新しい法律
ゼガルド王国に新たに定められた法律は、国民たちの予想を遥かに超えるものだった。
市場に果物と野菜を買った帰りだったエリーは、広場に立ち寄って看板を見た。
「ばかげてるわ!」
エリーは思わず声に出していた。
さすがに限度が過ぎる。
近くにいたゼガルドの兵士がジロリとエリーを睨んだ。エリーはぎくりと体を強張らせた。
「そこの女。何か今、反抗的な言葉を言ったか?」
兵士が近づいてきて、剣をちらつかせながらエリーに尋ねた。尋ねたといっても、それはほとんど脅しのようなものだった。
反逆罪に問われれば、平民のエリーは即牢屋行きだ。
「い、いいえ……何も。『日が照っているわ!』と言ったのです。あまりに暑いと、せっかく買った果物が駄目になってしまいそうで」
エリーがにっこり笑って言うと、兵士は興味を失ったように去っていった。
エリーは胸をなで下ろした。
こんなところで油を売っているわけにはいかない。エリーはそそくさと広場を立ち去った。
しかし、あまりにも酷すぎる。
エリーは遠目で広場に立てられた看板を見た。子どもも大人も、絶望した表情で立て札の周りに集まり、諦めて離れていく。
立て札には信じがたい条文が並んでいた。
一、
獣人は皆国内から追放することとする
魔力の無い者も同様とする
一、
国民はゼガルド産のものしか食べてはならず、極力ゼガルドのものを使用すること
一、
エリック王の家来は魔力のある者に刷新する
魔力の強い男女は登城しゼガルドのために力を尽くすこと
以上
守られない場合は反逆罪として捕まることもあるので留意されたし
*
立て札の近くで、あごひげをたくわえた中年の男が声高に叫んでいた。熱に浮かされたように瞳を潤ませている。
「我々ゼガルド国民は皆、一つの理想に向かって進むべきだ! 多様な種族など不必要である! 今こそ魔力持ちによる、強く美しいゼガルドを作るときなのだ!」
男は自分の演説に酔っているようだった。
しかし、おかしなことに周囲には人が集まっていた。魔力至上主義の国民は一定数いるのだ。
「エリック様は公平な方である! エリック様は后を魔力がないからという理由で追放された! なんという合理的な判断であろう」
エリーは顔をしかめた。
新しい王は、国民を徹底的に管理しようとしている。魔力のない者や獣人は、まるで不要な存在のように扱われて、国外へ追放されていた。
ゼガルドは、今や二つに分断されていた。魔力の豊富な一部の者たち、つまり殆どが貴族だが、彼らは以前と変わらない生活を送っている。しかし、その他多くの『そこそこ魔力のある』者たちは、犯罪に手を染めなければ生きていけないほどの状況に追い込まれつつあった。
エリーは、エリックのやり方に怒りを覚えていた。エリーだけではない。ゼガルドのほとんどの人民がこれではいけないと感じていた。格差は広がるばかりで、王族や貴族だけが特権階級として私腹を肥やしていく。
街を歩くと、以前は賑わっていた市場も、今は閑散としていた。人々は、怯えたように肩を寄せ合い、小さな声で囁き合っている。
「獣人を追放して、本当に良くなるのかしら?」
「力仕事は俺達が魔力でやれってことだろ」
「王妃様もオリテに送り返されたって話だぜ」
エリーはとぼとぼと屋敷への道を歩いた。
ロシュフォール公爵が国外へ逃亡することが決まったとき、エリーたち使用人も一緒に行かないかと打診があった。しかし、エリーはゼガルドに残った。義母のシーラが生まれ育ったゼガルドを愛しているのを知っていたからだった。それに、生まれたばかりの小さな子を抱えて、知らない土地に行くのはなるべく避けたい。
だけど、そんなことも言っていられないかもしれない。このままでは……。
「お恵みください」
突然、背後から声が聞こえた。エリーが振り返ると、薄汚れた男が立っていた。
もはやただの乞食くらいでは誰も動かなかった。魔力が無い者がどうなっても、王族には関係ないのだ。
エリーは静かに紙袋から果物を出した。
子どもの手のひらにのるくらいの小さなオランジュだった。
「ごめんなさい、これしかないの」
「オランジュ……あんた、裕福なんだな」
男は舌打ち混じりに呟いた。ゼガルドの治安は、悪化の一途を辿っていた。
国内の需要を高めるとして、他国のものを入れることをしなくなったので、国民に物資が行き渡らなくなっていた。
今や野菜が食えるのは裕福な者だけだ。
市場の露店に並ぶ野菜は、どれも高価で、貧しい者たちには手が出せない。
町の外れにあるスラム街は、特に酷い状況だった。崩れかけた家々が密集し、悪臭が漂っていた。人々は、ゴミ捨て場を漁り、わずかな食料を探していた。子供たちは、飢えと寒さで泣き叫び、大人は、無気力にうつむいていた。
エリックは、スラム街を「不浄の地」とみなし、定期的に兵士を送り込んでいるらしい。
魔力の強いゼガルドにする。
不必要なものは地下へ。
エリックの目的は、魔力の強い者だけが生き残る、理想の国を築くことだった。
エリーは家に戻り、くらくらしながらソファに倒れ込んだ。
最近あまり栄養が摂れている気がしない。
ゼガルド産の食材だけで作られた料理は、どれも味気なかった。
水資源に乏しいゼガルドには酒くらいしかない。
「いったいどうすれば……」
エリーの頭に、美しい令嬢の顔が浮かんだ。天使のように愛らしく、誰よりも賢かったお嬢様。思えばゼガルドを離れて正解だったかもしれない。あのままエリックなんかの妃になっていたら、地獄だったにちがいない。
あの子は今どこで、どうしているだろうか。




