救出
いつしか心臓が鼓動を早め、冷や汗が額を伝っていた。そのことに今の今まで気が付かなかった。
「レイン!」
暗闇で開けていた目に光がちらつく。
希望が飛び込んで来た。
「ここです! ノエル様!」
レインハルトは叫んだ。
拘束されている腕と足をよじって逃げようとしたが、それよりも男の方が速かった。
「動くんじゃねえ! 妙な気を起こすな!」
焦ったような男の声がして、まるで馬の手綱でも握るかのように衣服を掴まれる。
「それはこちらの台詞ですよ」
言ったのはイーリスだった。
ボッという音がして、光が点いた。ひび割れたランタンが、粉々になった緑の魔法石と共に床に転がっていた。
入り口で無表情のモルフェが、右手に光の球を持っていた。壊れたランタンを拾い上げてぞんざいに中に突っ込む。
地下室の中は先ほどよりも明るくなったが、雰囲気は冷え込むばかりだった。
男はレインハルトの襟元を掴んでいたが、イーリスが細い剣の切っ先を男の喉元に突きつけていた。躊躇いのない冷静な動きに男は本気を悟った。これは、自分と同じ種類の人間だ……。
「誰に何をしているのか理解しているのですか。早く手を離しなさい」
男はすっと力を抜いた。
レインハルトが床へ崩れ落ちる。
男が絞り出すように言った。
「……王子の仲間か。どうしてこの場所が分かった」
「入店を拒否された場所が一箇所だけありましたからね。宝石屋の主人と『客』たちには眠ってもらっていますよ」
「おい、お前、もう諦めろ」
モルフェが言った。
「そいつは蛇よりしつこいぞ」
「おや、褒め言葉でしょうか」
イーリスがしれっと表情を変えずに言う。
「この男は私がこのまま引き取りましょう。まだ幾つか聞きたいこともあります。ノエルさんたちは王子を」
「おう!」
ノエルとニコラが駆け寄り手早くレインハルトの紐を解いた。
モルフェが男に手をかざした。パチッと弾けるような音がする。パラライズ、麻痺魔法だ。男はカエルの潰れたような声を出して床に伸びた。
「俺は残る。魔法が使えるのがいたほうがいいだろ」
「おや、お気遣いありがとうございます」
イーリスが涼しげに応える。
ノエルは、布でレインハルトの汗を拭った。
「レイン……悪かった。遅くなった」
「いいえ、ノエル様」
「痛かったか。ごめんな」
「ノエル様が謝ることではありません」
ニコラが爪でロープを切ってくれた。
腕と足に血が巡る。レインハルトは動こうとしたがニコラに止められた。
「いけません。急に動くと一気に血が巡って危険なんです。僕が回復魔法をかけながら運びますから、そのまま横になっていてください。ノエルさんは頭の方を持って」
「分かった」
レインハルトの全身を温かい膜のようなものが包んでいく。
力を抜くと今までの緊張感が全て解放されたように、頭がずきずき痛んだ。
「レイン。どこか痛いか」
ノエルは泣きそうな顔をしていた。
「いいえ、どこも痛くありません」
レインハルトは嘘をついたが、ノエルは少し怒ったようにレインハルトの鼻をつまんだ。
「んなわけあるかよ」
「ノエルさん、そこ階段です、気を付けて」
獣人のニコラは小柄だけれど怪力で、レインハルトなど軽々運べる。それでもノエルに手伝うように言ったのは、自分への配慮なのではないかとレインハルトは思った。
「レインさ、実は俺、みんなより少し先にここに来たんだ。入ろうと思ったんだけどなかなか鍵が開かなくて……この店は狭いから俺が魔法使ったら崩れるかもしれないって……最後はモルフェにやってもらったんだけど、あのさ」
ノエルは言い淀みながら、レインハルトの顔を気まずそうに見た。
「お前、俺のこと好きなの?」
「はい?」
好きか嫌いかでいえば、もちろん前者ではあるが、何だというのか。
「というか、駆け落ちしたいのか?」
「すみません、ノエル様。どういうことですか?」
「お前、あの男にべらべら喋ってたじゃん。ノエル様がいればいい、とか何だとか」
「あっ」
レインハルトは先ほどの情熱的な台詞の数々を思い出した。
「ノエル様、いつから居たんですか?」
「『守りたいものができたんだ』くらいから」
「うっ……その、違うんです。恋にうつつをぬかす間抜けな男の方が油断させられると思って、ですね」
ニコラがふふっと笑った。
「『ノエル様を泣かせるわけにはいかない』でしたっけ? かっこよかったですねえ」
「やめてくれ! 違う! 敵を油断させるためで」
「はいはい。王子、血流悪くなるので、あんまり力まないでくださいねー」
ノエルとニコラに運ばれながら、こちらのほうがある意味拷問らしいのではないだろうか、とレインハルトは思った。




