バーン
耳元で低音で囁かれたランは骨を抜かれた動物のように壁に背を預けた。
うわごとのように呟いている。
「あ、ああ……ニコラは本物です……プ、プルミエのところに潜入したファラクはぁ……とっくに指輪を盗み出しています……」
「なんだと」
「ええ、ニコラとイルとかいう女が出払ったときに、代わりに潜入したのです……置いたのは偽物……本物は既にファラクが持っています……彼女はバルナバスと落ち合っているはずです、鉱山で……もうテレパスは聞こえなくなりました……僕が知っているのは本当にもう、これだけです。ああ……」
絶望と恍惚の入り交じった表情で、ランは泣き笑いのような表情を浮かべていた。
「ん、ちょっと待て。彼女?」
モルフェが尋ねると、ランはこくこくと頷いた。
「ええ。ファラクは……女性です。レオンハート王子を攫った女ですよ」
ノエルはニコラの言葉を思い出した。
「あっ! 『リンパマッサージのお姉さん』って……あれが、もしかして、ファラク!?」
「そうです。ファラクは女の身で、魔剣士として僕らよりも先に任用されていました。バルナバスとはここだけの話、かなり親密な……あっくすぐったい! あひゃひゃひゃ、助けてくださいモルフェ様!」
「お前はちょっとそのへんで転がってろ」
「ああああっ! 酷い! 酷いですモルフェ様! あはははは!」
ランが床を転がり、笑い出した。まさに地獄絵図である。ノエルはそっと手を合わせた。
「となると、指輪はもう持ち去られていて、バルナバスとファラクは鉱山にいるってことか?」
事は急を要する。
「レインはここにいろ。モルフェは俺と一緒に鉱山へ」
「ちょっと待ってください。俺も一緒に」
「駄目だ。王は国と一緒にいなきゃいけない。大丈夫だ、俺らでどうにかくいとめる。
おい、プルミエ、そういうわけだ。ちょっとヤバイことになってるみてぇだぞ。
本当かどうか指輪を確かめてみてくれ」
「ノエル様、どうして俺の剣に向かって喋りかけるんですか」
「細かいことはいい。とにかく、間に合わなきゃ最悪、オリテどころかこの大陸が木っ端みじんだぞ」
モルフェが扉を開けようと手を伸ばしたその時だった。
開けようとした扉が、外側から勢いよく開いた。
バアァァァーン!
音をたてて、木の板がモルフェの顔面にぶち当たった。
「痛ええぇぇぇぇぇ!!」
モルフェが顔を両手で押さえてその場にうずくまる。
「モルフェさん!? 鼻血が! どうしたんですか! 敵にやられたんですか!?」
扉を開けた人物は心配そうにモルフェに駆け寄った。
それは、少し髪の伸びたマルクだった。
「て……敵……うふふふ……モルフェ様に……く、……許せない……動け、僕の腕……あはははははは!」
ランが苦しみながら魔法を発動させようとしているが、くすぐったい感覚が耐えられないようで、笑い転げている。
「大丈夫ですかね、この方」
と、マルクは心配していたが、すぐに気を取り直してノエルに向き直った。
「姉上、ご連絡に上がりましたよ。いやあ、青の尾羽亭にいると思ったら、まさかこんなに早く城を乗っ取っているとはお見それしました」
「嫌な言い方だな……それはともかく、マルク、ちょっと困ったことがあってな、姉上はこれから鉱山に行かなきゃいけないんだ」
「鉱山へ?」
「ああ。このままだと、あそこにある魔石が全部爆破されてしまうかもしれない」
「えっ? 魔石が?」
「そうだ。バルナバスってやつが逃げ出して……追い詰められた奴が何をするか、俺たちにも予想がつかない。最悪のケースだけは
避けなきゃいけない。止めるなよマルク、姉上は……正義のために行ってくる。必ず、この身に変えても」
「あー……本当に止めなくてもいいんですか?」
「いや、本当はちょっと止めて欲しい」
「ノエル様、なんだか色々と台無しです」
「ははは、冗談だ。じゃあ、行ってくるな」
マルクは場違いに、にっこりと微笑んだ。
「いいえ、姉上。行かないでください」
「マルクゥゥゥゥー! 可愛いやつめ! お前のためにも姉上頑張ってくるからな!」
「いや、そうではなく……鉱山に魔石はありません」
「ん?」
「だからですね、鉱山に魔石はもうありません」
マルクは堂々と宣言した。
「我々、ブリザーグ家がタルザールとの事業提携のため、当該国に魔石を移動させました。
ほら、魔石の鉱脈はそもそも我々の領地で見つかったでしょう? 売り払う前にオリテに泥棒されたら困ると言った母上が、すみやかに秘密裏に行えということで、結構骨が折れましたよ。でも、リーヴさんと一緒にたくさんお仕事させていただいて最高でした! というかそもそも、結局あそこは我々の領地なのに、オリテの王か何だか知らないですが、図々しいですよね。法に触れるんじゃないですかね。未遂でも侵奪罪ってことで賠償金貰えないかなあ」
後半は可愛い顔でずいぶん不穏なことを発言していたが、ノエルには前半の科白が気になった。
「母上が、魔石を?」
「ええ。僕たちも、姉上たちがオリテに行っている間、マールの村でバカンスしていたわけじゃないんです。
そりゃあ、ノレモルーナ城の居心地は良かったんですけど、なんと言うか結構素朴で」
「悪かったな、素朴な暮らしで」
「いえいえ、僕は好きだったんですけどね。でも、母様はそうは思わなかったみたいで……ほら、宝石とか、ドレスが無いと、死んでしまう種類の人ですから……まあ、そういうわけで、タルザールの商業地がずいぶん気に入ったらしくてですね。結局、あちらに今は城を買いました」
「はあ!? 城!?」
「ええ。正確に言うと『作った』ということですね」
マルクはしれっと報告した。まるで新しい靴を一足準備したのだというくらいの語気で、変わったことを言っている自覚もないらしい。
「ゼガルドの諸々を売り払った金と、一部の魔石を卸した利益とで、費用はかなり潤沢でしたから、母上はもう水を得た魔魚のようでしたよ。自分の好みを詰め込んだ夢の国を作るのだと息巻いて……オリジナルキャラクターまで考えて、城下をネズミーランドと呼び、タルザールの祖、女王スンデに敬意を表して城にスンデレラ城と名前をつけて……僕たちがちまちま魔石を運んでいる裏で、母上は総司令官のように城を作っては魔石を売って大もうけして……あれは天賦の才ですね」
「なあ……城って、お前、マルク、タルザールって一応は軍事国家だよな。独裁政権だよな」
「ええ。実に平和な」
「いやいやいや。待て待て、そんなところに実家なんてお前……リーヴは何て言ってたんだ」
「どうぞーって」
「ええ……」
ノエルはゲンナリした。
実家が独裁国家にあるだなんて、全く安らげない。
しかし、魔石の所在が明らかになったことで、心の平穏は守られた。
ノエルはこうしてようやっと、安堵の息をついたのだった。
これで今夜はゆっくりとセルガム酒と串焼きを楽しめるというものだ。
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