父親母親
「まさか自分の娘が聖女になるとはなあ……」
コランド・ブリザーグ伯爵が呟いた。
彼らは商人の国タルザールに城を構え、自分たちで悠々自適な生活を送っていた。
妻のアイリーンによる『極めて貴族らしい』生活といったところだ。
切り出す石もアイリーンが直々に見に行ったほどの熱の入れようだった。
タルザールの独裁者リーヴィンザールの庇護もあって、ブリザーグ家はワクワクとドキドキの新生活を謳歌していたのだった。
「あの子はあたくしのとっておきの宝物ですもの。皆が価値に気づくのが遅すぎたくらいだわ」
アイリーンが優雅にティーカップを傾けた。
海の向こうから来たカップには、独特の不思議な文様が入っている。
コランドも同様にカップを傾けた。
香ばしい匂いが鼻いっぱいにふんわりと広がる。
ここタルザールの食事はかなり良い。
ゼガルドの茶も悪くはなかったが、やたらと高級だったし、水さえも金を出して買っていた。
しかし、タルザールでは新鮮な水が街の井戸から無料で汲めるのだ。
コランドは垂れ目をいっそう細くした。
先祖代々、小金持ちであり守銭奴であれ、というモットーをコランドは律儀に守っている。
それも自分の息のかかる範囲の話であり、自分以上に稼ぎ、金を湯水のように使う妻の前ではそんなものは便所紙以下の価値しかなくなってしまうが――。
「君が子供たちを愛してるのは知っているよ」
「ええ。ノエルもマルクも素晴らしい子どもたちだわ」
「にしても、だよ。あんなに有名人になってしまうなんて。大丈夫なのか、暴漢に襲われたりしないのか。やはり護衛の数を増やした方がいいんじゃないか」
「心配ないわ」
と、アイリーンはそっけなかった。
「しかしだなぁ。あれでも美しくも愛らしい年頃の令嬢なんだぞ」
「モルフェという凄腕の護衛がついているわ。地下の闘技奴隷をしていたのだそうよ」
「そんな血なまぐさい奴と!? しかも若い男だろう!? うちのノエルに手でも出したら……いかん、やっぱりそんなやつはやめてきちんとした兵士を」
「窮地に陥ったときに役立つのは、男の腕力より忠義心よ。それはモルフェの方だってきちんと心得ているわ。マルクの話だと、モルフェはノエルに命を救われたそうよ。あのオリテの薬を使って……闘技奴隷ならなおさら、自分を地獄から救った『聖女』に忠義を尽くすわ。これ以上役立つ護衛がいて?」
アイリーンは冷静に分析し、握りこぶしくらいある魔石を加工したネックレスをいとおし気に撫でた。
「それに……あの子は一人じゃないもの。あなたもご存じでしょう」
「ううーむ」
コランドの負けだった。
というか、妻に口で勝てたことなど一度もない。
仕方なく髭を触って、手持無沙汰なのをごまかした。
アイリーンはわずかに眉をひそめた。
「それにしても、エリーからの連絡がないわね」
「ああ。少し心配だな。エリックは政治的に暴走している。あのままではゼガルドは遅かれ速かれ自滅するだろう。エリーをこちらに呼び寄せてやればいいじゃないか」
「何度も打診したわ。でも、シーラたちが離れたくないのですって」
「正気か? 命以上に守るものはないだろう」
「あたくしたちはそれでよかったのよ。でもシーラたちは……お墓と家を守りたいのですって」
「くだらない」
コランドが吐き捨てた。
「そんなものにこだわって何になるんだ」
「大事な人たちだっているのよ」
「エリーと夫のルドルフくんや子供だけでもどうにかならんのか」
コランドはいらいらとしていた。
「エリーたちはシーラを残してはいかないでしょうね」
「頑固者どもめ! マーニャ様を見習え。子と離れ離れになり、オリテに追放されてなお逞しく生きておられる」
マーニャは、魔力が無い王妃だった。
ゼガルドの新しい法律によって、オリテに追放されてしまったのだ。
コランドは『騎士道物語』のヒロインにそっくりなマーニャ王妃への思い入れが強いようだった。
アイリーンは、オリテに追放されていったマーニャの微かな笑みを思い描いた。
「まるで誰かに仕組まれていたかのようにぴったりのタイミングだわね」
アイリーンはカップを置き、美しい壁の花の絵を見ながら考え込んだ。
オリテが滅び、レオンハート、新しい王が即位した。
レオンハートのお母上のターリャ様と、マーニャ様は姉妹同士。
支援者だったロシュフォール公爵家もタルアール領へ亡命済み。
マーニャ様を庇護するゼガルド王は死去。
第二王子エリックの暴走で魔力のないものは去るようにと法律が出て、王妃はゼガルド国外に追放。
実子のヴェテル第一王子はゼガルドの地下へ置き去り。
「悲劇のヒロインにしたってお釣りが来るくらいね」
コランドは自分に酔って、祈りのポーズをしていた。
「ああ、おかわいそうなマーニャ様!」
「ほらね。マーニャ様に罪はないけれど……こういう愚かな男のせいで、馬鹿気た芝居が続くのよ」
「何か言ったか? アイリーン」
「いいえ、何でもないわ。少しお茶が冷めてしまったかしらね」
すぐに近づいてきた執事の男に、アイリーンはてきぱきと指示した。
「お茶を温かい物に変えてくれるかしら? それと、一緒に紙とペンを持ってきて。手紙を書くわ」
「ノエルへの近況報告かい」
平和ボケしたコランドが呑気に訊いた。
「そうね。近況と……それと、ちょっとした『お願い』よ」
アイリーンは微笑んで言った。
ノエルならきっと頼みをきいてくれるはずだ。
大切な『お願い』を……。




