結婚式2
エリックの瞳がぎらついた。
「図ったな。それが狙いか」
ノエルは初接吻を回避したことに内心かなりの安堵をしながら、エリックを見据えた。
きらきらしいベールを頭からもぎとって床に捨てる。
ノエルの燃えるような赤い髪が露わになった。
「だったらどうするよ」
挑発的に相手を見ると、エリックは冷徹に言った。
「これは明らかな反逆だ。何をされても文句は言えないな?」
エリックが家臣を一瞥した。その瞬間、ノエルの介添えをしていた老貴族が、後ろから素早く動いた。閃光が弾ける。
「キャアアッ!」
客席にいた貴族たちが蜂の子を散らすように逃げ惑った。
ノエルがバリアを張るよりも先に事が動いた。
目にも留まらぬ速さで、老人はエリックの家臣の懐から、黒光りする魔暗器を掴み取った。
「なっ……!」
拘束された家臣は、錯乱したように身を捩った。
まさか老人が俊敏な動きができるなんて想定していなかったのだろう。
ノエルはふう、と息を吐きだした。
警戒は解かない。エリックは感情の無い瞳でいきさつを見守っている。
「離せ! この!」
家臣はじたばたともがきながら、拳を振り回し、魔力を込めた。
エリックによって、ノエルを最初から攻撃するように仕組まれていたのだろう。あまりにも手筈が良すぎる。
「ダークネスッ!」
黒い靄が渦のように集まり、一つの生き物のようになって集まっていく。
ノエルをめがけて飛んでいく黒い闇に、家臣はうっすらと笑った。
が、次の瞬間、パリンッと硬い物が割れるような音がした。
「……あ?」
靄が跳ね返り、家臣に戻って消滅する。
次の瞬間、透明がかった膜のような波動に包まれ、家臣の男は目を白黒させた。
「な、なんだ、これは……!」
男の体が拘束されたように動かない。
「さあ。パラライズでも、フリーズでも、好きに呼べよ」
老貴族に扮していたモルフェがつけ髭とかつらをはぎ取って、床に投げた。
無詠唱で暗器を氷漬けにして無効化していくモルフェを、信じられないようなものを見る目でエリックの家臣は見ていた。
見ていることしかできない……。
その刹那、エリックの冷酷な声が響いた。
「ドレイン」
次の瞬間、エリックの手から放たれた魔力が、家臣の体を貫いた。
悲鳴を上げる間もなく、家臣は床に崩れ落ちた。
生命力を吸い取られる人間の声にならない悲鳴が起こる。
「ヒール!」
ノエルは急いでヒールを放った。
駄目でもともとだが、何もしないよりはましだ。
家臣は床に倒れ伏して意識を失っている。
このままではいけない。
(な、何か詠唱ッ! イメージ!)
ノエルは家臣に向けてオレンジ色のエネルギーを放った。
「エッ……エー・イー・ディー!」
ドカンッとオレンジがかった四角い箱が家臣の上に現れて浮遊し、一瞬の後に雷撃が落ちた。
「えっ……」
ノエルは軽く握った拳を胸の前に重ねた。
イメージがあだとなったかもしれない。
しかし、衝撃で心臓に刺激が与えられたのか、家臣は息をしはじめた。
(あっ……良かった……)
ふう、と息をついたノエルは、キッと振り返った。
「エリック、お前ッ!」
ノエルは怒りに満ちて叫んだ。
「ドレイン、ってそりゃ禁忌の呪文じゃないのか!?」
他人の体力を奪って自分のものにする、王族のみに許された呪文ーー。
それを自分の家臣に放つなど、どうかしている。
「使えない駒は要らないだろう」
エリックはくだらなさそうに言った。
「女のくせに、汚い言葉を使うな。男のようで下品だ」
自分の血が燃えるように熱く感じられた。
ノエルは叫んだ。
「人間は駒じゃ無い!」
「本当にうるさいな。お前は僕をいらいらさせる天才だ」
「うっせぇのはお前の方だ。そういう相手の罪悪感を煽って支配しようとする奴はな、だいたい結婚詐欺とかモラハラ野郎かDV男って相場が決まってんだよ」
「何を言っているのか知らないが……よっぽど愚かだな。僕が何も考えずにお前との結婚を受け入れたと思ったのか? 何かあるとは思ったさ」
目の前の狡猾な男を見くびっていた。
ただの王の言いなりの王子だと思っていたが、内にはどろどろとしたどす黒いものを抱えていたのだろう。
だからといって、何をしてもいいというわけではない。
「エリック。お前の魂胆は分かってるぞ。お前は俺を監禁しようとしている。生命の有無はともかく、俺の署名で近隣諸国を動かそうとしているんだろう」
「はは、聖女の価値など……そうやって使わずして、何になるんだ?」
「腐ってるな」
ノエルは本心から毒づいた。
エリックは口角をあげた。
「女なんてつまらない。俺の母親は側妃だった。俺を産んだ後、父ではない他の男と不貞を犯して殺されたよ。ばかな女だ。女なんてばかばっかりだ。あのソフィとかいう女もつまらなかった。少し甘い言葉を吐けば権力にすり寄ってきた。お前にしたってそうだ。美貌ばかり鼻にかけて、近隣諸国の奴をたぶらかして楽をしてる。女は楽をして生きてる害虫だ」
ノエルはパチパチとまばたきをした。
天然記念物のようなやつだ。
「いや、別にたぶらかしてるわけではないぞ……っていうかお前、こじらせてんな……逆にすげぇな。いいか小僧、女が楽してんだったらお前は生まれてねぇよ。母ちゃんは確かにアレだったかもしんねぇけどな、十か月腹に入れてなきゃ子は出て来ねぇんだよ。ちっとはご先祖様に感謝してみろよ。そんでお前な、一度やってみろ。あの、月に一度必ず死にそうになる、血塗られた一週間が訪れるんだぞ」
