戦い決す
「卑劣だな」
ノエルの言葉に、バルナバスは醜く引き上げた顔を歪ませた。
「何だと?」
「お前はレインとの正々堂々の勝負に魔力を使った」
「勝てば全てだ!」
「いいや、違う。勝つためにはルールを守らなきゃいけない。お前がやってるのは、ただの――自分勝手な私欲だ」
「何とでも言うがいい! 私はこの力を持ってして、オリテから大陸を支配するのだ」
バルナバスはレインハルトに斬りかかった。
雷撃が弾け、炎と火花が飛んだ。
「手足さえ貰えば動きは封じられる。怖がらずとも命は残しておいてやるぞ、レインハルトよ。このわしのため、オリテのために死ね!」
ノエルは懐から包みを取り出し中を開いた。
勝ち気そうな赤い瞳には、決意を帯びた光が点っている。
美しい砂糖菓子のようなすべすべとした指先が安全装置を外した。
(懐かしいなあ)
威嚇射撃でなく、意思を持って打つんだ――。
過去の『先輩』たちの声が蘇る。
前世で、来る日も来る日も続けた射撃訓練の記憶が、鮮明に眼前に浮かんだ。的に向かって銃を構え、呼吸を整え、引き金を引く。その一連の動作は、身体に染み付いており、転生した今でも、完全に失われることはなかった。一度自転車に乗ることを覚えたら忘れないのと同じだ。
ノエルは呼吸を整えた。相手はちょうどこちらをただの何もできないおまけだと決めつけている。
ちょうどいい。
相手を見くびる者こそ、隙ができる。
千載一遇のチャンスだ。
バルナバスまでの距離、風向き、周囲の状況。
ノエルは全てを冷静に分析し、素速く弾を装填した。
白魚のような指が引き金にかかり、数拍の呼吸の後。
パンッと破裂音がした。
その瞬間、バルナバスが何かを感じ取ったように、顔を上げた。しかし、ノエルの放った魔力弾は、既に発射されていた。銃口から放たれた光の奔流は、一直線にバルナバスの足へと向かう。
「ぐああああ!」
バルナバスの絶叫が、響き渡った。
彼は足を抑え、地面に崩れ落ちた。
壁の飾りと化していた周囲の兵士たちも、何が起こったのか分からず、騒然となる。
「なんだ……!?」
バルナバスは、打ち抜かれた足を押さえながら、驚愕の表情をしていた。
「――魔法か」
まさか、こんな形で攻撃を受けるとは思っていなかったのだろう。バルナバスは忌々しげに吐き捨てた。
魔石に魔力を込めれば、傷を癒やすことができる。バルナバスは剣で攻撃することをやめ、回復のためにエネルギーを使おうと方針を転換したようだった。
しかし、ノエルはそれを見逃さなかった。再び銃を構え、今度はバルナバスの手にある魔石を狙う。
「ああ、確かに魔法だが――それだけじゃねぇ。これは十年俺が訓練したタマモノだ」
ノエルは躊躇わず、流れるような動作で再び引き金を引く。
放った弾は、正確に魔石を捉え、粉々に砕いてしまった。
「な……!」
バルナバスは、砕け散った魔石を見て、さらに驚愕する。
回復の手段を失って、完全に動揺していた。
その時、待ち構えていたかのように、レインハルトがバルナバスに斬りかかった。
「おおおおおおお!」
長年の恨み、親の敵。全ての感情を込めた一撃は、凄まじい勢いだった。
バルナバスは足を負傷し、魔石も失った状態で、レインハルトの攻撃を防ぐのが精一杯だった。
二人の剣が激しくぶつかり合い、火花が散る。
周囲の兵士たちも、この異様な状況にただ立ち尽くすばかりだった。
ノエルは銃身をワンピースの裾で拭いた。
魔力を込めて、ああでもないこうでもないと生成したものが役に立った。
(まさか自分の胸を打ち抜いたエモノを、自分で創り出すはめになるとは思わなかったぜ)
