オリテの王城
バルナバスは焦っていた。
「まだ見つからんのか!」
いらいらしてグラスを投げつけると、それは毛足の長い赤いカーペットに落ちた。
バルナバスは怒りのままに盛り合わせのフルーツを投げつけた。熟したベリーがいくつか衝撃で潰れ、赤紫の汁がぶちゃりと飛び散ってカーペットに黒い染みを作った。
「一度捕まえた獲物をみすみす逃がすなんぞ、お前らは兵士のクズだ!」
口の端から泡をとばすバルナバスに、報告の兵士は汗をかいて頭を下げた。
「城下の宿屋に潜伏しているという情報はあったのですが……どうやら踏み込んだときにはもぬけの殻で」
「ばかもん! お前らは口を開けたままのひな鳥か!? いつまでわしに情報をもって来てもらうつもりでいるんだ!? 少しは足りない頭とその足を使って、どうにか獲物を捕まえて来い!」
「ハッ……」
「ああ、むなくそ悪い!」
あの兄王の息子がまだ生き残っていたということには薄々気付いていた。
勿論当然ながら自分に復讐心を抱いているだろう。
反乱の末に負け、処刑された父母の敵をとろうとしているかもしれない。
「まあ良い。生かしておいたほうが利用価値があるのだからな」
バルナバスはつぶれたベリーのついた親指を舐めあげた。
兄王が家宝としていた魔法の指輪。
あれさえあれば、諸外国を支配下におくことができる。
「レナード王子とやらは万が一の保険だ……」
正妃のカーラは派手な美人だったが気性が荒く、着飾ることばかりに長けていて、近頃になっては妃の閨の努めさえも果たそうとしない。
カーラが懐妊し世継ぎが産まれれば良いが、享楽的に生きている彼女に期待をしても無駄だろう。
バルナバスはある種、現実的な男だった。
他人に期待などするより、欲しいものは自分で奪ったほうが早い。兄よりも先に産まれることができなければ、兄を亡き者にすればいい。権力を手にするためには肉親さえ犠牲にする。この乱世をきれい事だけで生き抜くのは馬鹿のすることだ。
妻のカーラは夫をないがしろにするくせに、バルナバスが側妃をとろうとすると烈火の如く怒る。全くプライドばかり高い女だ。だが、オリテの地方の豪族の系譜を継ぐ貴族の娘なので、ないがしろにするわけにもいかない。
だからバルナバスは公に側室を娶るわけにもいかず、こそこそと町娘や娼婦の元に忍んで通っている。暇をもてあましている既婚者の貴族の女も、怯える生娘ももう食い飽きた。
「そうだ……報告には奴は伯爵家の娘と懇意にしているとあったな。そうとうな上玉らしい。王子の目の前で、娘をわしのものにすれば、一石二鳥というものではないか。はは、これは我ながら良い考えだ。娘が男子を産めば、それを跡継ぎにしてもよい。王子は悲嘆にくれながら、『鍵』として幽閉され、オリテの王室の贄となってもらおう」
自分がみすみす『鍵』になろうとはバルナバスは思っていない。命を落としてまで、諸外国と交渉しようなどというつもりはない。オリテの王という肩書きや身分、働かずとも生きていける贅沢な生活を守るためだ。そして、その権利が自分にはあるのだと、バルナバスは信じていた。
「さあ、我が家来共よ、早くあのかんに障る王子を見つけてこい。そして奴をさっさと地下牢に押し込んで生涯幽閉してやる。ゼガルドやレヴィアスの奴らを脅しつけ、覇権を得るのだ……鉱山の魔石を爆破させれば、ゼガルドどころかこの大陸は木っ端みじんだ。あいつらは結局わしの命令に従うしかない」
息を整えて落ち着いたバルナバスは、玉座から立ち上がって自分の剣をとった。もしも刃向かう奴がいれば、この剣の錆びにしてくれる。
自分の剣の腕前は、さすがに魔法を使う奴らには敵わないが、技としてはまあ使い物になるレベルだろう。
オリテの国宝『幻剣』とやらは、兄王の形見として奴が持って行ってしまったらしい。そんなのは今更どうだっていいが、問題は指輪だ。指輪のありかだけは吐かせなければならない。
「おそらくは、聖堂だ……」
バルナバスには既に見当がついていた。
王子が今まで亡命できていたとなると、変化薬が必要だ。
そんな芸当ができる存在などただ一人だけだ。
「プルミエの奴だな?」
バルナバスは濁った目で新しい報告書の羊皮紙を睨んだ。
王子は顔を変え、姿を変えて、ゼガルドに亡命したのだ。
それを助けていたロシュフォール公爵家とブリザーグ伯爵家……そして、王子はブリザーグ伯爵家の長女、ノエルと行動を共にしている。
「赤目の美人か……ほう、薔薇を手折るのも一興だ。気位の高いくらいの女の方が良い。そうでなければこのわしには釣り合わん」
そのとき、激しく何かが爆発するような音が階下から聞こえてきた。
「何事じゃ?」
家来たちが右往左往して扉から出入りする。
「王様、お逃げください! 敵が侵入してきたようです」
焦った家来が走って言いに来た。
「何者かが石垣を爆破してきました」
「石垣を?」
バルナバスは一瞬考えた。
「敵がそう来るのなら、迎え撃たねばならんな。まあ、どのみち二階のこの王の間へは入ってこられんわ。魔剣士たちを招集しろ」
「はっ!」
「もう来てるよ」
家来が返事をするよりも早く、バルナバスの背後からにゅっと人影が現れた。
「こんなにうるさくちゃ眠れないよ。ほんとにさぁ、いるのかいないのか分かんないっていうか、役に立たない兵士だよねぇ」
あくびをしながら、そばかすのある赤髪の少年がぼやいた。
「ああ……全くだ。二度目のランチがせっかくこれからだってとこだったのに……どこの害虫だ。潰す」
いらついた口調で筋肉質の男が凄んだ。大木のような巨体の胴回りは貴婦人三人分以上はありそうだ。
「早く……ああ、まだか……早く血を浴びたい……」
うつろな目つきでいる男はよだれを垂らしている。
「魔剣士たちよ、頼んだぞ」
バルナバスは玉座に座ったまま命令した。
「言われなくてもちゃんと働くよ」
と、赤毛の少年が言ったのを皮切りに男たちは歩き出した。
彼らは地方のちょっとした領主の財産ほどの金子を貰って、バルナバスの手駒になっていた。
みすみす好待遇の生活を逃すつもりもない。