「権力者に寄生して生きる奴らが何を言っても同じだ。突然結婚話なんて、何か目論見があるだろうとは思ったが……奴隷を解放するとはな。地下はゼガルドの魔剣士に守らせていた。警備が厳重だったはずだ。あそこから報告は無かったぞ。いったいどうやった?」
「ふん、お前に教える義理は無いが……お前の家来より強い奴が、世界にはいるってことだ。俺の仲間が、夜のうちにすべてを終わらせていた。獣人騎士団と魔剣士と、表に出ない影の人間たち、モルフェやレインやルーナ、イーリスやニコラ、それにお前も良く知ってるやつ」
「兄か」
エリックはすぐに言い当てた。
ヴェテル第一王子は地下に幽閉されていたはずだ。
そこを出るためにはいくつもの魔法のゲートをくぐらなければいけない。
ヴェテル王子特有の赤目、白い肌、そして顔かたちのすべてに反応する完全な魔道具を五つ、いや、それ以上設置しているのだ。
それに、国外へ輸送するとなればより目立つ。
夜に紛れていくら隠そうとも、王城から王子を乗せた馬車が出れば門番たちが報告にあげる。
「兄は――ヴェテルはどこだ?」
腹違いの兄。
あいつが何か協力をしたのだろう。
「いまいましい、できそこないが――」
「おいおい、焦り始めたか? そうだよな、まさかヴェテルが逃亡するなんて想像してなかったよな。だけど、チャンスをくれたのはお前だぞ? 山羊のチーズを送り返せなんて命令をしてくれて、どうもありがとうよ。今頃、赤目の魔鼠がチーズと一緒にマールの村に届いたはずだ。とはいえ、チーズ自体はヴェテルが齧ってそうだけどな……あれ、うまいんだよ」
エリックが虫を嚙み潰したような顔をした。
そのころ、貴族たちも大臣たちも悲鳴をあげて教会を出ていこうとしていた。
奴隷たちのショーを見るのとはわけがちがう。
壁もなく座席もない教会では、魔法の攻撃も斬撃もそのまま自分たちに降りかかってきそうだ。
が、エリックの家臣たちが出口に立ちふさがっていた。
「なんだ! 通せッ」
「今は神聖な儀式の最中です」
「そんなことを言っている場合か!? あんな……次は我々かもしれないのだぞ!?」
「ご着席を。歯向かうというなら王への反逆とみなします。粛清します」
「やめてっ! 押さないで!」
「どうして進まないの!?」
「攻撃をやめろ! 我々は貴族だぞ!」
「この後、ここに集った来賓たちとご一緒に記憶を消させていただきます。それまでは何人も出られないように」
「やめて! 早く出させてッ」
「あれはやりすぎだ! ノエル様はどうなるんだ。いや、ゼガルドは」
阿鼻叫喚だ。
そのとたん、扉が音を立てて外から開き、出口付近の家臣たちの背後から、何者かが切りかかった。
「ッ! 何者だ!」
それは男と女だった。
庶民の服装をしていたが、眉目秀麗な男の様子に、詰めかけていた貴族の女たちはそれぞれにため息をついた。
女の方は熊のような耳がついた獣人で、くるんとした睫毛に愛らしい表情を浮かべている。どことなく幼ささえ感じられるが、胸元は女性的でふっくらとしており、少女と成人女性の間のような若々しさがあった。しかし、手につけているナックルはギラッと黒光りしており、かなり重そうで厳つい。
女は得意げに鼻をひくつかせた。
「いいですか!? 花嫁をさらうのは王子様って決まってるんですよ!」
「ルーナ、騎士道物語の読みすぎじゃないのか。正直、あれはかなりちょっと……女性向けというか……率直に言うとかなり破廉恥だと思うんだが……それに俺は王子じゃなくてもう王で」
「レインさんは黙っててください! さあ! 私たちレヴィアスの女王とオリテの王がお相手です! そこをどきなさい!」
黙ったイケメンは剣を構え、出口をふさいでいたエリックの家臣に切りかかった。
その隙に熊耳の少女が貴族たちを出口へ誘導する。
攻撃しようと向かってくる家臣たちをナックルで粉砕している。
「なんだあれは?」
エリックが冷たく言った。
ノエルは、にっこりと微笑んだ。
「俺の仲間だよ。本物のオリテ王と、レヴィアスの女王様だ」
「では、来賓席のあれは……」
「ああ、あれも仲間だけど、レインとルーナじゃないぞ」
来賓席の机の上で、魔剣士のランと獣人のカルラが猛威をふるっていた。
「モルフェ様! 見てますか! ああ、同じ場所の空気を吸えるって最高ですね! ハァ、ハァ、いつもより空気が美味しい気がする」
「や、やだ……横の奴めちゃくちゃキモチワルイ……ルーナ様、ご無事ですか? お怪我なさらないようにしてくださいねッ」
カルラはルーナを気遣いつつも、攻撃してくるゼガルド兵士を体術でなぎ倒している。ランはモルフェを意識しつつも、魔法を使って確実に攻撃している。
その辺の兵士たちも、エリックの息のかかった魔剣士や家臣たちも、突然の刺客に慌てふためいていた。
エリックはため息をついて、祭壇の上、真正面からノエルに向き合った。
そして間髪いれずに手を振り上げた。
「灼熱爆発!」
エリックから炎の塊が、ノエルめがけて襲い掛かってきた。




