死は綺麗なものじゃない
ゼガルドの森の奥地では、不気味な魔物の声が一帯に響いていた。
ここは黒い竜が封印されているという言い伝えのある禁忌の森だった。
第二王子エリックの手によって、既に黒竜は解き放たれレヴィアスを襲ったが……その事実を知っている者はほとんどいない。
真っ暗な、灯りも無い暗闇の中で、ぼうっと灯りが光る。
魔獣に見つからないように極度に淡い光だ。
こんなに洗練された光魔法を使える者はほとんどいない。
しかし、王族ヴェテルにとってみれば、朝飯前だった。
第一王子ヴェテルは体力は少ないものの、類い希な頭脳と、秀でた魔力があった。
ヴェテルの傍には、傍付きの護衛のリゲルという青年が影のようにひかえている。
森の奥にあるこの秘められた場所は、ゼガルド中の無縁の者や罪人たちの墓場だった。
山野の奥深くにあり、管理者もいない。
挙げ句の果てには魔物も出るという、こんな場所に立ち入る者は誰も居ない。
「そろそろ戻りましょう」
と、せかせかとリゲルが言った。
「夜は冷えます」
第一王子ヴェテルは人ごとのように微笑んでいた。
マントの下には剣も持っていないくせに、堂々としている。
「だってさ。ほら、行こう?」
墓石の前に少女はしゃがみこんでいた。
髪は伸びて、肌も荒れて汚れている。
がらんどうの瞳には何も映っていない。
「だいぶ大人しくはなりましたね」
「落ち着いたのはいいけれど、健康状態が心配だね」
少女には二人の声も聞こえないようだ。
ぶつぶつと小さな声で何かを呟いている。
「あの……ヴェテル様。なぜこの女を保護しているのです」
「なぜって?」
ヴェテルはカンテラの光の映った紅い眼を、パチパチと面白そうにしばたたせた。
「可哀相じゃないか。恋を夢みた王子に捨てられ、唯一の身内である父親、男爵も殺されたんだ。
全く酷い話だよ。そうしてこの子をくびり殺して終わりなんて、雑な筋だと思わないかい」
「そうはいいましても、この女は全くの善人では無く……ゼガルドの奴隷をブリザーグ伯爵の娘にけしかけていたのもご存知でしょう?」
「まあ、無事だったんだからいいじゃないか」
と、ヴェテルはケロリとして言った。
リゲルは眉をひそめてたしなめた。
「あなたが危険を冒して隠すほどの価値があるのでしょうか? エリック王子に見つかったら貴方だってただでは済まない」
「ふふ。おかしなことを言うね。価値がある者しか生きてちゃいけないのかい? だとしたら、その価値って、誰のためのもの?」
ヴェテルの白い肌は宵闇の中でよく目立った。
少女――変わり果てた姿のソフィは、ぼんやりと父親の墓石を見つめていた。
前には白い花が供えられている。
ヴェテルたちが持ってきたものだが、ソフィはその意味も理解できていないのかもしれない。
触れることもなく、彼女はずっと、暗闇に転がる無数の墓石の前にしゃがみこんでいた。
リゲルが声を潜めた。
「男爵は磔刑だったそうですね」
「死刑囚になったわけだからね。わけもわからないうちに刑が執行されたんだろう。彼にとってみれば青天の霹靂だ。
引き取った娘が王族を捕まえたわけだから有頂天になっていたというし、悪評も多かったからね。誰も庇うものはいなかった。
それもエリックにとっては都合が良かったんだろう」
「男爵程度だと、嫉妬ややっかみに慣れていませんからね……目立ちすぎました」
「気持ちは分かるよ。普通はそうだ。浮かれただろうね。この子だってそうさ。目立たずにいればいいのを、
周りにうらやましがられたいばかりに、……王子とのことを吹聴しすぎていただろ。誰も庇うものなんていない。
結局は似たもの親子だったってことなのかもね」
リゲルはやるせなくため息をついた。
「こいつらがバカだってのは認めますが……もっと胸くそ悪いのは、そのバカたちを使っては、平気な顔して王に成り代わりやがった一番のバカヤロウですね」
ヴェテルは無言で身をすくめた。
風にふかれて、カツンと何かが石に当たった。
ヴェテルは足下に視線を落とした。
魔物の骨か、はたまた食い荒らされた墓の『中身』なのか。
幾つかの白い棒状の物が、道とはいえないほどの、石と石の間の細い隙間に散らばっていた。
ヴェテルはそれらに近付くと、手をかざした。
赤みを帯びた光が焔のようにちらつきながら集まる。
「灰になれ。『クリメート』」
詠唱と共に、光の焔が骨を覆った。
パチパチという音がして、骨が少しずつ灰になっていく。
たき火のように光に当たりながら、
「少しはあたたかいね」
とヴェテルは手をこすりあわせた。
「罰が当たるとか考えないんですか」
「どうして?」
リゲルが言葉を紡げない間に、ヴェテルは続けた。
「死は綺麗なものじゃない。不意の何かでこの柔らかい体は簡単に飛び散ってしまう。ただの肉片になった体は、腐って虫が湧く。綺麗に静かに死ねたって、放っておいたら内臓は溶け、ガスで肉は膨張して、溶けた肉の間から体液が出て行く。粘膜の紅い肉には住処を見つけた虫が集まり卵を産み付ける。口蓋からは、溶けた脳が流れ出る。獣は肉を食い散らかし、脂はこの世の物とは思えない悪臭を伴って、水のように染みだしていく。だから僕たちは食べるためでもないのに、肉を焼く」
「やめてください、俺、昨日串焼き食って……うう」
「はは」
リゲルは気分が悪そうだったが、ヴェテルは気にしていなかった。
「火葬は死者への丁重なもてなしのようだね。人が人であるように。思い出がそのままの形で無くなるように。なるべく形を保ったまま棺に入れて、大切に土に入れて、それが時間が経って宇宙の一つに還っていく――死人を想ってただ祈る。美しいじゃないか」
「はあ……」
そのわりに、ヴェテルが前王のために祈っているところを見たことが無い。
リゲルは余計なことを言いそうになったので、慌てて唇を手の甲で押さえつけた。
この主人の機嫌を損ねることは自分の本意ではない。
「僕はね、祈る人の背中は美しいと思うんだよ。この子がたとえそれなりに悪人でも、何を考えてるか分からなくってもね。
毎日ここに来たがるんだから、きっとこの子なりに何かを思っているのかもね」
「そんなもんですかね。さあ、本当にそろそろタイムリミットです」
「そうだね、行こうか。さ、ソフィ、地下へ戻るよ」
二人の青年に挟まれるようにして、ソフィ・ゴーネッシュは一回り小さくなった体で立ち上がった。
三人は深い闇の中へ消え、後には灰になるまで燃えた灰の匂いが残った。




