剣士との対戦
「モルフェ、負傷者だ。俺はあっちに行く。頼むぞ」
ノエルは小声で囁いた。
モルフェは動かない老兵を見やると、呆れたようにノエルをじっと見た。
「……何だよ」
「ご主人様はブレねぇなあ、と思ってな。まあいい。俺がやることは変わんねぇよ」
無言で頷き、大剣を構えた。
決戦の時が迫っていた。
「行くぞ!」
咆哮が廊下に響き渡ったのと同時。
モルフェは城の廊下を蹴り上げた。
疾風のような速さで大剣を振り下ろした。
赤毛のランが避け、叫ぶ。
「遅い!」
ランは軽々と身をかわし、逆に剣でモルフェの側面を狙っていた。しかし、モルフェはそれを読んでいたかのように、大剣の軌道を変えた。ランの剣が弾け飛ぶ。
「甘ぇな」
モルフェの追撃が迫る。ランは咄嗟に後退したが、モルフェの大剣は空気を切り裂き、凄まじい風圧を生み出した。
無詠唱の魔法が混ぜられた風は刃のように鋭い。ザッ! 音は無かったが、あたかもそれが目に見えるような斬撃だった。
ランの肩口から背にかけて、衣服が裂けて肌が見えた。血の赤と白い肌の色を殴りつけるような、暴力的な墨の色があらわになる。
「あっ! あれって」
回復魔法をかけていなければ、ノエルは思わず駆け出しそうになっていた。
ランの肌に刻まれていたのは、昔モルフェが呪術のように腕に刻み込んでいた入れ墨とよく似ていた。
「お前……」
モルフェはランを見て、何か言いたげな表情を浮かべた。
が、ランの動きの方が速かった。
その間、ノエルはさっきランに蹴り上げられた老兵の元へ駆け寄っていた。老兵は意識を失い、顔面には痛々しい痣が浮かんでいる。
(酷い……!)
ノエルは怒りを押し殺し、回復魔法の準備に取り掛かった。手のひらを老兵の顔にかざし、魔力を集中させる。
「ヒール!」
柔らかな光が老兵を包み込み、みるみるうちに傷が癒えていく。
顔色の悪かった老兵の頬に赤みが戻り、ゆっくりと目を開けた。
「ここは……?」
老兵は戸惑った様子で周囲を見回した。ノエルは優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。もう安全です」
その間も、モルフェは三人を相手に激しい戦いを繰り広げていた。
大剣は風を切る音を立て、魔法が廊下を飛び交う。モルフェはランを牽制しつつ、大男のコシュと酩酊したような顔つきのメィルの連携攻撃を防いでいた。
「ハッ!」
モルフェはフェイントをかけ、ランの注意を逸らした隙に、魔法を放った。廊下の床から無数の茨が伸び出し、ランの足を絡め取ろうとする。ランは素早く後退し、辛うじて茨を回避した。
「なかなかやるじゃないか」
ランは余裕の笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には警戒の色が滲んでいた。
その時、モルフェは再び大剣を振り上げた。今度は本気だ。凄まじい勢いで振り下ろされた大剣は、ランの肩を捉えた。
「ぐっ……!」
ランは肩を押さえ、後退した。モルフェは追撃をかけようとしたが、コシュとメィルが同時に攻撃を仕掛けてきたため、一旦後退せざるを得なかった。
「てめぇ、細ぇくせに生意気だなあ」
コシュは鋭い剣技でモルフェを追い詰めていく。
「デケぇ野郎が一等賞ってルールなのか? クソつまんねぇ鬼ごっこだなぁ」
と、モルフェが煽る。
「血……血……」
メィルは不気味な笑みを浮かべながら、魔法でモルフェの動きを封じようとしていく。
モルフェは必死に三人の攻撃を防いでいた。が、そこは多勢に無勢。徐々に追い詰められていった。
しかし、回復しかしてはいけないという作戦なのだ。ノエルは歯がゆい思いをしつつ、成り行きを見守った。
「くっ……!」
モルフェの腕に、コシュの剣が掠めた。鮮血が飛び散る。
「ここは任せろ! 行け!」
モルフェは叫んだ。その言葉に、ノエルは一瞬躊躇したが、すぐに意を決して走り出す。
モルフェの言葉を信じるしかない。
ノエルは二階への階段を駆け上がろうとした。その時だった。背後で悲痛な叫び声が聞こえた。
「モルフェ!」
ノエルは振り返った。
「バカヤロー、行け!」
右手を氷づけにされたモルフェが叫んでいる。
