尋問
冷たい鉄の香りが鼻を刺激し、レインハルトは目を覚ました。
「ここは……」
「ようやくお目覚めか。王子様」
無精髭でにやついていたのは、レインハルトに薬を浴びせかけた女を連れ去ろうとした男だった。
埃っぽく、どこかの地下室のようだ。
あの女とは初対面のようなことを言っていたが、ここにいるということは嘘だろう。
「おまえたち……グルだったのか」
「いやあ、まんまと騙されてくれたぜ。素直でいいねえ、若いやつってのは」
男はくつくつと笑い声をたてた。
レインハルトは、手足を鉄の枷で縛られ、床に投げ出されていた。
体中が痛み、荒い呼吸だけが響く。
(これは……魔力か?)
「苦しいだろう。特製のオリテの薬を少しばかり塗った。全身が針で刺されるようだろう。
まだこれは序の口だぞ。指輪のありかを吐け。そうすれば楽にしてやる」
男の威嚇の声が、狭い空間に響き渡る。レインハルトは、歯を食いしばった。
(指輪? ……あの形見の指輪。父上が遺したあの指輪か!)
十年前にプルミエに対価として渡した王家の指輪をレインハルトは思い出した。
霧が晴れたように、隠していた過去の記憶がサアッと脳に開ける。
視界の端に、地下室を照らすかすかな灯火が揺れているのを、レインハルトはじっと見つめた。
動揺を悟られては負ける。今度こそ本当に――。
男がにやりと笑った。
「交渉といこう、王子様よ。バルナバス様は、その指輪がなければ鉱山を動かせないのだ。早く渡してしまえ」
「鉱山?」
レインハルトは、ブリザーグ家の面々が引っ越してきたときのことを思い出した。
ノエルの母はゼガルドとオリテにかかる場所に、魔石の『鉱山』が見つかって、レヴィアスにやってきたと言っていた。
まさか、あの魔石の鉱山だろうか。
「まあ、それがなければ、計画は全て水の泡だってことだ。なあ、悪いことは言わん。お前だってその綺麗な顔を切られたくはないだろう?」
男は柄の太いナイフを取り出してレインハルトの瞳を見た。
手慣れている。
レインハルトは内心の動揺を悟られないように、男を睨み付けた。
口の中がカラカラに乾いて干上がってしまいそうだ。
立ち向かおうにも、剣は奪われてしまった。
懐の道具も全てさぐられ、盗られてしまったようだ。
「計画? バルナバスは何か計画しているのか?」
レインハルトは無垢を装って尋ねた。
男はつまらなさそうに言う。
「そうだ」
「どんな計画だ」
「王子様に話す義理はねぇなあ」
レインハルトは涼しい顔で言い返した。
「俺が今、舌を噛み切ったらお前の責任だな。そうすると、尋問、いや、拷問に失敗したお前が責任を問われる。バルナバスに……」
男は目を丸くした。
そして、一瞬の後、大声で笑い出した。
「あっはっはは! この状況で俺を脅そうっていうのか。……さすがだねえ。王の血ってやつか。さすが、獅子の子レナード」
久々に呼ばれた名前はまるで他人の名前のようだった。
ずいぶんとゼガルドに染まってしまったと、レインハルトは改めて思う。
もう今やレナード王子ではない。ただのレインハルトとして、自分はここに来たのだ。
深く青い瞳に真っ直ぐな光を宿したまま、レインハルトは男に持ちかけた。
「悪い取引じゃない。お前はバルナバスに指輪を持って行くことができる。俺は指輪と引き替えに命を永らえる」
「ほお? 王子が命に執着があるようには思えねぇけどなあ」
「……守りたいものができたんだ」
「あ?」
「ノエル様を泣かせるわけにはいかない」
「ノエル? あ、ああ! 報告書に書いてあったなあ! そうか!」
男は目を輝かせた。
「ノエル! ノエル・ブリザーグか! ゼガルドの伯爵家のお嬢さんに仕えて、主従ごっこをしているうちに身も心も惚れ込んじまったってことか! ハッハ! そうとうの上玉だって噂だもんなあ。獅子の子もカタナシだ。いや、好都合だからいいんだ、俺たちにとっちゃあ」
「そうだ。ノエル様と生きるために、俺は命を永らえたい。王子の身分は捨て、指輪はバルナバスにやろう。国も何もかも。俺はノエル様さえいれば、それでいいんだ」
「アハハハハハッ! 恋の前じゃあ王子様もカタナシだなあ!? お前が四十五十じゃあこんなことにはならなかったろうに。まぁこれも歴史の引導ってやつだろうな。さあ、恋する王子様よ。取引きといこう。命は保証する。オリテはすぐにレヴィアスを降伏させる。ゼガルドもな」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、レインハルトは思わず聞き返した。
「なんだと?」
「お嬢さんと逃げ延びたけりゃあ、名前も顔も変えて、海の向こうにでも渡るんだなあ。そして一生このオリテの地を踏むな」
