卵焼き国家と薔薇の聖女
カシウスは無精髭についた土汚れを、傷のある手の甲でぐいと拭った。
「こんなことに引きずり込まれて礼を言うのはしゃくだが……まあ、助かったぜ」
彼と握手をするのは、見目麗しい美少女だ。
赤い長髪は束ねられ、凛とした美貌を茶色い粗末な布に包んでいる。砂漠の民の衣服のようなワンピースに、ほっそりした肢体をのぞかせ、きらきらした瞳でカシウスを見上げている。
「なんのなんの! よかったな、平和になってきて」
ノエルはにっかりと歯を見せて微笑んだ。
野営地に天幕を張ったカシウスとノエルの周囲には、元・ロタゾの民であり、新生レヴィアスの臣下たちが控えている。
カシウスはロタゾに来てからは吹っ切れたようで、すぐに仕事に取り掛かった。
アドゥガのあった地域に拠点を作るやいなや、アランの側付きだった大臣たちを皆解任し、それぞれの民族から代表者を集い、武力と知力に長けた中央部隊を組織していた。代表者の半数以上が女性なのは、『平和と対話』を重んじたからというのが、表面上の理由だ。本当のところは『各民族で最も卵焼きが上手い人間』を寄越すように通達したのだった。薔薇の聖女のお告げということで何とかなったのだから、ダメ元でやってみるもんである。
「いやぁ、会議も平和で助かったよな。卵焼きの国、最高だな。どっちかっていうと俺は酒に合うだし巻き卵が一番……」
カシウスはノエルの口に煮卵を突っ込んだ。
醤油の代わりにタルザールの例のタレを使って漬け込まれており、大変に美味である。
ノエルはむぐむぐと卵を頬張った。
「聖女様よ、どんな魔法を使ったんだ? 何もない荒れ地にセルガム畑、得体のしれない野菜の畑……川は幅が5倍くらいになるわ、山には謎の樹の実がなるわ、挙句の果てに、変な鳥まで」
「もぐ、もぐ、ごきゅん……はぁ、うまかった。ん? 薔薇の聖女の聖なる力だ」
「お前な……この鳥は何なんだ? コカトリスやらバジリスクとも違う。金色の卵を産む鶏なんて、今まで見たことがない」
「あー……」
ノエルはカシウスの足元でクルッと喉を鳴らした金色の鳥を眺めた。
元々は鶏の雌鳥を出現させるつもりだったのだ。
しかし、鶏の姿ではなく、最高の卵焼きを想像した結果、
「えっと、きん……ゴールデンタマゴー!」
という、世にも適当な詠唱になってしまった。
しかし、その結果不思議なミラクルが起こった。頭が鶏、顎は燕、首は蛇、背は亀、尾は魚、翼は五色に輝く鶏が2羽現れた。
「ホーッ」と鳴くのが雄。
「オーッ」と鳴くのが雌らしい。
さしあたって雄を「ホウ」雌を「オウ」と名付けて、カシウスに育てさせることにした。
ホウ&オウは何か特別な能力があるわけではないが、雌は金の卵を産んだ。
これがまた、ハチャメチャに美味い。
有精卵らしく、いくつかは孵ってヒヨコらしき鳥も産まれた。
「おい、カシウス。ホウとオウの子孫を増やしまくったら、本当に卵の国ができるぞ……完全栄養食品だからな。茶碗蒸しに煮卵に、待てよ、すき焼きみたいのもありか? 夢が広がるなあオイ!」
「ハァ……とりあえずヨダレを拭け。お前、なんで俺なんかに指輪を渡したんだ。これがどんだけ責任のあることか理解してんのか。俺はかつてロタゾに故郷のアドゥガを滅ぼされた。今、ロタゾにいる連中は大なり小なりそんな過去を抱えている。それを束ねるってのがどういう意味なのか……」
「うーん、まあ正直よくは分かってねぇかもな。俺はお前じゃないし、他の民族でもないし。だけど今のお前の話を聞いてて、やっぱり指輪を渡したのがカシウスでよかったと思ったよ」
ノエルが、頼んだぞ、と笑いかける。
カシウスは降参だというように両手をあげた。
「ま、やるだけのことはやってみるさ」
「そうか! その意気だ! 何しろ国土が広いからな。レヴィアスからタマゴ・ロードを作って物資を運ぼう。他にもやらなきゃいけないことはいっぱいあるな。まずは晩酌亭の移転だな。タルザールの本店、こっちが支店……と。いいか、早くこの一帯を平和にして、晩酌亭をもり立ててくれ。セルガム酒の卸先もリーヴィンザールに相談しておく。他に俺にできることがあれば何でも言えよ。最高のツマミのためならエンヤコラだ」
「お前がろくなことを考えてないのはよく分かったさ……どうすんだ、ここまで来たが、レヴィアスに戻るのか?」
「いや、ここの分かれ道を右に曲がって、聖ルキナス修道院に行くつもりだ」
「一人で大丈夫か? よければうちの護衛をつけるが」
「お! それは助かる! じゃあ、一番料理が上手い奴をつけてくれ! そのまま晩酌亭本店の後を継いでもらう。安心しろ、修道院に寄ったあとはきちんとタルザールに送り届けるから」
「ブレねぇな……というかお前が護衛する気でいるよな絶対。まあ、そういうことならちょうどいいのが、いるにはいるんだが」
「なんだ歯切れが悪いな?」
「うーん……後を継げるかと言われると、どうだろうな」
「どういうことだよ」
「拾いもんなんだが、肉を捌くのは誰よりもうまい。俺以上かもしれねえ」
「何ッ!?」
「だがなぁ、料理はやったことがないらしい。どうする?」
「育て次第ってわけか……よし、いいだろう、乗った!」
「少し待て、連れて来る」




