小さなすれ違いボタンの掛け違い
モルフェとノエルは額を付き合わせて考えてみた。
「『エリックは姫になりたがっている』ってどういうことだ?」
「エリックってのはあの噂の王子だろ。あいつが姫になりたいってのはつまり」
「ああ」
ノエルたちは顔を見合わせた。
「エリックは」
「女になりたい」
ノエルはハアァッとため息を吐いた。
「性同一なんちゃらってやつか。そのわりにはあいつ、俺という婚約者がいながらソフィーに手出してたぞ」
「ノエル、世の中にはいろんな奴がいんだ。男だけど女になって女を愛したい奴がいたっておかしくねぇ」
「なるほどな……王族だからな。おいそれとやりたいようにはできねえってことか。本当なら王子じゃなくて姫になりたいと」
「そうなると、エリックが王を暗殺して玉座を奪ったのも納得できるぞ」
「そうか! 父親に【姫化】を反対されカッとなった末の犯行ってわけか。よくあるやつだ」
「じゃあ急げってのはなんなんだ」
再び、二人は目線を合わせた。
かつて、レインに『計算高いものじゃない方』と区分された二人、名付けて『じゃない方』の二人が揃った結果、
極めて『じゃない』方角に結論は向かっていた。
ノエルが声を潜めて言う。
「エリックが姫になってしまうから急げってことだ。姫になるっつーのはつまり……エリックのエリックが」
「身も心も姫に、ってことか」
モルフェが眉をひそめる。
野生的な表情に影が落ち、凄みが出る。
「後戻りはナシだ。髪切るのとは訳が違う。モノがモノだけに切り落とした後でやっぱりやめたはできねぇぞ」
伯爵令嬢ノエルは、物憂げにエリックの下半身を想像した。
実際に見たことは無いが、姫になりたいということは……。
エンコ詰めどころではない。
同じ言葉がノエルの心にこだまのように浮かんでくる。
エンコ、エンコ、チ……。
ノエルは、股間の無いはずのモノがヒュンッとなり、思わず下腹部を押さえた。
内なる『おっさん』の記憶が呼び覚まされそうになる。
「ああっ、そういう意味での『急げ』ってことか!?」
ノエルは合点して、そのままの姿勢でモルフェをじっと見上げた。
モルフェは可哀相なモノを見る目でノエルから目を逸らした。
そっとワンピースから手を離し、唇に手を当て、令嬢のポーズをとってみるが時は既に遅い。
「いや、でもさ、ヤバイ政策を打ち出してくる王族の子孫なんて増えねえほうがいいんじゃないか。そうだとしたら、これは最善手かも」
ノエルは呟くように言った。
ゼガルド王家は第一王子のヴェテル、そして第二王子のエリックが男児であとは女児だ。
正妻の一人息子のヴェテルはともかく、側妃の長男であるエリックの系譜を受け継いだら、ろくでもない者が増えるに決まっている。
謎の手紙の秘密に迫るためには、この危険な話題を避けては通れない。
ノエルは珍しく考え深げに言った。
「ゼガルドのためには、手紙の言う通りに動かない方がいいのかもしれねぇぞ」
モルフェが頷く。
「そうだな。いっそこのまま姫化したほうが国民のためになりそうだ」
「あれ? そうとしたら、じゃあこれを送ってきたのって誰なんだ。だって俺のオヤジ……お父様は、エリックを助けようなんて思わないはずだ。思いっきり距離をとりたがっていたし、今更アイツのことを気に掛ける義理だってない」
思えば小包もおかしかった。
上質な布で包まれていたが、本当にコランドからであれば、中に手紙やら贈り物やらが入っているはずだ。
差出人は無かった。ならば、ノエルのところにあれを送ってくるのは。
「まさか……『先生』!?」
ノエルはぱっちりとした瞳を揺らがせ、長いまつげを上下に震わせた。
そうとしか考えられない。
ゼガルドの王室の刻印の入っていた上質な紙に覚えがある。
ノエルは『騎士道物語アナザーエディション(略)』をペラペラとめくった。
奥付の著者名のページの紙と同じ手触りだ。
刻印さえ除けば、完全に同じものだといえる。
「先生が、俺に知らせてきたってことは……」
ノエルは考え込んだ。
上等な白磁のようなきめこまかい額に僅かにしわが寄る。
考えろ……考えろ……。
「うーん……」