ノエルの判断は早かった。
階段を駆け上がる前、最後の回復魔法をモルフェに放つ。
放つはずだったその瞬間。
鼻がむずむずした。
「ひっ……」
ヒール。
そう厳かに呟く。
そのつもりだった。
(だめだ、今はだめ、絶対だめ)
ノエルは眉間とみぞおちに思い切り力を入れた。詠唱がおかしくなれば、変な魔法になること請け合いだ。
しかも仲間が今にもやられそうな、こんな緊迫した場面で、絶対にいけない。
しかし、生理現象というのは無慈悲だった。
その時、城の廊下を魔鼠が通った。
瞬間、髪の毛1本分ほどの、ほんの少しだけ空気が揺らぐ。
その空気の揺らぎが、ノエルの鼻を少しばかり撫でた。
「ヒ……ヒぶェックシュン!!」
盛大なくしゃみが響き渡る。
それと共に、ノエルの魔法が美しく暴発した。
本来、治癒の光であるはずの魔法は、奇妙な光を放ちながら廊下を駆け巡っていく。
青と白の縞柄の光がくるくると円を描くように飛んでいく。
その数秒で、獣並みの反射神経でモルフェが伏せた。
シマシマの光は、コシュとメィルを直撃する。
そして、次の瞬間、ノエルとモルフェは信じられないものを目にすることになった。
「あーうー!」
「ばぶー!」
大男と青年が、テディベアのように地面に足を投げ出して座っている。
ノエルは嫌な予感がした。
「えーっと、あの、もしもし……」
「あうー!」
「すみません、あの」
「たぁい!」
「……えっと、ほんと、すみません」
「ちやぁー!」
これが一時的なものであってくれ、とノエルは心底祈った。
二人の赤ん坊、ではなく男たちは、それぞれの手を握りしめ、キャッキャと笑っている。先程まで恐ろしい形相でモルフェを攻撃していたのが嘘のようだ。
見た目以外は完全に赤子のそれである。
「おい、どういうことだ」
モルフェの声にノエルはすくみあがった。いや、断じて若者が怖いわけではない。
ないのだが……。
「回復魔法、だったんだけど……」
変化薬無しに人間の見た目は変わらない。魔法も有限なのである。
つまりは、その結果、中身は赤ん坊の大男と吸血鬼が完成してしまった。
モルフェは傷だらけになりながらも、呆然と赤ん坊たちと、自分の足にすがりつくランを見下ろしていた。
「も、もっとやって……!」
赤毛の少年は、興奮した様子でモルフェに詰め寄る。完全にドがつくエムの方の姿に見える。モルフェの能力にやられてしまったらしい。
「お、おい……こいつはともかく、どうなってんだ……?」
モルフェは混乱を隠せない。
そこには、いかついおじさんと、見た目がヤバそうなお兄さんが、赤ちゃんがえりしているという、まさに地獄絵図が広がっていた。
「あーうー! あーうー!」
赤ん坊になったコシュとメィルは、床を這いずり回りながら、おもちゃ代わりの刀を奪い合っている。
怖い。
ものすごく怖い。
色々な意味で怖い。
「ここを……任せるのか?」
モルフェは泣きそうな顔で頬を引きつらせていた。
「モルフェ、よろしく」
「嘘だろ?」
「ヒール」
ぽうっと光がともり、モルフェの氷漬けの腕が元通りになる。
「いや、騙されねーよ?」
「モルフェ。頼んだ」
ノエルはせめてもの償いに、モルフェの前に心を込めてエネルギーの球をそっと手放した。
「ボオネ・ルンド……」
途端に大量の積み木と、色とりどりの木製のおもちゃが出現した。
「うわあぁぁ! おいテメェ涎つけんな! こら! 殴るな! お前ら体はデケェんだから血だらけになるぞ! 考えろ! バカヤロー積み木は同じのが二個あるだろ!? あ!? 二つ同じのが欲しい? ふざけんな、我が儘にもほどがあるだろ。おい積み木の角で殴ろうとすんな、洒落になんねぇぞ。おいおいおい魔法を使うな! あーだからお前は鞘をかじるんじゃねぇ! おい、そこの兵士の爺さん手伝え! あ? 子育て? してこなかったから分からねぇ? ふざけんなそんなの関係ねぇ、今からやれ! あーベッタベタじゃねぇか! なめてんのか!? ああ、ああ、舐めてんのか……ちがうそうじゃねぇ……爺さん! 寝たふりしてんだろ分かってんぞ!」
ノエルは胸元で合掌しつつ、階段を駆け上がった。
尊い犠牲だった。




