ゼガルドプロローグ:あの日解かれた封印の裏
プルミエは対峙していた。
風に揺れるのはセルガムの穂だ。
さわさわと擦れる乾いた葉の匂いの中で、まるで獣を捕獲する猟師のような落ち着いた心持ちで、少女を眺めていた。
「『ノエル』がよく眠ってくれて良かったが……コランドも手荒なことをするものよ。確かに魂に入り込むのはかなり難しいが、実の娘に睡眠薬を飲ませるとはな。あれはわしが寝付けなくなったとき用のとっておきなんじゃが、こやつの体は大丈夫かの」
「何ごちゃごちゃ言ってるのよ」
少女は怒っているようだった。
年の頃は十三、四だろうか。手負いの獣のようだ。
痩せていて線が細いので小さく見えるが、もしかするともう少し年嵩かもしれない。
そばかすの浮いた頬は白く、蜜がけした木の実のような瞳は燃えるようにこちらを睨みつけていた。
「うわあああああーー!」
少女はセルガムの上を走り、男に殴りかかろうとする。
プルミエは少女の拳を避け、しゃがんで防御の構えをとる。
「ハァッ……ハァ……」
「もうやめてはどうじゃ」
「いやよ!」
「お前さんは消えたりせんよ」
「そんなことない! あたしはもうどこにもいないわ」
「居るよ。だからわしがここに来たのじゃ」
「偶然でもいいの! ここにいさせて。あたしが最初からいなかったようにしないで」
プルミエは少女を落ち着かせるように、静かな、しかしはっきりとした口調で言った。
「全ての事実は必然じゃ。正解も、間違いも無い。現実は何よりも重い……しかしな、お前さん。生命は繋がっておる」
「どういうこと? あたしがノエルの中にいるのは知ってるわ」
「そうじゃ。お前さんの肉体は既に朽ちたが、その存在が誰かを生かした……心の中というのは恐ろしい場所じゃて。まるで宇宙のように深淵じゃ……時は流れ、肉体が朽ちてもなお……シーラは変わること無くお前さんを想っている」
「シーラ?」
「お前の母親よ」
少女は目を見開いた。
「母さん……」
「語る言葉の重みは、生きた長さではない。残りの蝋燭の長さが減れば減るほど、言葉の重みは増すのじゃ。だから、一言も喋ることなく去ってしまったお前さんを、シーラはずっと想っておる。一生な」
再び少女が手をかざした。
今度は殴りかかるのではなく、エネルギーを集めている。
握り拳ほどの小さな火が集まって石のように固まった。
「でもあたし、ここにいるの」
少女は泣きながら火の石を投げたが、男には当たらなかった。飛距離が足りていない。男の足下から腕一本分ほど離れた辺りでぽとんと落ちた火の球は、途端に消えて煙に変わった。
「もう落ち着け。分かった。分かっておるよ……」
「何がよ! やめてよ! あたしには、あたしにはこれしか……」
「大丈夫じゃ。わしは敵ではない」
「そんなこと言って、あたしの正体を分かってるんでしょう!? あたしには残りなんてない。もうここしかないの。いくら母さんが想ってくれたって、あたしが言葉を交わせるわけじゃないわ」
少女はぼろぼろと涙をこぼした。
「消さないで……」
悲痛な声だった。
懇願に近い少女の言葉に、プルミエは頷いて、ほほえみかけた。皺のある頬には影ができ、笑顔というよりも泣いているかのよう見えた。が、この空間にはプルミエと少女以外、誰一人いなかったので、横やりが入ることはなかった。
「大丈夫じゃ。お前さんにいやなことはしない。シーラはお前さんをずっと愛しておるよ。哀しみごと愛しておる。凡人にできることではない。あの者は本当に強い女じゃ。心配要るまいて……今日は話に来たんじゃ。お前がここにいるのを、ノエルは知らん。シーラも、周りの人間のほとんどは知らん。お前を知っているのは、ノエルの母アイリーンと、父のコランド、ロシュフォール公爵と、わしプルミエじゃ」
「そんなにたくさん言われたって何のことか分からない」
しゃくりあげる少女にプルミエは歩み寄って、震えている少女の拳を柔らかく握った。
「今は分からんでもいい。だが、覚えておれ。お前が生きた証は脈々と受け継がれておる。わしは近頃な、人間はみんなで一つの生き物を作りあげてるのではないかと思うとるんじゃ。血を血で繋いで、遠いところまで何かを運ぶようにな」
「あたし、ここにいていいの?」
少女はプルミエの顔をじっと見ていた。
そして、目をまん丸くした後、ゆっくりと破顔した。
プルミエは静かに言った。
「良いか、お前さんはこれからも『ノエル』の中に生き続ける。どうか、あの娘を助けてやってくれ。この香りを覚えておくのじゃ」
セルガムの穂がさわさわと揺れる……。
「良い香り。どこか懐かしい気がする」
少女は心地よさそうに目を閉じた。
「気持ち良い……」
「ああ。これから封印は解け、お前はノエルの中を自由に流れていく。怖くは無い。自然なことじゃ。シーラはお前に名前をつけたよ」
「あたしの?」
「そうさ。お前はセミナ」
「セミナ……」
「『種をまく者』の意味じゃ。アイリーンはシーラからそれを聞いて、この肉体に『ノエル』、つまり『花を咲かせる者』の名を付けたんじゃ」
そのまま後ろに倒れ込んだ少女の体を、プルミエが抱き留めて静かに草の上に横たえた。
「お前が埋めた種を『ノエル』が咲かせた。お前はこれからも繋がっているんじゃよ。ゆっくりお眠り。可愛いセミナ」
少女は目を開けなかったが、微笑んだように見えた。
風が草原を渡っていく。プルミエの姿が砂のようにさらさらと崩れて、少女の傍から消えていく。
風の音がやみ、空気の匂いが止まり、光が静かに消えた。
後には柔らかい毛布のような深い闇が訪れた。




