イーリスの過去(2)
「それってもしかして、バルナバスの手の者だったりして……?」
と、ノエルが言うと、レインハルトはため息を吐いた。
「さあ。今となってはそれも分かりません。何しろ、そのオリテの騎士は獄中で死亡しましたからね」
「死んだのか? なぜ」
「自害したということでした。ですが、舌を噛んだわけでもなく、亡骸にはどこも傷がありませんでした」
「それ、どうにもきな臭いな」
「ええ。父も不審に思ったようで、調査が行われようとしたとき、バルナバスとその一味が反乱しました。
獣人を排除したい過激な差別主義者や、王弟を擁護して優遇を受けたい貴族たちを味方につけて、
城に攻め込んできたのです」
ノエルは尋ねた。
「そうはいったって、王の城なんだからさ、それこそオリテの騎士団は何してたんだよ」
レインハルトが答えようとしたその時、黙っていたイーリスが先に口を開いた。
「王命で東レヴィアスに向かっていた。あの頃のレヴィアスは人間と獣人とが分断されていて、
俺たちは獣人騎士団がいるというマールを目指して山を越えていた。事件の火種が燃え上がり。
獣人との国交が途絶える前に、謝罪の意を見せ……友好関係を崩さないようにしたいという、王の命令を信じて……使命のため、オリテの騎士団の半分がレヴィアスに向かった」
ノエルは驚いた。
「イーリス、昔オリテにいたって……騎士団だったのか!? レイン、知り合いだったのか?」
レインハルトの方がずっと驚いていた。
「いや、……すみません、分かりませんでした」
イーリスは遠くに思いを馳せるようにして、宿屋の染みのある壁を見つめた。
「いいえ。それも当然です。俺はプルミエ様に志願して顔を変えてもらったんです。レナード王子、覚えていますか? あの頃の副団長を。俺は催眠をかけられるという特技がありました。お父様は気持ち悪がることなく、俺をひきたててくださった」
レインハルトは目をまん丸くして叫んだ。
「副団長!? 副団長って、あの、ルッペンシュナウドか!? オリテの幻の双剣と呼ばれた!」
「長ぇな、名前が……あと二つ名もなんかゲロダセェし……」
と、モルフェがげんなりして小声で突っ込んだ。
「全く分からなかった! あの自慢の筋肉は何処に行ったんです!?」
と、レインハルトが感動と驚きに打ち震えながら言った。
「知り合いだったのか?」
「いいえ、当時の俺など全然敵わない相手でした。でも俺の父は副団長や団長に剣の稽古をつけてもらっていました」
「王様が!?」
「それに副団長のルッペンシュナウドはオリテ中の筋肉を集めてもまだ足りないほどの猛者でした。いやあ、それが今こんなに美しい女性の姿で、……あなたに会えてこうして喋っているなんて、まだ信じられません」
よせば良いのに、モルフェが横やりを入れた。
「んなもん決まってんだろ、筋肉が乳に変わったんだって」
イーリスがじっとモルフェの瞳をのぞき込んだ。
「ゲッ……ヤベェ」
「モルフェさん、あなたが女性の胸のことしか考えていないのは分かりましたが……少しばかり静かにしていてくれますか」
「ぐっ! 体が! 動かねぇ……クソッ」
「私の胸よりもニコラのお腹の方が気持ち良いですよ」
「うっ、うおおおぉ」
モルフェはニコラの腹に誘導される催眠をかけられたようで、理性の限り逆らっているらしい。
横目に見たイーリスは仕切り直して、また遠くを見る目になった。
「そうです。あれは俺たちが山で野宿し、朝日を浴びて、スープを飲んでいる時だった。ぼろぼろになったオリテの騎士が駆けつけてきた。それは王が崩御したという急な知らせだった……当時の副団長は俺でした。とりもなおさず引き返して、血溜まりだらけのオリテの城に帰ったらそこは地獄絵図でした。残っていた団長と団員たちはバルナバスたちに立ち向かおうとしたようですが……寝返った敵の数が多すぎた。忠誠を誓った団員たちは、団長を含めて皆殺しにされていました。団長は俺の双子の兄でした。唯一の肉親の」
(あっ、あれ?)
