扇動
ゼガルドの大臣たちは頭を抱えていた。
エリック王が即位し、表面上は落ち着いているものの、政務は滞りかけていた。
諸外国との折衝には苦労する。
外務を担当する大臣はやつれていた。
情勢が変わりすぎている。
「どういうことだ。オリテがレヴィアスに落とされたとは」
「それも、それに関係しているのがエリック殿下の元婚約者の、あのノエル嬢だというのはまことですか?」
ざわざわと場内に囁きが満ちる。
「反乱分子だということか?」
「国外追放の身となったノエル嬢は今、レヴィアスの女王と懇意にしているとか」
「なんと、そのような」
「エリック殿下への恨みから国を滅ぼすと? 女の身で? いや、そんなだいそれたことを……何かの間違いだ。きっと裏で手をひいている黒幕がいるのだろう」
「ブリザーグ家は危険だ。いっそ……」
「そうだ、伯爵家を拘束すべきでは? 家族を人質にとれば良い」
情報通の大臣が髭を撫でた。
一同が静まりかえる。
全員が耳を澄まして、伯爵家の動向を知ろうとしていた。
「それが……既に国外へ亡命しているらしいのだ。親戚のロシュフォール公爵も、病気療養の名目で国外にいるようだ」
「まずいな。このままでは……ゼガルドが、レヴィアスに飲み込まれるのは時間の問題ではなかろうか?」
小柄な大臣が怒りの表情で席を立った。
「何を戯けたことを! いくら領土が広くなったとはいえ、所詮は田舎の獣どもだ。獣人と魔力の無い者どもに、このゼガルドの地を食い荒らされるわけがなかろう!」
背の高い大臣が諌める。
「いや。レヴィアスは、もはや我々の知っているレヴィアスではない。今レヴィアスを率いている女王ルーナは、獣人だが、獣人だけでなく元々西で暮らしていた人間の心をも掌握しているという。それに、レヴィアスは中立国ラソと新興国タルザールと連合したらしい」
「何!? ラソはエルフの国だろう。人間を忌避し、何者にも従わないという高貴な民族が、なぜ田舎の獣共と!? 我々も何度も交渉をし、断られ続けてきたはずだ」
「なんでも、南のロタゾに一度は壊滅させられたのを、レヴィアスとタルザールの連合軍が助けたとのことだ」
「エルフは義理堅く、恩義を忘れない連中だからな……くそ、ゼガルドからも軍を派遣して恩を売っておけばよかった」
「ロタゾも戦に負け、レヴィアスに併合された」
「いや、逸るな。あのような広大な軍事国家はごめん被る。内部は多様な民族を寄せ集めたために内乱ばかりであろう」
「いや、それが今は様子が違うらしい」
「と、いうと?」
「貴殿はアドゥガの戦神カシウスの伝説を聞いたことはあるか」
「ああ、ロタゾに滅ぼされたタール民族だろう。武人としては有名なんてものじゃない。魔力があるわけでもないのに、少しばかりの魔石と腕力で、一人で200の中隊をほぼ壊滅させたという猛者だ……だが、多勢に無勢でロタゾの兵器『イライザ』に殺されたと」
「それが生きていたのだ」
「まさか! もしや、その戦神カシウスが……」
「そのまさかだ。何をどうしたのか、その戦神が、新たなロタゾの主導者になったのだ。奴はロタゾの領地をそれぞれの民族ごとに区分けして、自治を認めている。そして、驚くべきことにロタゾは、レヴィアスの一地域として存在すると宣言した」
「仇敵を飲み込み、滅ぼしたか。うーむ、カシウスよ、敵ながらあっぱれだな」
「だこら新生ロタゾは内乱など起きようがないのだ。民族を元に境界線を引き、食料を領内に増やしている。資源は友好国のタルザールから輸入している。内乱さえ起きなければ、ロタゾは広大な領土だ。少数民族たちは文化を失わず、自治をもって、カシウスの元に集う。レヴィアスは、戦神とそれに連なるロタゾの全てを手に入れたのだ」
「あの戦神カシウスを従えたとは……生きていたことも驚きだが、いやはや、いったいどうやって懐柔したのか。懐かぬ猛獣のような男だろうに」
「今はそれどころではない。一刻も早く手を打たなければ……我が国もオリテの二の舞ですぞ」
「しかし、レヴィアスがゼガルドに歯向かってくるとは思えん。オリテならまだしも、レヴィアスとゼガルドは戦う理由が無い」
「このまま友好を保つ姿勢に切り替えた方がいいのではないですか」
「そうです。わざわざ事を荒立てなくてもいい。防壁を作りましょう。獣が入りこまぬように」
「それはいい。魔法都市ゼガルドに魔力のある者以外は必要ありませんからな。生粋の魔力のある人間でなければ」
「ああ、不要だ」
「不要」
「不要」
「いかにも」
