マールの生活とアヴァ
「なんだか塩って灰みたいだね」
食卓の硝子瓶に入れた細かい岩塩を見ながらアヴァが言った。
これはノエルの指示によって、ノレモルーナ城の職人たちの手によって串焼きに最適な状態の大きさに砕いてある。
アヴァがむしっむしっとすさまじい食欲で肉やら野菜やらを食べるのを見ながら、ノエルは幸せを感じていた。
これからは灰ではなく、美味い肉と岩塩を見ながら育って欲しい。
「何にやついてんだよ」
口端にソースをつけながらモルフェが気味悪そうに言った。
「笑ってないで早く食えよ」
「焼いた肉は逃げないの。いや、な、自分が美味いもんを食うのもいいが、お前らみたいな若いやつが幸せそうにむしゃむしゃ食ってんのを見るのもまた一興だなと思ってな」
「だからお前は幾つなんだよ」
モルフェが呆れた。
「時々、伯爵令嬢じゃなくてジイサンと話してるような気になるぜ」
「ジイサンはやめてくれ。せめておっさんで」
「どういうこだわりだよ……」
ハアァァとモルフェがため息をついた。
アヴァはおなかがいっぱいになったようでうつらうつらしている。
「アヴァ、風呂入ってくるか?」
「うん……ノエル、お風呂って初めて入ったけど、最高だね……オイラいつも溶けそうになっちゃうよ。あの石けんってやつも良い匂いがするし……」
「危ないからほんとに寝るんじゃねぇぞー。あともう分かったと思うけど石けんは食べ物じゃないからな。しっかり体洗えよ!」
「ふあい」
ずいぶん平和になったものだ。
ノエルはよたよた歩いていくアヴァの背中を見送った。
ノレモルーナ城のあるマールは小さな村だが、風呂とトイレと食事だけはどこの国にも負けないとノエルは自負している。
前世日本人としては、これだけは譲れない。
本当ならば土足も禁止にしたいが、そこは周囲に配慮して、言わないでいる。
ゼガルドの実家は美しくきらびやかで、貴族の世界は贅沢で不思議に満ちていた。
が、正直なところ、汚かった。
これは理屈ではなく、東洋の島国で培養されたおっさんの感覚的なものである。
ノエルは、自分の部屋の中では絶対に素足でいたい。たたみなら尚更良い。
風呂は浄化魔法でなく、湯船に浸かりたい。できたら木でできたやつがいい。
食事は冷たいグレッドのはしきれではなく、温かいものをかきこみたい。
できれば熱々の串焼きと冷えたルアンノ・セルガム酒があれば最高だ。
トイレは狭くても良いから、いつも清潔なところがいい。ようやく慣れてきたが、月に一度は血だらけになる令嬢の身体にはウォシュレットが必須である。
いくら浄化魔法があれども、気持ちとしては大仕事の後は紙で拭きたい。
そのようなおっさんのささやかな習慣的欲望が、このノレモルーナ城を発展させていた。
莫大なノエルの魔力とおっさんの転生というイレギュラーが、この異世界にそもそも起こるはずのない謎の無駄な奇跡をもたらしていた。
「だいぶマールも豊かになったなあ。町にウォシュレットトイレもできたし、公衆浴場も作ったし、湖から水道もひいたし……ごみの施設だって、病院だって建て直したしぃ……でもなあ、食事はタルザールとどっこいどっこいかなあ。まだ負けてる気がするんだよな」
何よりセルガム酒を醸造できていないのが痛い。
「酒蔵を作りてえ……」
「おい、ノエル。これからどうすんだ」
モルフェが言った。
「んー、とりあえずはリーヴィンザールに連絡をとるだろ」
言葉にするうち、ノエルの脳内では少しずつ計画が形になってきた。
「プルミエのあの機械をダシに、力を貸してもらう」
「兵を増やすってことか。そりゃレヴィアスの獣人だけじゃ、さすがに足りねぇか。あのゼガルドを相手にとるんだからな……ロタゾはお前の息のかかった人間に預けてる。オリテはともかく、ラソとタルザールにも共闘してもらわねぇと」
ノエルはキョトンとして、額に思いっきりしわを寄せた。
「兵? 何だそれ。そんな屁の役にも立たねぇもんはいらねえ。俺が言ってるのは、セルガム酒のことだよ。セルガムの! どうにかしてポフポフを分けて貰いてぇな。タルザールに売ってたんだ。珠玉のポフポフ……あれが麹菌のよーな役割を果たしているはずだ。驚けモルフェ、俺は既にあのとき見抜いてた。リーヴと初めて出会ったときに、既にだ。ふふ、あれさえあれば、ここレヴィアスの地にも……」
モルフェは言いたいことが千程あるような顔になったが、黙ってシトロン水をぐびっと飲んだ。
床からチャカチャカと爪の音がした。
モルフェが眉を寄せた。




