バルナバスの脅し
カン、カンッと金属と金属が激しくぶつかり合う。
ノエルは部屋の隅に寄り、レインハルトを見据えていた。
これはレインハルトの戦いだ。
バルナバスは、鋭い長剣を肩に担ぎ、余裕の笑みを浮かべていた。
「ほう、お嬢さんをギャラリーにするなど、余裕だのう。わしを年寄りだとあなどっているのか? これでも兄と斬り合って勝ったオリテの豪勇ぞ」
レインハルトはバルナバスを睨み付け、剣を構えて息を整えていた。
額には薄く汗が滲む。
レインハルトの本能が危険を悟っていた。
「お前は俺が斬る」
「ハハハ、判断力が無い愚かな小僧よ」バルナバスは嘲るように言った。「貴様のような小僧が、このバルナバスに敵うとでも思ったか?」
レインハルトはバルナバスの挑発には答えず、静かに剣先を向けた。
「このままではオリテは滅ぶ。国のため、そして父母の無念のため……お前を斬る!」
バルナバスはゆっくりと剣を構え直した。
動きは重々しく、しかし確実に力を溜めているのがわかる。
「ならば、教えてやろう。真の力というものを!」
バルナバスは雄叫びとともに、床を蹴り上げた。
風を切る音が、悲鳴のように部屋にこだました。
見物人と化した兵士たちが息をのむ。
レインハルトは辛うじて剣を交差させ、バルナバスの一撃を受け止めた。しかし、その衝撃は凄まじく、腕が痺れた。剣を持つ手が震え、体勢を崩しそうになるのを必死に堪えた。
「ぐっ…!」
レインハルトは歯を食いしばり、なんとか体勢を立て直そうとした。しかし、バルナバスは容赦なく、二の矢、三の矢と攻撃を繰り出す。
重い一撃、薙ぎ払い、そして鋭い突き。
バルナバスの剣は、まるで嵐のようにレインハルトに襲い掛かった。
レインハルトは防戦一方だった。
バルナバスの圧倒的な力の前に、攻撃に転じる隙を見つけられない。
剣を受け止める度に、腕の痺れが増していく。
呼吸も乱れ、体力が消耗していくのを隠せなかった。
バルナバスは攻撃の手を緩めない。
レインハルトの動きを注意深く観察し、わずかな隙も見逃さないのは、さすがに手練れといって良かった。そして、レインハルトの体勢がほんの少し崩れた瞬間、バルナバスはその隙を突いた。
「終わりだ!」
バルナバスは渾身の力を込めて、剣を横に薙ぎ払った。レインハルトは咄嗟に身をかわそうとしたが、間に合わない。鈍い音とともに衝撃が走った。
「うっ…!」
レインハルトはよろめき、片膝をついた。肩口から血が滲み出ている。バルナバスは倒れ込んだレインハルトを見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「言っただろう。貴様ではわしに敵わないと。」
レインハルトは荒い息をつきながら、バルナバスを睨みつけた。体は痛み、意識も朦朧としていたが、その瞳にはまだ諦めの色はなかった。しかし、今の状況は明らかにバルナバスが優勢だった。このままでは、敗北は免れないだろう。
バルナバスは剣を構え、止めを刺そうとした。
冷酷な表情は、勝利を確信しているようだった。
しかし、その時だった。
背後に立っていた兵士の一人が、突然剣をバルナバスに向けた。
「させねえ……! 俺たちの国を……返せ!」
バルナバスは驚愕の表情で振り返った。
兵士の剣は、バルナバスの背中を捉えようとしていた。しかし、バルナバスは間一髪でそれをかわし、逆に自身の剣を兵士の片腕に振り下ろした。
「ぐわあああ!」
血が噴き出す部下をバルナバスは冷徹に見下した。
「ふん。雑魚が。お前らなどわしたちとは違う生き物なんだというのがまだ理解できんのか。一生かかっても稼げない金! 何世代かけてもたどり着けない財産! 庶民とは違うんだ。いいか、この国はお前らのものではない……神に選ばれた美しき権力者のものだ。二度と汚らわしい口を開くな!」
「違う! 国は民のものだ!」
レインハルトが叫んだ。
「戯言よ」
バルナバスがあざわらった。
「もう良い。そろそろファラクが聖堂に着くころだろう。あいつが一番戦闘に長けておる。指輪のありかはプルミエという女のところなのだろう? ふふふ」
「何だと?」
ノエルの喉から低い声が出た。
「ははは、ファラクは催眠がかかったふりをして、聖堂へ向かったのだ。お前たちの仲間が聖堂へ向かったと報告を受けてな、後をつけさせたら思った通りだ……道中ペラペラと、小さな修道士殿が喋ってくれたよ」
「どうしてそんなことを知ってるんだ」
と、ノエルが言うと、バルナバスはにやりと言った。
「あやつらはテレパシーが使えるからな……仲間の魔剣士から報告を受けていた。悔しいか、王子!」
ノエルは考えた。ファラク? ふと、レインハルトをさらった男の顔を思い出した。小ずるそうで大きな狐のような男だった。ノエルは思わず叫んだ。
「あの男は催眠で海を渡ったはずじゃあ……!?」
「ファラクたちはゼガルドの奴隷商人から高額で買った魔剣士だぞ? そうそう催眠などにはかからん。耐性がついておる。丈夫なやつらを買ったからな」
ノエルはふつふつと怒りが湧いてきた。
