おっさんの嫁入り2
『あたくしの実家がロシュフォール公爵家であるのはノエルも知っていますね? ロシュフォール家は、オリテの王妃のマーニャ様をずっと支援してきたのです』
手紙には、オリテの王妃が代々王家に伝わる隠密部隊を使って調べたという、眉唾物かと思えるような出所の情報がつらつらと書かれていた。
『エリックは側妃の子。もともとエリックの母はあまり優遇されなかったと聞いています。エリックの母は曲線美が美しい女性でしたが、浮気癖が酷く、獣人の血をひく騎士と不貞を働いたことで前王の怒りをかって幽閉され、死去したのです』
「へー……この情報が本当だとしたら、強烈だったんだなあいつの母ちゃんも……」
ノエルの前世にしてみたって、親なんていないほうが良かったと思ったことがたくさんあった。養育能力が皆無の父母だったことに間違いはない。母は自分を無視して捨て、父にいたっては名前さえ知らなかった。
が、それでもハルさんがいてくれた。
「オメーは死なずに産まれてきた。母ちゃんがいて父ちゃんがいなきゃ生まれなかった。お前の親がどんだけクソだとしても、その一点だきゃあ感謝してる。俺はな、オメーに会えてよかったと本気で思ってるんだ」
恩人のその言葉に、心が溶けたような気がした。
記憶にないどこかの世界で、女が赤ん坊を抱き、それを男が静かに見守っている。
たった一瞬でも、ほんの僅かでもそんな過去があったことを想像できた。
そのとき、ようやく自分の呪いが解けたのかもしれない。
ランももしかすると、モルフェに会ってそんな思いをしたのかもしれない。
だが、エリックには誰もいなかった。
誰も――。
『あたくしたちは、エリックは前王の言いなりの意思の弱い男だと思っていました。けれど、野心もしくは復讐心があったのでしょう。まさか前王を手にかけるだなんて――、そんなこと、あたくしたちも思っていませんでした。ええ、前王がおかしな時に突然亡くなったのも、黒竜でレヴィアスの獣人の村が滅びかけたのも、ソフィー・ゴーネッシュに罪をなすりつけたのも、全てエリックの仕業です』
「まじか」
ノエルはかなり衝撃を受けていた。
獣人の村にあの黒竜ジャバウォックを差し向けたのがエリックだとしたなら。
ゼガルドの森の竜の封印を解き、その罪をソフィーがかぶらされていたのだとしたら。
「すげぇな小僧……腹黒にもほどがあんだろ」
親子関係をこじらせたやつが成長すると本当にやばい、というのは身をもって理解している。
自分だって恩人のハルさんに出会わなければどうなっていたか分からないし、前世では物心ついたときから恋愛などしてはいけないと確信を抱いていた。
結局親のあるなしではなく、ヤバイ親の記憶をずっと持ち続けている者が一番捻じ曲がるのだ。
ヤバイ親は幽霊のように子の心を壊して呪っていく。
呪いから逃れる術はそう多くはない。
ノエルはエリックが時折見せた、感情も光もない表情をふと思い出した。
『これからエリックが何をするか、どう出てくるかです。ゼガルドはいよいよ危険です。新しい法律が制定され、国民は自由に国内外を行き来することができなくなりました。魔力のある有力な国民のみが優遇され、魔力のない者は追放されるか、地下に運ばれています。賢いノエル、あなたならもう気付いているでしょう? 闘技奴隷の数が増えているのです。どういうことかわかりますか? 魔力のない貧民が、ゼガルドの国民が、魔力によって戦争の駒にされているのです。国民奴隷化計画です――なんという恐ろしいことでしょう』
「えぐいことしやがるな……」
ヴェテルが幽閉され、エリーたちがこのまま『駒』になるのを黙って見ているわけにはいかない。
ノエルは戦が我が事として迫ってくるのを感じていた。