「どうだ、ノエル。何か分かったか」
「うーんうーんうーん」
ノエルの紅い髪はもはや着火しそうだった。
それくらい頭をゆだたせたノエルは、ガタッと立ち上がった。
「……全然、分からん!」
考えても分からないものは仕方が無い。
「まあとりあえず、エリックが女になりたいって情報はゲットだな!」
ちょうどモルフェの腹がぐるるるると鳴って、話題は昼飯のことへと自然に転換した。
*
「ヴェテル様、ご機嫌ですね」
「そろそろノエル嬢のところに、僕の愛を込めた新刊が届いたころかなと思ってさ。いやあ、ちゃんと気付いてくれたかな?」
「まあ、さすがに……ゼガルドの王立の学院を出た令嬢ですから、さすがにあのような簡単な比喩は読めるでしょう」
「意外と言葉通りに読んでたりして」
「はっ? つまりは、エリック王子が女になろうと……? どんな脳筋ヤロウでもそんな考えにはいたらないと思いますが」
「いや、分からないよ。リーヴの話によると、ノエルというあのお嬢さんは、いつもとんでもないことをやらかすみたいだから」
ヴェテルはリゲルから渡された茶をずずっと音を立てて飲んだ。ゼガルドの城の地下が彼らの生活空間だ。
その下には広大な闘技場と奴隷たちを囲み込んでいる牢屋のようなだたっぴろい空間がある。
色素を持たない第一王子ヴェテルは日光に弱く、外へ出て行けない。
しかし、彼は彼なりに、この生活を楽しんでいた。
「うーん、この緑色のお茶はなかなか良い香りがするね。砂糖を入れないのが本場の飲み方みたいだよ。リゲルもどう」
「俺は結構です」
「あっ、そう」
と言って、気分を害した様子もなくヴェテルは再び茶を飲んだ。
リゲルが近寄り、声を落として囁いた。
「ヴェテル様。教えていただきたいのですが、あの本に書かれていたのは、主人公の騎士だけじゃなく国民みんなが姫の恋の『奴隷』……つまり、エリックは……このゼガルド国民全員を『奴隷』にさせたがっている。物語でいうと、我が儘な『姫』ということですね」
「あーあ、興ざめだね。リゲル」
ヴェテルも小声で囁き返す。術を弾き返す類の魔法をかけているといっても、王城の地下はどこでどう盗聴されるか分からない。
「比喩を現実にしてしまっては美しさが半減してしまうよ」
「もしそれが本当なら」
リゲルは無視した。自分の主のロマンチシズムに真面目に付き合っていたら、国が幾つあっても足りない。
「エリックの暴走を止めなければ」
「どうやってだい?」
ヴェテルは快も不快も無く、純粋に疑問に満ちた紅い瞳をキラッときらめかせた。
「僕はこの地下室から出られない。ゼガルドの権力者たちは誰一人として僕の陣営の味方をしない。となると、正攻法でゼガルドの王室を止めるのは無理だ。ソフィは魂の無い人形になっているし、リゲル、君が暗殺でもするっていうのかい?」
そんなことができっこないのはリゲルにもヴェテルにも分かっていた。ゼガルドの王室を支えてきた陰の一族は、王族に物理的に刃向かった時点で掟を破ることになる。
一族の掟を守ったものは、一族によって粛正される決まりだ。
「お、……俺はヴェテル様の命令さえあれば、この命」
「それ以上言ったら怒るよ、リゲル」
静かな声でヴェテルが言った。
「君、昔もくだらないことで命を捨てようとして僕にこっぴどく怒られたの覚えてないの?」
「……覚えて、ます」
歯切れ悪くリゲルが言った。
「それなら同じ轍を踏むのはやめるんだね。僕は嫌だよ、君がようやく僕の最高の手足として育ったというのに、みすみす無くしてしまうなんてね。心配しなくても、幾つか手は打った。高みの見物、というわけにはいかないけれど、地下から様子見、という感じかな」
緑の茶を、高級な磁器にいれてこくこく愉しんでいたヴェテルは、白い指をそっと唇に当てた。
主人が『お願い』をするときの癖だ。
リゲルは頭を抱えた。
「ねえ、ところでこのお茶には甘い菓子が合う気がするな。豆を甘く煮て、どうにかならないかな。リゲル、ちょっとレヴィアスに行ってさ、お使いしてきてよ。黒竜退治で使ったっていう豆を少し分けてもらってきてくれないか……」