「人を人とも思わないなんて、最低だ」
「冗談を言うな。蚊はたたきつぶす。ゲジは踏みつぶす。お前らは虫けらたちと自分を同等に考えるか? 考えないだろう。」
「虫けらなんかじゃない!」
レインハルトがノエルの前に進み出た。
「こんなやつともう喋る必要はありません。時間の無駄です」
「レイン……」
「俺が終わらせます。今日、ここで」
バルナバスはぎらりと剣を持ち替えた。ノエルが今まで見たどの剣よりも長く、重厚な剣だった。刃には禍々しい文様が刻まれ、謁見室の光を鈍く反射している。持ち手が赤い石でできている。血のような赤だ。
「魔法も使えぬお前に、何ができる? これでもわしは王位をもぎとった男だ……この手で! この力で! 全てをッ! 」
バルナバスは挑発するように言った。レインハルトは何も答えず、静かに剣を構えた。
レインハルトの剣は、オリテから逃亡してきて以来ずっと変わらない。伝統的な紋様の入ったいつもの剣だ。
そのとき、レインハルトの胸元からふわりと精霊が飛び出て剣の刀身に止まった。
張り詰めた空気の中、先に動いたのはバルナバスだった。大剣を大きく振りかぶり、豪快にレインハルトに斬りかかった。風を切る音が謁見室に響き渡る。レインハルトは紙一重でそれをかわし、体勢を崩したバルナバスに素早く斬りつけた。
しかし、バルナバスもただ者ではなかった。体勢を立て直すと同時に、大剣を横薙ぎに払い、レインハルトの攻撃を防いだ。金属同士が激しくぶつかり合い、火花が散る。
二人の剣戟は激しさを増していく。バルナバスの大剣は重く、一撃一撃が破壊的な威力を秘めている。レインハルトはそれを巧みな身のこなしでかわし、隙を見ては鋭い攻撃を繰り出す。
バルナバスは容赦なく剣を振るった。
縦に、横に、斜めに、あらゆる角度から繰り出される攻撃は、まさに鉄壁と言える。レインハルトはそれを冷静に見極め、最小限の動きでかわしていく。まるで踊るように、バルナバスの攻撃をいなし、隙を伺っている。
一度、バルナバスの大剣がレインハルトの肩をかすめた。薄い傷だが、血が滲み出ている。しかし、レインハルトは表情一つ変えず、逆にその傷を力に変えるように、さらに鋭い眼光をバルナバスに向けた。
次の瞬間、レインハルトは今までとは違う動きを見せた。バルナバスの大剣が振り下ろされる直前、彼は体を低く沈め、大剣の下を潜り抜けたのだ。そして、バルナバスの懐に飛び込むと同時に、渾身の力を込めて剣を突き出した。
バルナバスは咄嗟に剣を引いて防御しようとした。が、レインハルトの剣は彼の想像を遥かに超える速度で迫っていた。剣はバルナバスの左の肩を捉え、深々と突き刺さった。
「ぐっ…!」
バルナバスの口から苦悶の声が漏れた。レインハルトは剣を引き抜き、よろめくバルナバスを冷徹に見下ろした。
「貴様の時代は、終わった」
「わしを殺すか?」
「そのつもりだ。当然だろう。殺す者は殺される」
「ならば、道連れだ……オリテの鉱山には魔石がある。指輪があればそれに火をつけることができる……魔力のない我々にも……王家の血が赤い石を燃やすのだ……! 我らの血の一滴は、民の命と釣り合うのだよ」
バルナバスは肩から流れる血を己の掌に塗った。
そして、濡れた手で両手剣を握り直した。
全く流れるような動作で、あ、と思ったときにはバルナバスの体は既に淡い光で包まれていた。
「ハハハ……最高だな。力がわき上がってくる!」
バルナバスが剣を振ると、切っ先から雷撃がほとばしった。
「うわっ!」
ノエルは身をかがめた。命中した壁が黒焦げになっている。
兵士たちも真っ青になっている。
バルナバスの剣の持ち手が発光していた。
「魔石かよ……!」と、ノエルが呟いた。
「いかにも」
バルナバスはにやりと笑って、剣の持ち手を掲げた。
レインハルトがノエルをかばうように、バルナバスの前に立ちはだかった。雷撃を受けたのか、服の一部が焦げてダメージが感じられる。
バルナバスが口端を歪めた。
「全く……お前の父親も馬鹿な奴だった。最後まで獣人のことなど心配しおって……オリテにあのような存在は不要だと言うに。大量の魔石は近隣国との交渉材料になる……ゼガルドとオリテの山脈を爆破すればこの大陸ごと木っ端みじんだからな。獣人を一掃し、魔石を交渉の材料に、美しいオリテが覇権を握るのだ。それをあの男、あろうことか獣人保護令など出そうとしおって……だからわしが引導を渡してやったのだ」
ノエルはぴんときた。
「引導って……まさか、騎士団の」
「はは、歴史がお好きか? そうだ、オリテの騎士を買収して獣人を殺させた。国際問題ってのは便利なんだよ。すぐに獣たちはこのオリテを出て行った。わしも一掃令を出したが、その前に離れていく者が多かった。国交は計画通り断絶した」
「なぜ、そんなに酷いことをするんだ!」
「顔は少しばかり可愛いが、頭は悪いと見える。いいか小娘、お前にも分かるように説明してやろう。オリテは王の国だ。伝統的な……獣ごときにかき回されてたまるか」
バルナバスが皺を深めて嗤った。
「さあ、魔力の元にひれ伏すが良い」




