結婚式3
灼熱の炎がぶわっと広がった。
祭壇が燃え、悲鳴が聞こえる。
(まずい!)
信じられないことに、エリックの攻撃魔法の範囲はノエルだけではなかった。
炎がぶわりと膨らんだ。
ノエルは脊髄反射のように、無詠唱でバリアを放った。
斬り合っているモルフェは間に合わない。
ランが焦ったように小さなシールドを張ったのが見えた。
が、それでは足りない。
エリックは自爆しようとしているのか。
それとも、自分自身だけを守って、すべてを灰にしようとしているのか。
真偽はまだ分からないが、確実なのは――。
(ああ、やばい、これは)
攻撃魔法が飛んでくるその一瞬、ノエルはゆっくりと炎の塊が自分に向かってくるのをまるでスローモーションの映像を眺めるように見ていた。
この感じは確かに覚えがある。
それは前世の、あの時――死に際の感覚だった。
撃たれて意識が遠のく直前に見た走馬灯。
生まれてからすべての過去の記憶。
これまでの冒険の全てが、この僅かな数刻の間にノエルの脳裏に浮かび上がった。
バリアに覆われた向こう側の人々は無事だろう。
ノエルは安堵した。
しかし、間に合わない。
バリアのこちら側のノエルには、たとえ無詠唱でも、己のエネルギーを移動させる時間は無い。
どう考えても手詰まりだ。
ノエルは反射的に顔を腕で覆った。
頭の端でエリックが不敵に笑っている。
「だめだ!」
状況を理解したレインハルトの悲痛な叫び声が聞こえた。
走ってこようとしている。
でも――間に合わない。
「ノエルさん!」
「おい!」
ルーナとモルフェも顔色を変えて、こちらを向いたのが分かった。
振り向かなくても分かった。
一時でも同じ旅をした仲間なのだから――。
「ノエル様!」
レインハルトが怒号のように叫び声をあげた。
どうにも不思議だった。
(こんな令嬢の華奢な体で、前の俺とは似ても似つかないのにな。不思議なもんだ。あのとき銃に撃たれたときと、同じことを考えてやがる)
ノエルは笑んだ。
どうにも面白かった。
(レイン、ルーナ、モルフェ。コランド、アイリーン、マルク……俺と出会ってくれた、力になってくれたみんな。頼むぞ。俺がいなくても、悲しまないでくれよ。前向いて生きろよ。あーあ、情けねえな。死に際の後悔も同じだぜ。もっとおまえらに、ありがとうって言っておけばよかったな……)
その瞬間、不思議なことが起こった。
レインハルトの懐から金色の光が飛び出した。
それは魔剣だった。
エルフの矢に魂の入ったレインハルトの愛剣だ。
フラガラッハは意志を持ったように宙を飛び、バリアの手前で剣が落ちた。
そして、金色の光だけが壁をすり抜けた。
精霊の形となったフラガラッハは、ノエルと炎の間に入ると、それがまるで当然のことのように丸く平たい形になり、金色の盾になった。
バシュッ!
何かが受け止められるような、柔らかさを孕んだ音だった。
ノエルが目を開けると、精霊の光は黒くなっていた。
ポトンとその場に落ち、色が薄れていく。
ノエルは駆け寄った。
盾形になっていた光がふわりと集まって、球の形になる。
精霊は弱弱しい光を放ち、ノエルの手の中に入った。
レインハルトが駆け寄ってきた。
ノエルは黙ってレインハルトに精霊の光を渡す。
光はレインハルトの手の中でチカチカッと瞬いて、静かに消えた。
「防いだか」
エリックはつまらなさそうに言った。
「まあ、二度目は無い」
「うおおおおお!」
レインハルトが燃えるような覇気で斬りかかろうとした。
しかし、エリックはそれを簡単に片手で阻止する。
弾かれたレインハルトは容易く後ろに吹き飛んだ。
「レイン! だめだ! 来るな!」
ノエルは後ろに向かって叫んだ。
思っていたよりも強敵だ。
「なぜですか! 俺が――俺に魔力が無いからッ」
「そうじゃない! お前、一度頭冷やせ!」
「フラガラッハがやられたのに、冷静でなんていられない!」
「だからだよ!」
ノエルは怒鳴った。
「冷静じゃない奴は戦えねぇ! お前は下がってろ!」
レインハルトは悔しそうにしていたが、踏ん切りをつけると、その場にいた貴族たちを聖堂から出ていかせることにしたようだった。
モルフェやファロスリエン、ティリオンは魔剣士たちと派手にやりあっている。戦いが続くにつれて、炎やら氷やらが飛び散りまくっている。
避難誘導は必要だろう。
(敵はとってやる)
ノエルは拳を握った。
フラガラッハが身を挺して自分を守ってくれた。
(あのちっこい光に、俺は何にもしてやしないのに)
