適材適所ってのがある
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「あー……最高だな。この一杯のために生きてる」
タルザールの裏路地の酒場『晩酌亭』は貸し切りだった。
ノエルが権力を存分にふるった結果だ。
といっても、金を払ったわけではなく、オーナーであるリーヴィンザールに『お願い』をしたのである。
「ここがどこだって、酒と飯がうまけりゃ人間幸せを感じることができるんだよなあ」
「ここは場末の酒場だがな、タルザールの。お前、飲み過ぎてないか?」
と、答えるのは、ここの店長のカシウスだ。
年齢不詳の外見だが、がっしりした大男であることや、右頬の傷跡、そして黙っていてもにじみ出る貫禄が、彼がただならぬ者であることを示していた。
前世に遭遇した『大親分』に匹敵する何かを感じる。
しかし、そんなものに怯むノエルではない。
大切なのは、カシウスの焼く串が、まるで何か中毒性のあるモノが入っているのではないかと疑うくらいに美味いという一点であった。
「しっかりしてくれよ、嬢ちゃん。お前を泥酔させたりなんかしたら、リーヴに叱られちまう」
カシウスはリーヴィンザールに頼まれている雇われ店長だが、聖女ノエルをただの客として扱ってくれる貴重な存在だ。
ノエルは唇についた茶色いタレをぺろんと舐めた。
「ちゃんと分かってるよ、大将。俺だってね、人生二周目、肝臓のありがたみはちゃぁんとご存知なの。この細っこい娘の体を気遣ってセーブしておりますよ」
「何だ二周目って……それならいいんだがな。というか毎回毎回、人ごとみたいに言うよな、お前は。自分の体だろう」
「つか、あれ? どこか内装変わったか?」
「ああ、実はな。排気設備を一新した。国内に魔石がどんどん入ってくるようになってなあ。おかげで潤ってるよ」
「ほぉん」
赤い魔石は、アイリーンたちの指示によって綺麗さっぱり鉱山から移動されていた。ついでに青や緑の魔石も運び出したらしく、タルザールは今、魔石ビジネスによって利益をあげていた。
「青いのも磨きゃあ使えるんだな」
何の気なしに言ったノエルの前に、絶妙な具合に泡のたったセルガム酒が置かれる。
キランッとノエルの瞳が輝いた。
ノエルはこのマスターに絶大なる信頼を置いていた。
最高のモノが最高の状態で提供される。
これ以上に最高なコトがあるだろうか。
ノエルは大将への感謝を胸に、ゴッゴッと令嬢らしからぬ音をたててセルガム酒を飲み込んだ。
「クゥ……効く~……」
令嬢ではなくただの生き物に成り果てる。
セルガムの奴隷である。
「磨いた青い魔石は、タルザールじゃ青焔球って名前で呼ばれてるよ」
と、グラスを拭きながらカシウスが言う。
「消耗品ではあるが、美しいからな。タルザールじゃあ、宝石のようにデザインされることもある。緑だと緑焔球、青より少し値が張るな」
「ふぅん。赤は?」
「赤は見たことが無いな。まあ、赤焔球とでも呼べるんじゃないのか」
「魔石で誰か人が死ななきゃいいんだけど」
と、ノエルは心配したが、カシウスは首を振った。
「まあ……避けられない事故ってのはあるからな。どんなもんにも危険はつきものだが、火や刃物だってそうだろう。リーヴはその辺りのことはちゃんと分かってる」
カシウスはリーヴィンザールとは長い付き合いらしい。
もしかすると最初の故郷を失ったときからの、年の離れた戦友のようなものなのかもしれない――ノエルはカシウスの白いものが交じり始めている短い髪を見ながら、ぼんやり思った。
「出力の強い魔石は粉々にして、少量だけを使うようにすれば問題ない。命を落とすくらいの莫大な量にしなきゃいいんだ」
この知見はリーヴィンザールがからくり部屋での実験を繰り返した成果なのかもしれない。
ノエルは感心し、串焼きをもう五本追加で注文した。
「毒にも薬にもなる、ってやつか」
「ああ。青や緑の魔石は大量に使おうと思うとデカくなるからな。だったら少し体力は減っても、赤の粉末を持ち込んだ方がいいところもあるだろうよ」