だが、これしかなかった。
剣に勝てる武器は色々あるが、このオリテの城の中に持ち込めて、威力のあるものとなると限られている。
そして、ノエル――否、警官として技術に自信があるものと言われれば、剣道でなければ、射撃である。
流した汗の分だけ、訓練の数だけ上達するのを純粋に喜んだ過去。
「いけ、レインハルト!」
ノエルは心から、自分に付き従ってくれたレインハルトの活躍を祈った。ここはレインハルトとバルナバスの勝負だ。
力と力と一番勝負――。
レインハルトが過去を乗り越えるためには、バルナバスを切り捨てる以外にない。
そして、過去を清算するのだ。
その場の人間は、ノエルとレインハルトをのぞいても、おそらく敵方のバルナバスでさえも、そう思っていたに違いなかった。
魔力が奪われた以上、バルナバスは生身の力でしか戦えない。これは叔父と甥の二人の、力と力の勝負であるはずだった。
横やりが入るなどあってはならない。
緊張が最高潮に達したその時だった。
(ヤベェな……またムズムズしてきた)
ノエルは舌を噛み、不細工な表情で耐えていた。
城内がほこりっぽいせいか、風邪をひいてしまったのかは分からないが、どうしてもくしゃみが出そうになる。
「くふ……」
令嬢は鼻をつまんでなんとか耐えていた。
おっさんのくしゃみというのは隣国へ聞こえるほどデカイ、というありもしない格言がノエルの脳裏によぎる。
(あ……いけるかも!?)
ムズムズの波がひいてきた。
捜査中の緊迫した会議でくしゃみをするなど、あってはならない。生理現象といえども、である。
今回は組対の捜査会議よりも数倍まずい状況だ。
何せ王子の今後がかかっている。
(だめだだめだだめだ……この張り詰めた空気をぶちこわすのは御免被るぞ……落ち着け……スーハッハッ……ヒーヒーフー? よし、かなり落ち着いてきた。このままキープだ)
足を負傷したバルナバスは、それでもレインハルトと互角に切り結んでいる。
「どうした若造! その程度か」
「くっ……まだまだ!」
「兄帝はいつもわしの上におった……いつも、いつも比べられた。王としての資質? そんなもの、わしにとって何の価値がある……できすぎた兄だったよ、忌々しいほどにな……わしは幼少期から長年オリテの騎士団で修行をした……帝王学? 政治? そんなものはどうでも良かった……兄が利口に机に向かう間、わしは剣を振るった。振るい続けた……いつか兄を打ち倒し、わしが王になるために! 悔しければわしを斬ってみろ、小僧! 強い者が勝つのだ、この世界は!」
バルナバスの気迫は、その手で王位を奪ったものの傲慢さはあれども、強者の風格に満ちていた。
騎士団で長年修行をしたというのも嘘ではないらしい。
しかし、ノエルにはどうすることもできない。
男と男の勝負というやつだろう。
そっと見守るしかできない、と言いたいところだが、現状はくしゃみを堪えるのに精一杯だ。
鼻水さえ出てきそうになってきた。
これは令嬢としてはかなりマズイ展開ではある。
しかし、緊迫したこの場面で、新たな登場者が現れた。
「ぐぬっ……!?」
先ほど廊下で遭遇した鼠である。
やあ、またお会いしましたね、と言わんばかりにつぶらな瞳で鼠はノエルを見あげてくる。
魔鼠なのか、猫ほどではないが、鼠にしてはかなり大きい。
「チュッ」
と魔鼠は鳴き、あろうことか辺りを走り回り始めた。
この鼠は時折立ち止まって、周りの匂いを嗅いでいるのか、変な顔をする癖がある。
三文役者のような狡い顔つきに、つい笑いそうになってしまう。
「おい、やめ……あっ、力が抜ける」
