王様とドがつくエムの人と
「俺が……王?」
戸惑うレインハルトをよそに、太陽が西へ動く間に、物事はきちんと整理されていた。
後始末をした城内は整然としていたが、バルナバスの家来たちを一度解散させたので閑散としている。
どうも、彼らは長い間、家に帰らず家族にも会っていなかったようだ。
可哀相ではあったが、彼らには一時的に地下の牢屋に入って貰った。
明日には完全に解放して、それぞれの家に帰らせればいいだろう。
ずいぶんとブラックな労働環境だったらしく、これで4時間以上寝られる……と泣き出し、涙を流して笑いながら牢屋で寝る者が多発してしまった。
ノエルはレインハルトの背中をさすった。
「そうだよ、お前は名実ともにここの王様だ。レナードってのはレオンハートの愛称なんだろう。もう堂々と名乗っていいんだ」
肩の荷が下りたようなレインハルトはじっと黙ってノエルの瞳を見た。
ガッと手首をとらえられて、ノエルはきょとんとレインハルトを見返した。
「ありがとうございます、ノエル様」
「だから、もうお前は王様でな? 様は要らないんだよ」
「……それでも俺は、あなたの前では永遠に忠実な家臣です。これまでも、これからも俺は、貴方の、レインハルトです」
アイスブルーの瞳がじっとのぞき込んでくる。
思っていた以上に距離が近い。
「いやいや、そんな、お前はお前のもんで俺のもんではないしだな、いや、主従って意味では確かにそうなんだが、つーかお前顔近」
ノエルの脳裏に、『ちゅー』の三文字がよぎる。
(モルフェ、助けてくれ)
モルフェは猫のような目でこちらを見ている。
いい加減止めろと言いたいが、好奇心に勝てない青年を咎めるよりも先にすることがあるはずだ。
ノエルはふと思い出して、レインハルトの胸を押し返した。
「って、あ、そうだ。お前、魔剣、どうした?」
「えっ」
不意をつかれてレインハルトは戸惑う。
「とりあえず、忘れないように玉座の上に置きました」
「お前、そんな、親の敵の代物をsuicaみてーにポンッて……」
「す?」
「いや、いい。絶対か?」
「はい。ちゃんとそこの赤いクッションの上に。そして、ノエル様。俺は今やオリテの王。伯爵令嬢たるノエル様に今こそ告げるべき言葉があります。貴方の未来を俺に重ねてくれたこと、感謝の念に堪えません。あなたがいたからこそ、俺はこれまで生きてくることができた」
レインハルトは真剣な顔をして、端正な鼻先をどんどん近づけてくる。
互いの呼吸が聞こえそうな距離だ。
(内緒の相談か?)
とノエルはわざと見当違いなことを考えた。
が、どんどんと整った青年の顔が自分に近付いてきているのを見て、
(あれ、これはやっぱり、ちょっと、あれか)
と、ようやく風向きの変化を感じ始めていた。
可愛い弟分であり、部下のような、こいつの真剣な顔を間近で見たことはなかった。
いやに気恥ずかしく、自分がまるで本当に少女のような顔をしている気がする。
「えーとえーと、えーと、血迷うなレイン。敵討ちが成功してハイになってるのは分かるがな。俺はおっさんで」
「ええ。そして、俺は王です。ノエル様……俺は、これから、あなたと」
「ん、え、レイン、あの、ん? あっ! あああああ!?」
ノエルが素っ頓狂な声をあげた。
キインと響いた令嬢の大音量の高音に思わずレインハルトもモルフェも耳を塞ぐ。
「魔剣! 無いぞ! いったいどうなってる? 俺たちしかこの部屋にはいねぇし、バルナバスと家来たちはぞろぞろ地下に連行して投獄したし、誰も出入りしていないはずだ」
「……もしかしたら」
レインハルトが言う前に、赤毛を足にくっつけたまま剥がすのを諦めたモルフェが言った。
「なあ、アイツじゃねぇのか?」
「アイツって誰だよ」と、ノエル。
「魔鼠だ。バルナバスが鼠になって逃げていっただろ? あのデケェ体だったら、もしかしたら剣くらい引きずっていけるんじゃねぇのか」
「んえぇぇぇぇぇ!? えっ! ちょっと待て、そんなバナナ、いや、馬鹿な!」
「おい、モルフェ。見たのか」
と、レインハルトが性急に言う。
「見てはねぇよ。あくまでも想像だ。だが、ここに誰も入って来てない以上、そういう可能性もあるってことだ。乱心した野郎が王子様を刺し殺さねぇかは気を張ってたが、鼠が抜け穴から顔を出すどうかなんて見張ってねぇからな」
レインハルトが心底嫌そうに言った。
「……お気遣い、痛み入る」
「ハハハ、よろしいことですよ王子様ァ。いや、王か? ケッ、テメェが王なんて世も末だなぁおい」
絡み酒でもしそうなモルフェは楽しそうだった。
しかし、今はそれどころではない。
ノエルは焦っていた。
「なあ! 魔剣をもしバルナバスが持って行ったとしたら……誰が使うんだ?」
「鼠の姿では……さすがに無理がありますね」
「そういや、あいつ、『もう一人』いるっていってなかったか?」
ノエルとレインハルト、モルフェは顔を見合わせた。
全員が同じことを考えているのに違いなかった。
バルナバスの仲間の魔剣士はもう一人いて、そいつが魔剣を持ってバルナバスを支援していたとしたら?