「そうと決まれば早速、エリック殿下に進言しに参りましょう」
大臣たちの集う議論場に、若い声が響いた。
「その必要はない」
大臣たちは一斉に、王宮の重厚な茶色いドアを注視した。
「エリック殿下」
「良い。顔をあげろ。おい、そこのお前」
「は、はい!」
「我々に『戦う理由がない』とそう言ったな?」
「はい、確かに申し上げました」
「僕の考えは違うんだ」
「はっ?」
「戦う理由は、ある」
「そ、それは、どのような」
エリックは兄のような才能には恵まれなかったが、不思議な能力に長けていた。
彼は聴衆の心を掌握する術を心得ていた。
人間の不安、心配、嫉妬、羨望、私慾、そういった小さな種を見つけては肥大させ、最後には我が物として喰らうのが彼のやり方だった。
エリックにはそんなことは当然のことだった。王が王であって悪いことなど何一つ無い。
エリックは皆を見渡して厳かに切り出した。
「レヴィアスのマールの村を破壊した『黒竜』は、ゼガルドの森から放たれた物だ。愚かな女が、政務に忙しくてかまってやらない僕への腹いせに、竜の封印を解いたのだ……僕を、ちょっと困らせてやろうと思って……それが外交上のどれほどの痛手になるのか知りもせずに」
「あの、ソフィー・ゴーネッシュですよ」
色白の大臣が、隣の大臣に耳打ちした。
「ああ。あの、死罪になった……」
「愚かな女もいたものですな」
エリックは、自分の発言が一同に与えた影響をじっくりと観察しながら、二の矢を放った。
「それに加えて、あのソフィという女はもう一つ罪を犯した」
「何ですと」
「レヴィアスの女王が襲われた。我々ゼガルド国の馬車に、森の中で襲撃されたのだ。地下奴隷の幾らかがその襲撃に加担した」
「そんなばかな!」
大臣たちは騒然となった。
外交上の問題以前に、そうなれば戦になるのは待ったなしだ。
「静かに!」
エリックの一声で場が静まり返った。
既にこの場の支配者は明らかだった。
誰もがエリックの声を天啓のように聞いていた。
「事実は事実なのだ。そのために、レヴィアスの獣人たちは今、怒り狂っている。女王は襲撃が元で目を患い、療養中だそうだ」
「そんな……もう終わりだ……」
「ソフィはなぜそんなことを」
エリックは重々しく言った。
「ソフィは、僕の元婚約者、ノエル・ブリザーグを、私兵に襲わせるつもりだったようだ。つまり、女としてのごく個人的な怨恨や嫉妬心から……だが、それは失敗した。何の因果か、ノエルとレヴィアスの女王を間違えたのだ! 女だという特徴だけで、早合点して攻撃したようだ。その結果、ゼガルドは一度ならず二度までも、大国レヴィアスに攻撃の理由を作らせた」
「もうおしまいだ」
「大罪……これが大罪でなくてなんになる」
「国土をやられて、女王を襲ったとなったら、奴らだって穏やかではいられん」
エリックの演説は最高潮に達した。
張り詰めた緊張を破るように、エリックは声を張り上げた。
「我々も心を決めねばならない! これは『聖戦』なのだ。獣共にこの魔法国家を明け渡していいのか?」
「否!」
「そうだ、亡き父上も言っていた。これは『平和』のための戦いだ。我々ゼガルドがレヴィアスを支配し、真の平和をこの大陸にもたらすときが来た」
「おお」
絶望の後の希望を、この場の全員が望んでいた。たとえそれが紛い物の光でも、それの何が悪いのだという弱い心が、集まって固まって、権力という波を発生させていく。
エリックの声は朗々と心地よい。
彼は聴衆と、権力の使い方をよく心得ていた。
「大陸全土をゼガルドの支配下に!」
「おお!」
「獣に自由を渡すな!」
「おお!」
「今こそ立ち上がろう、誇り高き同胞よ! 我々こそが正義だ! 魔法国に栄光あれ!」
「栄光あれ!」
「栄光あれ!」
「栄光あれ!」
その日、エリック王の名のもとに、いくつかの重要な書類へ署名がなされた。
ノエル・ブリザーグを捕らえ、外交の道具とすること。
逃亡中のソフィ・ゴーネッシュを捕らえ、死罪とすること。
ゼガルド国内で、魔力を持たない者は追放すること。
獣人と魔力のない者が入国した場合は、魔力をもって攻撃しても差し支えないこと。
署名を終えたエリックは善行を積んだ僧侶のように、満足気なため息をついて、羽根ペンを撫でた。
ペン先のインクが綺麗に涙型になり、壺へ戻っていく。
王族ならば魔力でこれくらいのことはやってのけられる。
魔法都市ゼガルドは魔力によって成り、その頂点が王族なのだ。
新しいゼガルドの歴史が、ようやく始まった……。




