かわいいだけじゃ、だめですか
ノレモルーナ城の食堂には、穏やかな夕食の時間が流れていた。モルフェとノエルの作り出した『ちょっとあったかくて消えないランプ』――例によってモルフェが名前がクソダセェと言った――の温かい光が、楕円形の食卓を照らしていた。
「おいノエル。確かにあいつ――アヴァはすげえな」
ノエルが口端のソースを雑になめとりながら言った。
「素速く正確に肉を分けるのはかなりの経験と技術がいる。どういうふうに生きてきたか知らねぇが、魔法もなしに血抜きや腑分けができるようになるためには、よっぽどの努力だ」
ノエルはもっちゃもっちゃと食べていた肉の残りをごくんと飲み込んだ。
「アヴァは一人になってから、森で隠れて生きてたんだってさ。そこをカシウスたちに見つかって保護されたんだよ。親御さんたちの教えとか民族の風習とかもあるんだろうけれど、とにかくよく生き残ってこれたよ。あんな小さい子がなあ……これからは娘らしい時間をいっぱい過ごして欲しいぜ」
ノエルは食後の花の薫りのする茶をゆっくりと口に運ぶ。
緑茶があれば最高なのだが、こんな異世界でいちいち贅沢は言えない。しかし、紅茶のようなものがあるならば、やりかたを変えれば緑茶や抹茶なんかもできるのではないか。
いつかは作ってみたい、とノエルは密かに野望を抱いた。
(結局やーっっぱり最終的に食べたくなるのはモツ煮込み的なモンなんだよな……味噌は無ぇのかな……無ぇよな……ゆず胡椒は……いや柑橘はあったんだからどうにか)
そんな内心は今、令嬢の美貌に覆い隠されている。
ノエルは薔薇色の頬をほんのりと色付かせて食後の口直しのクッキーを食んでいた。
向かいに座るモルフェは、手づかみで果物にかじりついている。礼節からはほど遠い位置にある男だが、不思議と下品には映らず、どこか動物的な秩序があるのだった。
その静かで穏やかな光景は、城の中にいることを忘れさせるほどだった。しかし、その平和な光景とは裏腹に、食堂の床では、小さな異変が起こっていた。
モルフェがチッと舌打ちをした。
「おい。もう限界だ。このけむくじゃらを外につまみ出していいか?」
「だめだ。アヴァが悲しむ」
「俺は悲しんでもいいのか?」
モルフェが哀れっぽく言った。
「さっきからずーっとくるぶしが生暖かいんだぞ。ふわっふわふわっふわしやがってくすぐってえ……いい加減にしろよ……こいつ魔獣なんだろ……俺の足を噛み千切るんじゃねえのか……いいのかお前は自分の家来の片足が無くなっても」
「そんなことしないだろ」
「お前にこいつの何が分かるんだ!? だいいちなんなんだこいつ。コボルトでもハービィでもない。勿論ボアでも……得体のしれねぇもんを」
それは、犬によく似た姿をしていた。
ふわふわとした灰色の毛並みに、朝露に濡れた木の実のようにつぶらな瞳。しかし、その背中には小さな翼が生えており、時折、嬉しそうに尻尾を振る。時折、獣の大きめのしっとりした鼻がぴくぴく動いた。
「いや、俺らがいない間、城の厨房に迷い込んできたっていうからさ……」
ノエルがももごもご言った。
「なんで保護してんだよ」
「そのときはまだ小さかったんだって。かわいいじゃん。いいだろ犬の一匹くらい飼ってやれば」
「犬じゃねえ! 魔獣だ! なんだ、ここにはバカしかいないのか? かわいいからって得体のしれねぇもんを受け入れるなよ」
「だってさあ、厨房のコックにも懐いてるみたいだし、アヴァだって嬉しそうだったし」
「食い物としてじゃないのか?」
魔獣は、ノエルとモルフェの足元を交互にうろつき、時折、鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。そして、最終的にモルフェの足元にたどり着いたのだった。
モルフェが床が真っ二つに割れるくらいの殺気を放つ。
ノエルは思わず身をすくめたが、魔獣には全く効いていなかった。すりすりと、まるで子犬が母親に甘えるように、モルフェの足にすり寄る。
「グアアァァウ」
地を這うような低いうなり声が聞こえた。
ノエルはわずかに緊張感をもって、魔獣を見た。
モルフェは、少し顔をしかめ、眉をひそめた。しかし、魔獣は、そんなモルフェの様子を気にする様子もなく、嬉しそうに尻尾を振り続けている。
そして、モルフェの方を振り返ってフンッと鼻を鳴らした。
業を煮やしたモルフェが爆発した。
モルフェは舌打ちをして足を振り上げたが、当然のように魔獣はするりと交わした。
モルフェは苛ついていた。
「くっそ……あの変態野郎がようやく居なくなったってのに」
「モルフェ、ランのこと変態野郎って言うのやめてやれよ」
魔剣士のランはモルフェに懐いていたが、今はレヴィアスやオリテに『お使い』に出ている。調整が終わった通信機器を運んでいるのだ。
「こいつも何かの役にたつかもしれないだろ」
ノエルは、そっけない口調で答えた。しかし、その視線は魔獣に向けられ、まるで子供をあやすように、そっと足を動かした。ふわふわした感触が気持ち良い。
「名前つけてやらなきゃいけないなあ」
ノエルは魔獣の頭を撫でた。魔獣は、目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
ノエルが魔獣とのどかに過ごしながら、酒蔵や茶畑や味噌蔵の建設を考えていたころ。
ゼガルドではとんでもないことが起こっていた。