『あなたがレヴィアスやらロタゾやらを侵略したせいで、エリックは気がたっているでしょう。きっと次はゼガルドの番だと思っているにちがいありません』
「いや侵略って! 人聞きが悪いぞ!」
ノエルの脳裏にカエルの顔をした某軍曹がよぎった。
別に世界征服をするために生きてきたのではない。
ただ、ささやかに美味しいものを求めて旅をしてきただけだ。
結果的に大陸の大部分と繋がりを持つことになっただけである。
「ゼガルドのメシ、そんなにだったもんな……酒はあったけども」
水がないところで穀物や野菜やらが発展するわけはない。
ゼガルドは水という資源の少なさを魔力で補っていた。
ノエルにしてみれば旨味はない。
親がおり、弟がいるから籍を置いていたというくらいのものだった。
アイリーンの手紙は続いていた。
『オリテに戻ったヴェテル様の母、前王の妃のマーニャ様はロシュフォール公爵家とレインハルトーーレナード王が保護しています。マーニャ様によると、エリックはヴェテル様を幽閉して人質にとっている。かつて自分の母を幽閉した王のように、エリックはヴェテル様を幽閉して殺す気なのかもしれません』
「あー……まあ、あの腹黒小僧が考え付きそうなことではあるよな」
ノエルは正直に感想を漏らした。
ノエルは雲のようなふわふわソファにあぐらをかいて、ぶつぶつ独り言を言った。
「話は分かったがだからってなんで俺が嫁入りなんだよ……復縁なんて今日び流行んねぇぞ……」
『いいですか、ノエル。あなたを危険にさらしたくはありません。本当ならあたくしたちの懐でずっと、傷がつかないように守ってあげたい。ですが、エリーやシーラやコランド……それに罪もないヴェテル様。あたくしたちにはゼガルドで大切なものができてしまった。マーニャ様にもです。オリテ国は全面協力すると申し出てくれました。ロシュフォール公爵家も、家の威信を賭けてこの戦いに臨みます』
「おいおいおいマジかよ。外堀がもりもり埋まってるんだが。高尾山くらい土が積みあがってるんだが」
『あなたが本気になれば、レヴィアスにもラソにもロタゾにも協力を要請できるはずです。ちなみに、あたくしたちの愛すべきタルザールの独裁者も全面協力してくれると言質をとっています。可愛いノエル、今こそ平和のために立ち上がるのです。エリーの可愛い赤ちゃんに会いたくありませんか?』
「最後のはズルいだろ!?」
ノエルは叫んでいた。
今回の外堀は埋まるを通り越して、富士山くらい土が積み上げられている。
しかし――。
コランドとアイリーンは、赤ん坊の自分が父親と母親を求める気持ちを、十五年間ずっと満たし続けてくれた。
そりゃあコランドの腹回りは年々はち切れそうに膨らんでいったし、アイリーンの宝石趣味はちょっと異常な程だった。二人とも忙しく、シーラやエリーに子供たちの世話をさせることも殆どだった。
しかし彼らは一種の同盟のように、家庭という組織をうまく回していた。
自分たちと、自分たちの子どもたちのために。
十五年間も、だ。
「まあ……恩しか無いんだよなぁ……」
ノエルはぐしぐしと頭をかいた。
もう紛れもなく、アイリーンとコランドは自分の『親』だった。
親に愛されたくない子がいるだろうか。
褒められたくない子がいるだろうか。
役に立ちたくない子がいるだろうか。
そんな訳はないのだ。
生まれなおして初めて、ノエルは根源的な自分の欲求に気付いた。
前世で満たされなかったものを満たしてもらった恩の重さが、どっしりと体に入っているような気がした。
エリーの膨れた腹が頭に浮かぶ。
あの腹の中に入っていた子が、奴隷になる未来がすぐそこまで来ているとしたら。
「……やるかぁ」
泣きそうな声で言ったノエルは、どっこらしょいと立ち上がった。
ここしばらくの怠惰な生活で緩んだ肉体を、引き締めにかからなければならない。
最後の大仕事が始まろうとしていた。