込めていた力が緩み、恐れていたことが起こりそうになった。ノエルの持っていた銃が僅かに揺れた。
(さっきみたいな地獄絵図はもう見たくないぞ……というかこの勝負を台無しにしたらレインハルトがめっためたに怒る気がする……)
ノエルは気合いを入れて、眉間に皺を寄せた。
「ハッ……ぶ、ブエックシィィィッ!」
令嬢の可憐な唇からおっさんの声が出る。
そして、彼女の手の中の銃から弾丸が飛び出した。
しかし、バルナバスには当たらず、それは魔鼠に命中した。
鼠ははじけ飛び、バルナバスの足下近くに落ちる。
「あっ!」
慌てたノエルは魔力を弾に込める。
魔鼠とはいえ、無益な殺生は良くない。
助けられるものならば助けたい。
「えーと、回復、回復っと……こんな感じかな……あれ、弾丸がちょっとでかくなったけどまあ……いっか……あ、やば、ムズムズしてきた、う、うう」
その瞬間、銀色に光るレインハルトの剣の刃が、バルナバスの急所を切り裂いた。
「グハァッ……!」
血しぶきと共に崩れ落ちるバルナバスの体を、レインハルトは息を切らして見つめていた。
終わった。
そう言っているような背中だった。
その瞬間だった。
「ぶ……ブヘクシゥェックショォォン!!」
令嬢の花蕾のような唇から、涎混じりのくしゃみが大音量で鳴り響いた。
「あ」
ノエルは鼻水をすすり上げながら、またもや失敗してしまったことを悟った。
鼠に向かって放った弾丸は、ノエルの握り拳ほどになり飛んで行った。そして次の瞬間、奇妙な光がバルナバスと鼠を包み込んだ。
「あっあっ……」
ノエルはおろおろしたが時既に遅しだった。
光が消えた後そこにいたのは、バルナバスと鼠だった。
二人とも回復している。
しかし、様子がおかしかった。
バルナバスはきょときょとして、変な顔をしている。
まるでテレビのコントのような顔だ。
そして、魔鼠の方は、硬直していたが、確かめるように自分の足をゆっくり動かしている。
「あの、バルナバス?」
「……」
「すみません、あの、一応きくけど、もしかして」
「チュ?」
「あーやっぱり……」
ノエルは頭を抱えた。
命が絶える者を二つ並べて、独特な回復魔法をかけたところ、入れ替わっちゃった……ということなのだろう。
周囲は騒然となった。
兵士たちは何が起こったのか理解できず、混乱している。
レインハルトも、剣を構えたまま、呆然と変な顔をするバルナバス……今は鼠だが……を見つめていた。
くしゃみ一つでこんな結果になるとは、想像もしていなかった。
「……ノエル様?」
「あー……風邪は甘くみちゃいけないってことだよな」
バルナバスの体に入った鼠は、怯えたように周囲を見回し、小さな声で鳴いた。
「チュー」
「ごめんごめん、怖くないから……ええと、なんか、チーズみたいなやつやるから、しばらく大人しくしてここにいてくれる?」
「チュ!? チュッ」
すっかり従順になったバルナバスにノエルは微笑んだ。
これなら無力化したといっていいだろう。
問題は鼠の方だ。
ギクッとしてノエルを見上げた鼠は、壁の隙間へ走り去っていった。
「あ! 待て! 逃げるなっ」
追いかけようとしたノエルをレインハルトが止めた。
「もういいです。あれでは、もうどうにもならないでしょう」
バルナバスが残した魔剣を、レインハルトは足で踏んだ。
「骨の代わりにこの剣を埋めてやります。あいつは今日ここで、終わったんです。ああ、やっと、終わった……」
ノエルはなんとも言いがたい思いで、レインハルトの横顔を見つめた。
こうして、オリテ国は現王を元王子が剣で負かし、無血で城を明け渡すという感動的な幕引きがなされたのだった。