命をはって自分の命を守った、フラガラッハの生は何だったのだろう。
ぐちゃぐちゃになりそうな心を覆い隠すように、ノエルは深く息を吸った。
今は泣いている場合ではない。
とにかく、目の前の敵をどうにかしなくては。
しかし、不気味だった。
エリックは何の感情もない灰色の瞳でこちらを見ている。
命を命と思っていない者の目だった。
(《聖女》と結婚して諸国への発言権を得る……たとえ俺を殺しても……父王を殺したこいつならやりかねない。だが、エリックだって俺の魔力の強さは知っているはずだ……何かいやな予感がする)
「女なんて……おとなしく人形でいればいいんだ」
エリックがつぶやいた。
「バカだ。本当に頭が悪い……バカは黙ってりゃいいんだよ。僕が決めたことに頷いていさえすればいいだぞ。それなら大切にしてやれるのに」
ノエルはぐっとこみあげてきそうになる胃液を飲み込んだ。
「あのな小僧。……バカっていう方がバカなんだぞ」
「は?」
「お前さっきからバカバカばっか言ってるけどな。だいたい自分と違う常識もってる奴をバカだと思うんだよ。お前がバカって思ってるやつも、お前のことをバカって思ってるさ」
エリックは不敵な笑みを浮かべた。
「言いたいことはそれだけか? これを見ても同じことが言えるかな」
ノエルの背後から兵士たちが現れた。
兵士はエリックの隣に立ち、両腕に誰かを抱えていた。
それが誰か、ノエルにはすぐに分かった。
「シーラ!」
シーラはぐったりとして気絶させられているようだった。
「これはお前の乳母らしいな」
「卑怯だぞ!」
「何とでも言え」
エリックはせせら笑った。
「反逆罪だ。この女の家族も同罪にしよう。ただ、お前次第だ。さあ、この女を殺されたくなければ誓え。全ての権限をゼガルド王エリックに譲渡すると」
「そんなことしていいと思ってるのか。お前、王の器じゃねえよ」
「立場の違いも理解できないなんて、正真正銘本当のバカだな」
民衆はみな聖堂の外に避難し、この場にいるのはエリックの部下たちと戦いあっている者たちだけだった。
ノエルに向かってランが剣を放り投げた。
フラガラッハが入っていた剣ではなく、レインハルトが持っていた形見の剣だ。
「ノエルさん! これ!」
その瞬間、ランが敵の魔剣士に攻撃され、土風に紛れて見えなくなった。
ノエルは受け取って全てを理解した。
エリックが鼻で笑う。
「あさはかだな。剣一本で何ができる? 僕は魔法国家の頂点だぞ? 蟻がいくら努力しても蟻でしかない。何百匹集まろうが、蟻は獅子に勝てない」
いったいどちらが獅子だろうか。
ノエルはぎゅっと剣を握りしめた。
「お前が前の王様を殺したんだろ」
「……」
「父親なんじゃないのか」
「だからどうだっていうんだ? なぜいけないんだ?」
「お前、人の心が無いのか」
「僕の父も人を殺して成り上がったのに?」
ノエルは瞠目した。
エリックもある意味かわいそうな奴だったのかもしれない。
でも、だからといってこいつの思惑通りになるわけにはいかない。
「ソフィーと男爵を殺したのもお前だ」
「人聞きが悪いな。あの女は罪を犯したんだよ。魔石を使わせて人を殺し、封印された黒竜を放った……処罰するのは当然だろう。父親も同罪だ」
「それは本当にソフィーがやっていたら、の話だ」
「はは! 誰が証明できる! 権力を理解していないな。僕が言えば事実になるんだよ」
「シーラやエリーは何もやっていない」
「反逆者のお前たちに手を貸しただろう」
「手を貸してなどいない」
「そんなことはどうだっていい。いいか、事実は僕が決めるんだ。それが王だ」
「そんな王国に未来なんてない。国民が許さない」
「バカだな本当に。お前は」
エリックは憐れむように言った。
「国民にこんなことが知られるわけがないだろう? 何のために魔法があると思ってるんだ。都合の悪い記憶は消去するにきまってるだろう」
「それが国民に知られるとは思わないのか」
「僕や、僕の部下よりも魔力の強い平民はこの国にいない。平民に王が倒されるわけがないだろう?」
ノエルはレインハルトの形見の剣を突き付けた。
「それが何なんだ?」
「ここにお前の悪行が全て映っている。さっきこれを渡してくれたのは、魔女プルミエの一番弟子のランだ。街の広場に置かれた水晶玉に、今のこの景色が全部映ってるさ。美味いグレッド目当てにやって来た平民たちや貴族たちが、俺たちのこの会話を聴いてるぜ」
エリックの顔色が変わった。




