隠し事はナシだ
朝方の静かな宿屋の客室で、ノエルとレインハルトは昼食を取っていた。
木製のテーブルには、地元の食材で作られたサンドイッチが置かれていた。
その日の疲れを癒やすための簡素なベッドは、清潔に整えられていた。
「なかなかいけるな、これ! うまいっ」
ノエルは先ほどの騒ぎも忘れて、サンドイッチをぱくついた。
よくスモークされたハムとチーズに、酢漬けのピクルスが合う。
よろしければと一緒に渡された黒スグリのジュースがちょうどよく酸っぱくて、やけに食欲を煽る。
ノエルはサンドイッチに入っていたソースがべったりと口の周りについているが、全く気にしていない。
そのため白と黒スグリの赤黒い汁が、混ざり合って筆舌に尽くしがたい色になっている。
「ここ宿屋じゃなくてレストランでもいいんじゃないのか? んー、幸せ!」
のんきなノエルは帽子もとって、もぐもぐと昼食を咀嚼した。
レインハルトは喉が渇いていたのか黒スグリのジュースを一気にあおった。
「さっきの……あの……ごめんな。俺、なんていうかさ、攻撃魔法まだうまく使えないみたいだ」
ノエルはサンドイッチを食みながら、レインハルトに言った。
思っていたよりも、魔力の出力が大きかった。
あんなに損害を出してしまって申し訳ない。
「や、でもさあ、レインが『フローラ』思いついてくれてラッキーだったよ。思えば俺、ファイア以外に知らなかったんだなぁ……他にも魔法って詠唱があるんだろう? 知ってる? レイン」
「……いいえ。俺には魔力はほとんどありませんから」
「そうなのか」
「はい。オリテでは珍しいことではありませんでした。幼い頃から剣ばかりでしたよ。まあ、それも一番肝心な所で役に立ちませんでしたがね……」
レインハルトの頬は少し赤くなり、話す速度もゆっくりとしたものになっていった。
ノエルはこの機会を逃すまいと、さりげなく会話の流れをレインハルトの隠し事に向けた。
「レイン、率直に訊くが、お前、何か俺に隠してることがあるんじゃないか」
ノエルは慎重に言葉を選びながら、彼の目をじっと見つめた。
レインハルトは、少し目を見開いた後、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ありますよ。秘密」
普段のレインハルトからは想像もつかないような緩んだ表情だ。
そこで初めて、ノエルは異変に気が付いた。
レインの銀色と青色の混ざった熱っぽい瞳が、怪しげに揺らめく。
「お前、ちょっと待て、この黒スグリもしかして! ちょっと貸せッ」
ノエルはレインハルトのグラスに口をつけた。
久しぶりの微かな苦みを舌に感じる。
(こいつの黒スグリは、酒だ)
平常時なら飛び上がるくらい嬉しい感覚だが、目の前の小僧が最優先だ。
おそらくレインハルトはどちらもジュースだと思っていたのだろう。
ノエルの黒スグリは確かにジュースだった。
しかし、レインハルトの方にはアルコールが入っていたのだろう。
(気付かなかった)
レインハルトとノエルとで、グラスが違うのを変だとも思わなかった。
おそらく宿屋の主人は、弟の世話をしてきた青年に気を利かせたつもりだろう。
だがしかし、御年22歳のレインハルトは全くといいほど酒を口にしてこなかったのだ。
酔いがまわったとて、おかしくはない。
「ノエル……様は、いつも正直ですね」
手に入らないのを知りながら、無い物ねだりをする子どものようだった。
ふふ、と笑ったレインハルトが、細く長く息を吐く。目元に朱の入った素顔は、手練れの女にはない純朴さがあった。
ノエルは眉間に皺を寄せた。
これなら、饒舌なのも頷ける。
「とりあえず水だ。水を飲め」「確かに、貴方に言っていないことが一つあります。それは……」
レインハルトの言葉が一瞬途切れたのを見計らって、ノエルは手を出した。
「いや、待て! 待ってくれ。フェアじゃない。いいか、よく聞けよ? 俺も、実はお前に言っていなかったことが一つあるんだ」
ノエルは言った。
そうだ、お互いに秘密をかかえたまま、これから先の道のりを一緒に歩くなんてやりづらい。
「隠し事はナシだ。俺も秘密を言うから、お前もちゃんと話してくれ」
レインハルトは頷いた。どす黒く固まった血のようなスグリジュースに伸ばしかけた手をノエルははたき落とす。諦めて水を飲んだレインハルトは、唇を舐めてから話し出した。
「俺の家族は……オリテの反逆者でした」




