熱病の果て
「ぐわああああ!」
エリックの叫びは、苦痛と狂気に満ちていた。
光の中で、エリックの肉体は内側から焼け爛れ、見るも無残な姿へと変貌していく。
赤い魔石の力は強大だった。
ソフィーが糸の切れた人形のように地面に倒れ伏す。
ノエルはモルフェの静止を振り切った。
バリアの壁が消えるのと同時に、走り出す。
「ヒール!」
何度も唱えた回復魔法を全身全霊をかけて打ち込む。
ソフィー・ゴーネッシュとエリックは、ノエルの放ったヒールの卵色の光に包まれた。
「ノエル! そんなやつら放っておけよ!」
半ば呆然として、モルフェが叫んだ。
ルーナが風のように走りこんで、シーラをとらえていた兵士をなぎ倒した。
「モルフェさんっ! シーラさんを!」
「ッチ」
追い立てられるようにモルフェは、祭壇の方へと飛び出す。
ノエルは祈っていた。
半身は自分の血で濡れていたが、周りに飛び散った深紅の薔薇と同じ色彩が、かえってノエルの聖女らしさを強調していた。
「ヒール、ヒール、ヒール……間に合え。間に合ってくれよ」
重ね掛けする魔法にも手ごたえは無い。
だが、目の前で命を落としそうな人間がいる状況で、心肺蘇生措置をしない者など正義ではない。
ノエルは自らの正義によって、実に素直に勇気ある行動をとったのだった。
しかし、ソフィ・ゴーネッシュの華奢で小柄な身体には全く血の気が無かった。
紅い魔石は命を削る。
なぜ、彼女がオリテの指輪を持っているのかはわからない。
が、それがオリテのレインハルトたち王族の元からいつか盗み出された物であるのではないかと、ノエルは元刑事の推察力をもって気が付いていた。
金細工の見事さと獣人を模した凝った獅子の紋様は、明らかにそれが庶民の物でなく、歴史と伝統に裏打ちされた宝物であることを示していた。
ノエルはしばらくヒールを重ね掛けた。
しかし、花の中に横たわったソフィが全く動かないのを察して、だらりと腕を下に伸ばした。
これでだめなら、もう仕方がない。
ソフィは自分の手の届かないところに行ってしまった。
やるせない思いを抱えながら、ノエルは顔をあげた。
すると、そこには畏れや憐れみ、そして一種の軽蔑を秘めた仲間の目があった。
「え? 何、どうした」
「お前さ……」
モルフェのオッドアイがなんともいえない色を浮かべてノエルを見つめている。
「いや、分かってる。ごめんなモルフェ。お前にもいろいろあったのは分かってる。でも、目の前で命を落としそうなやつがいたら、どうにか助けようとするのは当たり前だろ。罪は生きて償うべきだ」
「お前、一番エグイな……さすがの俺でもちょっと……」
「なんと言ってくれてもいい。これが俺の正義だ」
叶わなかった蘇生。
しかし、とっさに回復魔法をかけたことに後悔はない。
「そうか……」
ノエルはモルフェに背を向けた。
我ながらかっこよすぎたかもしれない。
祭壇の近くでシーラが無事に保護されているのが見えた。
「良かった良かった」
「いや、良くねーと思うぞ……人としてお前、あれはさすがに……」
モルフェがグイッと小首をかしげたノエルの頭をつかんで、右に向けた。
そこには、ソフィが命をもってした死の禁断魔法の痛みに苦しむエリックがいた。
「ぐわああぁぁぁあっ! うっ! ギャアアアア!」
身体が燃え、溶けるように形を変える。
しかし、焼け焦げた肉は、瞬く間に再生し、再び元の形を取り戻す。
「グワアアアアッ!」
連続する回復に意識を失うこともできず、繰り返す再生の後に訪れる死の恐怖と苦しみがエリックを何度も痛めつけていた。
ノエルのヒールは強力だった。
最強の魔力を持つノエル・ブリザーグの全身全霊での回復魔法は、確かに良く効くようだった。
細胞が光り輝いて再生するたびに、エリックは激しい痛みに悶え苦しみながら、異形の怪物へと変質していった。皮膚は異様な色に染まり、骨格は歪み、目は血走っていく。
その光景を目の当たりにしたルーナは、顔を青ざめさせている。
カルラがルーナの目を覆い、見ちゃいけませんとささやいている。
修羅場を潜り抜けてきた魔剣士ランでさえ、口元を覆っている。
「えっぐ……」
とつぶやいては、恐ろしいものを見る目でノエルを眺めていた。
