後釜を下さい
「こ……子ども?」
カシウスに連れられてきたのは年端もいかないような小さな子どもだった。
年の頃は七か八か、それくらいだろう。
武器のつもりなのか、棒がいくつか突き出た汚いボロ袋を背負っている。
紫がかった髪と顔は薄汚れていて、ぎょろりとした目がノエルを向いた。勝ち気な子らしく、全く怯む様子がない。
「なんの用だよ。ただなら何もしねぇからな。ちゃんと金は払えよ」
「おーい、ちょっと待ってくれカシウス。俺は料理人が欲しいって言っただけで、子どもを譲ってくれとは言ってない。しかもこいつ、金にガメついじゃねぇか」
育児は、あの聖堂に連れられていった男たち二人でお腹いっぱいだ。しかし、カシウスは首を振った。
「こいつはアヴァという子だ。この間、森に隠れてるのを、兵士たちが保護したらしい。トゥルグという少数民族の生き残りだ。ロタゾの襲撃で一族郎党みんな滅びちまったらしい。金勘定も生きる術だからな……大目に見てやってくれ」
「そりゃあ気の毒だが……危険も伴う旅になるかもしれない。やはり子どもってのは厳しいんじゃねぇかな」
「まあ待て。お前が言いたいことも分かる。俺だって、ただの善意で言ってるんじゃねえ。旨味があるんだよ。お前が要らないなら俺が貰って傍に置きたいところだ」
「どういうことだ」
カシウスは部下に命じて、仕留めたボアの肉を2頭持ってこさせた。
桶に張った水の隣、たき火の横に置かれた茶色い毛皮は、炎を反射して、てらてらと良い具合に光る。
ノエルはカシウスの作ったいつかの串焼きの味を想像してじゅるっと舌なめずりをした。
美しい令嬢の顔からこぼれ落ちる涎を見て、アヴァがビクッと体をすくめて驚いた。
カシウスが、いっそ厳かな仕草で前に出た。
謎の貫禄があって、ノエルでさえも少し背筋が震えた。
いったい何が始まるのだろう。
「ノエル、俺にいつか聞いたな? 『晩酌亭』の肉がうまいわけを。その秘密を教えてやろう。いいか、見てろ」
カシウスは一頭のボアを頭上に放り投げた。
腰につけた大太刀を片手で抜き、一刀に斬った。
「わわっ!?」
ノエルは慌てて『バリア』を詠唱する。
辺りに血しぶきが飛び散った。
バリアのおかげで、ノエルやアヴァにはかからなかった。
しかし、アヴァは平然としている。
周りの兵士たちの方がおろおろしているくらいだ。
カシウスが太刀を腰布で拭いて言った。
「頸動脈を一気に切り裂いて血抜きをする。これがきちんとできていない肉は臭くなる」
「ほお~」
ノエルは感心した。
ボアの頸動脈の位置など正直よく分からない。
ころんとした楕円のように丸い形は、どこが首だか腕だか見分けにくいのだ。
カシウスがアヴァを見た。
「おい、アヴァ。できるか」
「……報酬は?」
「金貨一枚でどうだ」
「そんなに!? おいおい、何が裏があるんじゃねぇのか? 殺されるのはごめんだぜ」
少年はふてぶてしい顔でノエルの前に進み出た。
少数民族というのも頷ける珍しい髪の色だ。
紫がかった葡萄のような黒い瞳が確かに意思をもっていた。
「いやちょっと待ってくれよ」
ノエルはさすがに止めに入った。
「さすがにこいつは無理だろう。カシウスの持ってる太刀より背丈が小さい子だぞ」
アヴァはふんと鼻を鳴らして黙っている。
カシウスはひかなかった。
「まあ見てろ」
アヴァは丸い目をパチパチと瞬かせると、怒ったようにカシウスを見た。
「これ、どうすりゃいいんだ」
「血抜きしてくれ」
「アンタがやったように?」
「いや、お前のやり方でいい」
アヴァはどことなく不満そうだった。
「刺し傷が……大きすぎる」
「えっ」
少年の口には不釣り合いな科白に、思わずノエルは聞き返した。
汚れた頬の上の目は感情も無く、冷静に淡々と獲物を観察していた。
「血管以外の場所を傷つけないようにしなきゃ、雑味が入る。質の良い肉のためには、刃の差し入れ口はなるべく小さくする。そして、頸動脈よりも――」
少年が背後のズタ袋から、中型のナイフを取り出した。
さび付いてはいないが、なかなかに古いもののようだ。
アヴァは躊躇わずにナイフを振り上げた。
「心臓から血を抜いた方がいい」
トンッと杙でも打ち込むように、少年は飛び上がってナイフの上に全体重をかけた。
ボアの心臓から泉のように血が飛び散った。
ノエルは今度はバリアを張る余裕も無くして、少年の姿を見守った。
「今やったのが大動脈。このほうが速い。血抜きが速けりゃ質の良い肉になる」
少年は手際よく、水で己と獲物の血を流した。
そして、腹側の表面を薄く割くと、皮と脂肪だけを撫でるように切っていった。
胸、腹、肋骨と進んで、尾のところまで切り開くと、ボアは肉塊になった。
カシウスが嬉しそうに、ノエルに囁いた。
「おい、見えるか? あそこまでやっても内臓にはひとつも傷がついてねぇんだ。神業じゃねえか」
アヴァは食道、動脈の可食部ではない部分を丁寧に外し、速やかに内臓を外した。
チャポン、と可食部が冷水の張られた桶に入る。
こうして温度を下げると質が良くなるのだと、カシウスが解説した。
「こんなもんかな」
「ふえええええ……すげ……」
ノエルがぼうっと見ていると、アヴァはまた背後の荷物からまた違った刃物を取り出した。
「まだまだ採れるよ」
今度は緩やかなカーブのかかったナイフだ。
アヴァはボアの足首の辺りに切り込みを入れて、そのまま皮を剥いでいった。
少しずつ肉の塊が、骨と肉に分断されていく。
傷んだ部分は素速く切除し、アヴァは食べられる部分だけをてきぱきと分割していった。
「こんくらいかな」
ふう、と息をついたアヴァは既に職人だった。
ノエルは絶句した。
「そんで? 皮をなめすんだったら銀貨1枚だぜ。川に晒すのも手間がかかるんだ。一日につき銀貨1枚だ。
これ以上はまからねぇ」
ノエルはアヴァに近寄ってしゃがみ込んだ。
「アヴァと言ったな。皮は置いていく。金の話は馬車でしよう。俺と一緒にレヴィアスへ来てくれ。出せるだけの給料は払う」
「は? ちょっと、おっさん! 何なんだこの人」
カシウスは言いよどんだ。
「こいつは、えーと、俺の知り合いの、伯爵令嬢だ……達者でな、坊主」
「嘘だ! こんな涎まみれの令嬢がいるか! やたら美人なのが逆に胡散臭い!」
「一緒に来たら即金で金貨5枚出すぞ」
「よろしくお願いしますッ!」
アヴァの変わり身の速さに苦笑いしながら、カシウスは見送ってくれた。
「お前は傭兵になんかなるんじゃねぇぞ……」
と呟いたのは、彼なりの餞別だったのかもしれない。
こうして料理人候補の少年アヴァを連れて、ノエルは意気揚々と聖ルキナスを目指すことになったのであった。