己の意思に反して、ノエルの目からはじわじわと涙が零れ出ていた。
前世の自分なら、こんなことで感情が乱されはしなかったはずだ。
不幸もやるせならも腐るほど見てきたつもりだった。
なのにどうして、まるで混じりけの無い綺麗な心の令嬢のような反応になるのだろう。
全く、身体の方が、ノエルの魂を無視して泣いているようだった。
「ノエルさん。ですから、俺はそれから、バルナバスを討とうとしたんですよ。他の残った団員も討ち死にするか、寝返って敵の側についた。正直なところ死んだっていいと思った。俺の命と引き替えにどうにかなるなら、バルナバスが粛正できるのなら、何だってよかった。ですが」
イーリスは唇を噛みしめた。
「あいつは……強かった。オリテは剣の国、バルナバスは悔しいが強い剣士だった。それに、あいつの周りには国内や諸外国から連れてきて育て上げた精鋭部隊がいた。騎士団の副団長一人にはとても歯がたたなかった……あのレナード王子を誘拐した男のような、人を殺めることを何とも思わない輩がバルナバスの周辺にはごろごろいて、あいつはそいつらを言葉巧みに手なずけていた。俺はバルナバスを討つどころか、その顔さえも拝めずにオリテの城内で斬られたんです」
「騎士団の副団長でも歯がたたない相手が……!?」
ノエルは正直なところ、信じられなかった。
あれだけ剣技に秀でているレインハルトでも、当時イーリスには劣った。
それならば、敵は――バルナバスの陣営はどれほど強いのだろう。
ノエルの背筋が自然と寒くなった。
イーリスは神妙に頷いた。
「バルナバスの陣営の剣士は……剣士というより、剣を使う魔法使いでした。俺たちオリテの人間は、魔力がありません。だが、いくら剣技に秀でていても、腕力も何もかも、魔法は上回っていく」
「イーリスの能力も魔法みたいなもんなんじゃ……」
「いいえ。俺は言葉を交わし、目を見なければ催眠をかけられない。一種の技のようなものです。だが、魔法は違う。爆発的で、暴力的で……あれは技ではなく、誰にでも使える爆薬のようなものです。それが身に染みました。あいつらの前で俺は、……まるで赤子のようでした」
「そんなことがあったのか」
レインハルトは眉をひそめ、呟いた。
「に、しても……よく、無事だった」
ニコラがイーリスの手を握った。
「プルミエ様が僕を城につかわせていたんです。ほら、あの、その、剣のアレで……」
ニコラは言葉を濁したが、ノエルには例の形見の剣による『隠し撮り』の件であることが良く理解できた。
レインハルトがぴんときていなさそうなのを良いことに、ニコラは早口で続けた。
「プルミエ様は万が一のために、回復魔法の得意な僕を城にこっそり派遣して備えていたんです。でも、結局王様を助けられなくて……僕は間に合わなかった。それで、城を出ようとしたら、血溜まりの中にごっつい男が倒れていて、通り過ぎようと思ったら足を握られて……思わず蛙踏んじゃったときみたいな声が出ましたぁ」
イーリスはせめて一人でも敵を減らしたいというつもりで、半ば無意識に掴んだという。
だが、瀕死のその行為がイーリスの運命を分けた。
「よく見たらオリテの騎士団の腕章つけてたし、バルナバスを殺してやるって呟いていたし、あ、これは騎士団の生き残りだなって思ってですね、回復魔法をかけながら修道院に連れ帰ったんです。それが、イーリスなんですよぉ」
「は~……」
ノエルは呆けて息を吐いた。
修道士の二人にそんな過去があったとは、全く想像しなかった。
だが、それも考えてみれば自然だ。歴史の無い人間は居ない。
「だけど、どうしてイーリスさんは黙ってたんですか? レインが修道院に来たときに、打ち明けてくれても良かったじゃないですか」
「確信が持てなかったのもありますが……プルミエ様に止められておりましたから」
「プルミエが?」
「いえ、それも納得がいきます」
と、レインハルトが言った。
「プルミエは敏い。彼女は良く理解していたんです。反乱によって滅ぼされた者が二人、信じられぬくらいの不条理や哀しみを突きつけられた者が二人集まれば、簡単に理性を失ってしまうと……」
イーリスが後を受けた。
「ええ、そうかもしれません。時が来るまで打ち明けてはならないとプルミエに言われていました」
「で、今がその時ってわけか」と、モルフェが言った。
ノエルはイーリスの打ち明け話を聞いて考えた。
どうやら一筋縄ではいかない相手だというのは間違いなさそうだ。
しかも、魔法を使うやつらが敵らしい。
バルナバス自体は魔法は使えないようだが、レインの命と魔石を外交の道具にしようという卑劣漢だ。
戦い自体に勝ったとしても、指輪をどうにかしなければ……。
バルナバスは王家の指輪で紅い魔石を爆破させようとするかもしれない。
脅しだとしても、そうでなかった場合を想定して動かなければ、大陸全土に信じられないような悲劇が起きるかもしれない。
ノエルはキッと顔をあげた。
「とにかく、バルナバスにレインも指輪も渡らないようにしないといけないな。そうでなくても、誰かを人質にしてレインと交換させようとさせるかもしれない。そうなりゃこちらの負けだ。レインはバルナバスの鍵になってずっと従わされるだろう」
イーリスが真顔になった。
「ノエル様。我々を聖ルキナスへ戻らせてください」
「えっ? いや、それはいいけど、イーリス、お前は……残りたいんじゃないのか?」
先ほどの事情を聞いていたノエルは思わず尋ねた。
言外に肉親を害された憎しみをぶつけなくていいのか、と言われたイーリスは決意した顔をしていた。
「あの日の苦しみをもちろん忘れてはいません。二度と忘れはしないでしょう……だけど、今の俺の守るべきは、プルミエ様なのです。聖堂には修道士がいますが、ちゃんとした攻撃魔法が使えるのはほぼプルミエ様だけです。他は兵士に少し毛が生えたものですからね」
「その辺のごろつきならどうにかなりますけど、イーリスを殺しかけたような奴らがまた、今度聖堂に押しかけてきたらと思うと僕たちの聖堂も危険かもしれません」
イーリスの瞳の光がふっと無くなる。
「オリテの城の二の舞には……させない」
ニコラも真剣に呟いた。
「はい。今度こそ守ります。絶対に」