「いや、いやいやいや、ちが、だって助けないと……」
モルフェは冷たい視線をエリックに向けたまま言った。
「これがお前の《正義》か……正直お前を甘く見てたぜ、ノエル」
「いや、ちが……違って……」
ノエルは、言葉を失い、口を閉ざした。
モルフェはわざと言っているのかもしれない。
口端が少しだけ歪んでいた。
ランが落ちていた剣を壁にたてかけた。
「うーん、このくらいの角度でいいかな……直接映すと放送事故だよね。えー、ゼガルド市民の皆さん。そういうわけで、聖女ノエルが見えるでしょうか? えー、せっかくなのでコメントをもらいましょう」
「は? ん、いや、その」
「エリック王の拷問に耐えた上で、命を奪おうとした相手を助けようとした。反吐が出そうなきれいごと――ではなく、モルフェ様、睨まないでくださいよ。わかってます、わかってますって……美しい博愛ですね。そして、ゼガルドの民を苦しめ悪政を働いた王に制裁を与える力!」
「いや、あー、あのな」
「市民の皆様、直接映すことがはばかられるほどの断罪が現在行われています。音声だけでお察しください。しかしながら、これでゼガルドの王政は滅び、新たなゼガルドが誕生しました」
「や、だから、ちがってな」
「我々ゼガルドの民は、魔力を第一とする。この圧倒的な魔力を持つ聖女ノエルの加護により、身の毛のよだつような嘘くさい愛で――違う、モルフェ様ッ、踏みつけてください、わざとにきまってるじゃないですか! あ、無視しないでください、だめです、ちゃんとやりますから、いやこれもありかもしれませんけれど……ええと、とにかく! 聖女ノエル、やりました!」
広場の歓声が聞こえた気がした。
気づけばエリックの悲鳴が聞こえない。
ノエルは走り寄ろうとして、足を止めた。
激しい苦悶の末に、エリックがいた場所には――。
どくんどくんと不気味に脈打つ、巨大な肉塊が残されていた。
ノエルの両腕で抱えられるほどだ。
それは、かつてのエリックの面影を微塵も残さない、異質な生命体だった。
みゃっく、みゃっくっ、と謎の鳴き声を発している。
「こ、これ、なんだ……ホムンクルスみたいな……」
「キモチワルイです」
ルーナが率直に言った。
「キャッ! う、動きました! どうするんですか、これ。駆除していいですか」
「いや、待て。これがエリックだとしたら……」
「ヤダヤダヤダッ!」
とルーナが涙目になる。生理的に無理らしい。
「おいノエル、お前さすがにこれをどうにかするってのは無理があるんじゃないか」
モルフェが言った。
「これはもう切り捨てるのがお互いのためだろ」
「でも、殺してしまうのは」
「お人よしもそこまでいきゃあ残酷が過ぎるぞ」
ノエルは眉を寄せた。
人道的な行動がもはや分からない。
肉塊はぶよぶよとして不気味だ。
そして、突如気分が悪くなりそうな臭いの体液をまき散らした。
「キャアアアアッ!」
ルーナは怯えている。
その時、救世主ともいえる声がした。
「ノエル様! エリーたちは保護しました! 大丈夫ですか!」
「レインッ」
金髪のイケメンは後光を背負ってたいそう神々しかった。
ノエルがほっとして力を抜きかけたそのとき、一匹の犬によく似た魔獣が、騒然とする会場を駆け抜けてきた。
それは、アヴァが拾ってきた、モルフェに懐いていたあの魔獣。
テンだった。
その後ろからのんびりとアヴァが入ってくる。
「あっ! ノエルー! オイラたちさっき着いたんだ。ノレモルーナ城の隣にミソ蔵? が建ったって、ヤックさんが伝えてきてって言うからさ。なんだろう、広場でたくさんの人がいたよ。あれ? けがしてるの? って、ああああっ! テン! だめ、モルフェさん、止めてッ」
テンはぷよぷよとした肉塊の匂いを嗅ぎつけると、くんくんと鼻を鳴らした。
一目散に走り寄り、そして躊躇うことなく、肉塊にパクッと食らいついた。
「え」
「あっ」
「あ」
「あーーーーーー!!」
ノエルの悲鳴が、聖堂に木霊した。
アヴァが申し訳なさそうに駆け寄ってきた。
「ごめんねノエル、テンさ、まだ今日ゴハン食べて無かったんだよ。っていうかあれものすごくクサいね。何の肉? 変なもの食べちゃだめっていつも言ってるのになあ……」