ノエルはオリテの貧しい宿屋生活を思い出した。
確かに、魔石の使いどころはたくさんあるだろう。
レインハルトは王に就任した直後から、まず国民生活を立て直し始めた。
タルザールとラソから魔石を卸してもらい、国民に配ったのだ。
レヴィアスの女王ルーナ。
ラソの統治者ファロスリエン。
タルザールの独裁者リーヴィンザール。
そして、オリテの王レインハルト。
これが全てロタゾの指輪を持つ聖女、ノエルの名のもとに集っているのだ。
正確に言うと、全てレヴィアスの統治下というくくりになっているのだが、
女王ルーナがノエルの仲間であり、むしろノエルのことを恩人と思っているため、半ばノエルの系列店のようになっている。
「お互い、部屋が広くなっちまったなあ……」
始めは宿屋のツインベッドから始まった領土は、城の一室になり、気付けば国境を挟んで互いの国々になってしまった。
「なあ大将。俺はさ」
「はいはい」
「ロタゾなんて、大国なんて、俺は正直いらないんだけどさ」
カシウスは否定も肯定もせず、淡々と串を焼いている。
「正直、指輪を手に入れてからも、なぁんもしてないしな……それぞれ国があって、寄せ集めにしてたのがロタゾだろう。アランにしたって何の目的があったわけでもなし……あいつ、イライザっていう娘に熱あげやがってさ、しょうもねぇんだよなあ……元気かなあ、あいつ……」
「愛だの恋ってのは分かんねえなあ」
「俺もだよ、大将。やっぱりここは落ち着くなあ」
ノエルはしみじみと出された串を味わう。
濃い味の後に流れ込んで来る、少し苦みのあるセルガム酒がまた好い。
「この指輪がいけないんだよな。何したって外れねぇし……あのアランのイカレポンチがやりやがったんだよ。もうこれを外すにはエンコ詰めしかねぇのかもしれない」
「よく分からんが令嬢が言っていい言葉じゃないような雰囲気がしたぞ。やめとけ、お前、オフクロさんが悲しむぞ」
「ああぁ……そうだな、アイリーンは悲しませちゃなんねぇ……」
ノエルはアランの言葉をふと思い出した。
(「この指輪は指導者の意思を反映するの。アナタが本心から『負けた』と思ったときに指輪が外れるわ」……)
ノエルはじっと串を見た。
そして、ひとつ閃いた。
閃いてしまったのだった。
「……なあ、マスター、卵ってある?」
「あ? そりゃあるぞ? 一応、居酒屋だからな」
「俺さ、卵焼き作るのには自信があるんだけど、ちょっと勝負しない?」
「は?」
カシウスが眉をひそめた。
ノエルがにやりと笑う。
「卵焼き勝負しよう。セルガム酒一杯、賭けようぜ」
「令嬢が賭け事をするんじゃねぇ」
「固いこと言いっこナシでさ、……おいおい、大将ともあろう料理人が、まさか逃げるわけじゃないよな?」
「お前な、ほんと……良い性格してるよ。ほれ、厨房入れ」
「お邪魔しまぁす!」
「まあまあ、うまくいったんじゃねぇの?」
ノエルが鉄板と奮闘した結果、ごくごく普通の卵焼きが完成した。
「で、こっちが大将の。ほお。まあ、あの、うん、美味そうだな……」
すでに美味そうな匂いがしている。
表面が艶々として、ぷりんっと弾けそうな見た目だ。
「飾り付けはしてない。何ものせてねぇしな、普通のメニューだぞ」
「よし、じゃあ、実食! まずは俺の……もぐもぐ、うん、いける! あれ、これは俺、勝ったかも」
「ほざけ。嬢ちゃんなあ、客商売の世界はそこまで甘く無ぇよ。ほれ、食ってみろ」
ノエルは卵焼きをパクッと頬張った。
「……っ」
「泣くなよ」
中からじゅわっとこみ上げるように旨味が零れ出る。
ふんわりとした食感が舌の上でとろけだし、卵の薫りが噛みしめるたびに濃くなっていく。
味付けは塩をベースにしているのか、単純なのに素材の味が引き立っていて、僅かに濃いめだ。だから、無意識にセルガム酒を思い浮かべてしまう。この後に冷たいセルガムを飲んだらどうなってしまうのだろう。