バルナバスの身体は魔鼠になっているが、魂は王族だ。
万が一、赤い魔石が反応したとしたら――。
モルフェが足にくっついている、赤毛のランの頬を軽くはたいた。
「おいお前! 起きろ!」
「ランです。モルフェ様」
「ランでもルンでもいい。仲間のことを話せ」
「もう奴らは仲間でも何でもありません、僕にはモルフェ様がいればそれで」
「分かった分かった! それは分かったから、魔剣士のことを話せ! いいか、大事なことだぞ」
「ええと……コシュと、メイル。あいつらは子どもに還りました……ゼガルドの奴隷時代に……出逢う前に……僕はこのままでいいんです、モルフェ様との記憶が無くなるなんて耐えられない」
「それはいいからもう一人のことだ!」
「もう一人……? ああ、ファラクのことですか」
ランはどうでもよさそうに、モルフェの靴のほつれを指先で弄った。
「僕たち三人は金で買われたようなもんだけど、アイツは最初からバルナバス様に心酔してましたからねえ」
「ラン、ファラクってやつはどこにいるんだ」
と、ノエルは言ったが、ランは
「さあ」
と、興味なさそうにモルフェのすねを触っている。
モルフェはかがみ込み、ランの髪をわしづかんで視線を合わせた。
「へ……」
黄色と緑色の不思議な色合いにランの赤毛が映り込む。
モルフェはドスをきかせた低音で脅すように言った。
「おい。ファラクはどこにいる」
その途端、ランはとろけた表情になり、パアアッと頬を染めた。
「こ、鉱山ですうう! 互いに何かあったときはそこで落ち合う手はずになっていましたから、おそらくバルナバス様と一緒ではないかと! ふあ、モルフェ様の美しい瞳が間近にッ」
モルフェは嫌そうにランを地面にポイッと放ると、舌打ちをした。
ノエルはどことなく気まずさを感じる。
異文化ではあるが、共存しなければならないときというのはある。
それがまさに今だった。
マイペースなレインハルトが、真剣な顔をして言った。
「まずい。鉱山の魔石に、魔剣士、それにオリテの王の血……そこにもし指輪が揃ってしまったら、バルナバスの思うつぼだ」
モルフェが首を振る。
「まあ、指輪はプルミエのところにあるんだろう? じゃあ、一応は無事だってことだろ」
「ファラクは指輪をもう手に入れていますよぉ」
ランが嬉しそうに忠告した。
モルフェの服の裾のほつれを、どこからか出したソーイングセットで繕い始めている。
ノエルは驚愕した。
「何だって!? じゃ、じゃあ、プルミエはどうなったんだ。聖堂は……ニコラは何も言ってなかったぞ!? あのニコラは本物なのか!?」
ランは黙秘している。
モルフェ以外に話す気は無いらしい。
「あのねえ。君、分かってる? これでも僕はとっくに成人してる」
「え」と、レインハルトが顎を床まで落としそうになりながら口を開けた。
ノエルも同感だった。どう見ても十代で、成人には見えない。
信じられないくらいの童顔なのだろう。
「十年前、オリテを滅ぼしたのは僕たち魔剣士だよ。たかが小娘に命令される筋合いなんてないね。
どうしてもっていうなら、僕と戦ってみる? 僕らは生きるために殺してきたんだ。それこそ必死で……
お嬢様の知らないこと、教えてあげようか?」
拳を振り上げそうになったモルフェの肩を掴んで、ノエルは言い聞かせた。
「いいかモルフェ。黙秘権を行使する奴にイライラしてちゃあ身が持たねぇ」
「もく……? 何だぁ?」
「あーつまりだ。あれだ。ラサールを作れ」
「は?」
「間違えた、ラポールだ」
進学校の創設ではない。
カタカナを無理に使おうとするから良くないのだ。
ノエルは初心にかえって、咳払いをした。
「いいか、つまり『信頼』だ。相手も人間、お前も人間。何事も信頼関係が大切だ。相手に周波数を合わせろ。
自分の存在をかけて相手にぶつかるんだ。怒りってのはいつも演技じゃなきゃなんねぇ。
本気でお前が感情に支配された途端、怒りはお前を飲み込んじまう。感情もプライドも取り調べには必要ねぇ。
演技だ。演技をしろ。相手が無意識に欲しているモノを見抜くんだ」
「ふん」
モルフェは再び舌打ちをして、ノエルの手を振り払った。
そして、自分の足下でごそごそしているランの腕を掴んだ。
そのまま壁に押しつける。
壁を背にした相手に馬乗りになる直前のような、なかなかにきわどい体勢だ。
レインハルトが電撃を受けた魔烏のような顔をして眺めている。
「なっ、も、モモモモモ、モルフェ様!?」
モルフェはランを見下ろしたまま、八重歯を見せて唇を舐めた。
「十だ。十数える間に、プルミエについてお前が知ってることを全部言え」
「えっえっそんな、ああ、勿論言いますが! 言わせてください! ですが、一応、秘匿魔法がかかっていて! 僕が誰かに秘密を
もらしてしまうと、三日三晩、魔烏の羽でくすぐられるのと同様な刺激が全身に襲いかかるのです。ですから、できればどうか」
モルフェは全力で演技をしたらしい。
「いいか。知っていること全部だ。全部言え――素直な子は好きだぜ」
背後でレオンハート王は、内心草生やしてると思います。




