよ。あれは、たぶん……フラガラッハだ」
「フライパン?」
「なんで俺と話すとお前はポンコツになるんだよ、リーヴ。フラガラッハはレインハルトの精霊で、俺を助けて消えたんだ。精霊の魂が入った人間なんて見たことないけど、俺みたいのがいるんだから、まあ、ありえなくもねぇのかもなあ」
「あ! アヴァちゃーん! もう一杯セルガムね!」
「かしこまりィー!」
リーヴィンザールは興味を失ったように、アヴァに注文を出している。、
「アヴァちゃんいいなあ。あんな小さいのにクルクル動いてかわいらしいわあ」
「おっ、お前! 絶対アヴァに手出すなよ!」
「嫌やなぁ、そんなことするわけないやん。熟してへん実を育てる楽しみってのがあんねん。じっくりじっくり、な」
「おまたせしましたぁ」
「ありがとう! お、これは?」
「こちら、サービスの、えーと、オトーシです? ノエル、オトーシであってる? オトーサンだっけ?」
「最初の方だな」
「オトーシってこんな感じでいいのかな。ノエルが言うように作ってみたけど」
「おおおお! 煮びたしのナスッ……よし、いただこう」
一口食べたノエルは感動に打ち震えた。
「アヴァの腕は天下一品だ。いや、まだラーメンを作ってもらったことはないけど……うまい。串以外もこんなに才能があったなんて」
「えへへぃ。ありがとう、ノエル! リーヴさんも、食べたいのがあったらいつでも言ってね」
「ほぉん、俺の食べたいものなあ~」
「アヴァ、あんまりリーヴの方見ないでくれ。なんかこいつよからぬ注文を出しそうな気がする。俺のおっさんセンサーが働いた」
「ああ、最初に串焼きだったね! 昨日捌いた若いボアがあるんだ。ちょっと待っててね」
アヴァが厨房に消えていき、リーヴィンザールは、肘をついて声を潜めた。
「それで、真面目な話、お前はどうするんや? この先のこと、もう決めたんか?」
ノエルは、ゆっくりと首を横に振った。
「まだ決めてねぇよ。このままゼガルドにいて崇められるのもちょっとなあ」
リーヴィンザールは、にやりと笑った。
「そっか。まあ、焦ることはないわな。いつでもタルザールに嫁入りに来てええで。実家もあることやしな? 俺、こう見えて一人に決めたら一途やねんで」
「どの口が言うんだよ」
「ふふ。冗談ってことにしとこか……」
リーヴィンザールは、肩をすくめて笑った。
「あのイケメン坊ちゃんはどうしてるんや? オリテの王さん」
ノエルは表情を和らげて、ルアンノ・セルガム酒をグビッと飲んだ。
「フラガラッハ……じゃない、ソフィを連れてオリテに戻って、政治を立て直してるみたいだよ。すげー忙しいみたいでさ、邪魔しちゃ悪いからそっとしておいてやってる」
「会ってないん?」
「うん。邪魔になると困るだろうから手紙も書いてねぇよ。レインからは何通か届いてたけどな」
リーヴィンザールは、顎に手を当てて考え込んだ。
「あー……それは逆効果やなあ……」
ノエルは、訝しげに眉を上げた。
人の気遣いにいちゃもんをつけてくる気だろうか。
しかし、リーヴはいたわしそうに言うのだった。
「可哀そうに。元気出したくても出されへんねや」
「どういう意味だよ」
「あいつも真面目そうやったもんなぁ……ええか、女の子からの連絡を楽しみに待ってんのに一向に来ぉへんかったらどうや。いや、お前にわかるように言うと……開店すると思って並んでる居酒屋が一向に開かへんかったらどうや」
「ええ……心配になるし、腹も立つし、ちょっといらいらするし、腹減ってたら泣きそうになるかも」
「そういうことや」
「レインにとって俺が居酒屋ってこと!?」
「まあ、ちがうけど、ちがわへんというか……だいたいそういうことや。とりあえず手紙くらい書いてやれ」
リーヴィンザールは、含みのある笑みを浮かべた。
「あの無愛想な坊主、ゼガルドの平民と奴隷の統治者に祭り上げられたらしいな」
リーヴィンザールは、どこか面白がるように言った。
「ああ。ランがあることないことモルフェの話をしまくったせいで、モルフェは奴隷から成り上がった革命の代表者みたいになっちゃって……ゼガルドだと俺より人気があるんだよ。ランと、あの魔獣のテンと一緒にゼガルドを治めてる」
ノエルは苦笑した。
「テンがその……あの後から様子が変なんだよ」
「なんや。ネギでも食わせたんか」
「ネギっつーか、まあそれよりもっとヤバイもん食べちゃったんだけど……モルフェが最近変なこと言うんだよなあ。テンがしゃべりかけてくるって」
「アホ、そんなことあるわけないやろ。魔獣が人の言葉をしゃべるやなんて……お疲れなんやな、きっと」
「まあな。ゼガルドの城は、カシウスの炒飯並みにパラッパラに粉砕されてたし。幻聴かもな。たまにはゆっくり寝て休むように言っておくよ」
レヴィアスは今も女王になったルーナが治めているが、統治は盤石だ。
マールの村に戻って2号店を出すのもいいなあとノエルは想像した。
あそこには味噌蔵が完成した。
山羊の獣人のヤックは素晴らしい実業家になってくれて、あの自信なさげだった頃が嘘のように、タルザールやオリテへ新製品の味噌を卸していた。
アヴァが串焼きを持ってきた。
既に良い香りが漂っていて、皮の表面にプチプチと油が弾けている。
どんな宝石もこの輝きには敵わない。
ノエルは沸き上がったよだれをごくんと飲み込んだ。
がぶりっと食らいつく。
セルガムの刺激が油を胃に流す。
家族や仲間たちの顔がパッと脳裏に浮かんだ。
命を奪い、それを食い、幸せを得ることが罪ならば、これからの人生をその罪と共に生きようとノエルは心に決めた。
だがそれは、自分の私欲のために周囲をあれだけ巻き込んだエリックの生き方と何かが違うだろうか?
ノエルは顔をあげた。
カウンターの向こう側で、幼い瞳が期待とわずかな心配を含んでこちらを見ていた。
エリックとは違う。
ノエルの犬歯がボアの肉の皮を突き破った。
舌にじんわりと塩味と混ざり合った肉の旨味が乗り上げてくる。
この子の獣を屠る手が汚れているとは決して誰にも言わせるものか。
この子の捌いた肉を得て、己の血肉にする行為が尊くないわけがない。
「おっ、おいしいかな? いつもよりラソの塩、多めに使ってみたんだけど」
ソワソワするアヴァの瞳をのぞきこむ。
そこにあるのは、混迷の中にある光のようで。
口の周りをボア肉の油でテカらせながら、伯爵令嬢ノエル・ブリザーグは満面の笑顔で快哉を叫んだ。
「あー、今日も最高に、肉がうまい!」
END
これにて完結です! ちょいちょい改稿はしますがとりあえず終わりです! 気長に待ってくれていた読者の皆さんに最大の感謝!!!