「負けた。完全に負けた」
「そりゃそうだろうよ」
カシウスが笑った。
「俺の二十年の自炊生活が完敗だ」
「二十年も卵焼いてきたのか!? いやお前、十五かそこらだって言ってたろ!? なんだ、本当に人生二周目なのか? 全く酔っ払いはタチが悪ぃ……リーヴの客じゃなきゃあ入店拒否レベルだぜ……」
「カシウス。完全に俺の『負け』だ」
「分かった分かった、そんなに負けを強調しなくても……」
ノエルはキッとカシウスを見上げ、指を突きつけた。
「俺のおごりでセルガム酒を飲め、これはお前の権利だ」
「まあ、ああ、貰っていいなら飲むけどよ……何なんだ」
「モグモグ、うめぇ……おい、そして手を出せ」
「なんだ? 賞金でもくれるのか?」
カシウスは幼子の戯れに付き合うように手を出した。
グラスを持つ右手の対の、傷のある左手が露わになる。
「金よりもっといいもんをやる……グス、うめぇ……ほれ」
「ん? 指輪?」
左手の薬指にすっぽりと、紅い石の指輪がはまった……。
「今日からお前がロタゾのトップだ」
「……は?」
「ちなみに、それは、とれねぇぞ。エンコ詰めでもしねぇ限り。料理の支障にならないよう、左の薬指にしたが、いいよな。小指には、ちぃっとデカ過ぎる」
カシウスは強面の目をまん丸にして指輪を見ている。
「おめでとう! 新しい王様!」
「ちょ、マジで抜けねぇぞ、どうなってんだ」
「おめぇとう! おめぇとう!」
「バッ……お前、おい、酔っ払ってんだろ!」
「ふざけてませーん。真面目でーす。酔ってませーん」
「酔っ払ってるやつほどそう言うんだよ! なお悪いわ。え、どうすんだ、これ、おい」
「いや、でもさ、いいよね。王っぽいもん、カシウス」
「この世のお嬢様は、みんな、バカなのか?」
「主語がデケェよ。心配すんな、俺だけだ」
「いい笑顔だなぁ!? お前が信じられないくらいバカだってのはよく分かった」
「心外ですなあ」
「ですなあじゃねぇんだよ! 居酒屋の大将が軍事国家のトップになっちゃいけねぇだろうが!」
カシウスの圧し殺したような怒気が店に充満した。
殺気に似たそれに当てられて、店の裏を通りがかった可哀相な魔コオロギが一匹気絶したほどだった。
しかし、幸か不幸か、ノエルは全く動じていなかった。
「駄目じゃねぇだろうよ。そんなこと誰が決めた? 別にいいじゃねぇか、誰が成り上がったって」
「そういうことじゃねぇんだけどなあ……どうすんだ、お前、このままだと軍事国家のトップが卵焼きで決まったことになんぞ。卵焼きの国でも作るのか」
カシウスは天才かもしれない。
ノエルはごく、と唾を飲み込んだ。
「それだ」
「それだじゃねぇよ……」
「ロタゾを大陸一のグルメ国家にしよう! いいか、これは命令じゃない、全力のお願いだ」
「もう言い返す気力が無くなってきた……」
「ぽちぽち起こってる内乱を制圧して、お前の方針を打ち出していくんだ。いいか、俺も全力で強力する。カシウスならやれる。お前以上に腕のいい店主を知らないんだからな」
「だからさぁ……あれ? 王って何だ? 概念が崩れてきた……あー、俺は、元傭兵で、表舞台に立つような人間じゃ無ぇんだが」
「昔話の王様なんてそんなもんだ。堂々としてろ堂々と」
「いや、昔っつーかゴリゴリ今の話をしてるんだが」
「ほれ、そうと決まればリーヴんとこ行くぞ。よし、非グルメの反乱分子はとっ捕まえて他の国に送ろう。グルメの遺伝子だけを残すんだ」
「何だよグルメの遺伝子って! やり口が確かに軍事国家っぽいけども! というかイキイキしてんなあ! そんなにノリノリならお前がやればいいだろ!?」
「俺にはあんな卵焼きは焼けねぇ。ほら、グズグズすんな」
と、いうわけで。
レヴィアスの女王ルーナ。
ラソの統治者ファロスリエン。
タルザールの独裁者リーヴィンザール。
オリテの王レインハルト。
この並びに、めでたく軍事国家ロタゾのトップ、カシウス(※居酒屋『晩酌亭』雇われ店主)が追加される運びとなった。