「おい、ちょっと待ってくれ。オリテがレヴィアスを降伏させるだと?」
レインハルトの疑問も最もだった。
オリテは国土はほんの少し、ゼガルドの三分の一にも満たない。伝統はあれども、国力は不十分だ。そして、ゼガルドよりも強大な国にみるみるうちに成長を遂げたレヴィアスは、もはや連合軍のようだ。国土面積だけでいえば他を圧倒している。ゼガルドならともかく、オリテがレヴィアスに敵うわけがない。常識的に考えればそうだ。
男は嫌な笑みを浮かべた。
微笑髭の間から刀傷が見え隠れする。
「あの指輪はどこにある?」
「俺の質問に答えろ。そうしなければ指輪は――渡せない。いったいバルナバスは何をたくらんでいるんだ?」
男はじっとレインハルトを睨み付けていたが、レインハルトの視線が全く揺るがなかったのを見て取って態度を変えた。
男はため息を吐き、首をポキポキ鳴らした。
「しょうがねぇなあ。バルナバス様はこの大陸の平定をされるのだ」
「オリテにそんな兵力などないはずだ」
「国力は兵だけじゃねぇ」
男は己の刀傷を撫でた。
「オリテの兵士は昔は刀技だけで生きていた……まるで動物だ。俺だってそうだ。王は滅びても民衆は滅びない。拾われた俺はバルナバス様の元で人斬りばかりやってきた。が、もうそんなことはしなくていい。そのためにも指輪は必要なんだとよ」
レインハルトは形見の指輪を思い出した。
伝統と格式を重んじるオリテの王家らしい、緻密な刻印。
血のように紅い、脈々と受け継がれる宝石。
レインハルトの頭の中で、何かと何かの歯車が噛み合った。
あの紅には見覚えがある。
薔薇のような、見る者全てを別の世界に誘ってしまうような――。
「あれは……あれは、魔石か?」
レインハルトが絞り出した言葉に、男は、
「その通りさ」
と歌でも歌いそうな調子で返した。
「数十年、いや、数百年あっても発掘は難しいだろう。貴重な……貴重な魔石だ……バルナバス様はあの指輪で世界平和を成し遂げようとされているのだ」
「そんなこと、本当にできると思っているのか」
「できるのさ」
男は地面に転がった木箱を軽く蹴飛ばした。
空いた空間に酒樽を持ってきて、どかりと座る。
そうとうな怪力だ。
バルナバスに見込まれているだけのことはある。
その時、レインハルトにある考えが浮かんだ。
オリテの鉱山の紅い魔石。
莫大なエネルギーを生み出す悪魔の石……。
もしも、それらの全てのエネルギーを一気に放出させることができたら?
レインハルトは自分の中に浮かんだ考えを打ち消そうとしたができなかった。
(いや、そんな、まさか……だが、万が一あの指輪が何かの引き金になるとしたら……)
青い顔をしたレインハルトを、男は眺めていた。
その表情には、避けられなかった病で死ぬ運命にある子猫を見守るような慈悲さえ浮かんでいた。
「報告書にあったように、賢い坊ちゃんだなあ。お前は……だがなあ、もうちょっと顔に出さないようにしなきゃいけねえよ。
悪い大人に付けいられる」
レインハルトが黙っていると、男は静かな声で言った。
きかん坊のいたずらを咎めて、ゆっくりと諭すような口調だった。
「そうだ、お前の思っている通りだよ……あの指輪の石は特別だ。あの魔石の山の中の親分みたいなもんなんだ。
だから、『王家の系譜の者しか触れてはならない』んだ。オリテの王家の系譜の者以外が触ると皮膚が焼け、激痛が走る。
そういう魔法がかけられてあるらしい」
「魔法? オリテでは魔法を使える人間はいないはずだろう」
「さあな。その辺のことは俺には分からねぇよ。だが、確かなのは、……この十年、懸賞金をどれだけつり上げても、あの指輪が見つからなかったってことだ。
お前の持ち物の中にも。なあ、正直に言えよ。どこに埋め込んでる? お前以外にいないだろう」
「さあ? どこだと思う?」
「……まあ、いいさ。時間はまだある。じっくり探してやろう」
レインハルトは冷や汗がばれないように、精一杯顎をあげて男を睨み付けた。
チクチクと体中の皮膚が痛む。
だが、ここで諦めるなんてあり得ない。
もう少しで真実にたどり着きそうな気がする。
「お前は生かしとかなきゃいけねぇからなあ……難しい仕事だぜ、これは」
男がため息交じりに呟いた。
絶体絶命のピンチであることに変わりは無かった。
「上からか……下からか……どっちがいい? 選ばせてやろう」
大ぶりのナイフの刀身に男の頬の刀傷が映る。
「どちらもごめんだ」
「はあ、反抗期の坊ちゃんってのは面倒だな。拷問を増やしやがる」
男はナイフを床に置き、レインハルトの金髪を掴んだ。
「気を失う前に早めに言えよ」
クリーム色のシャツの襟元にナイフを差し込み、男は丁寧に服を切り裂いた。
布と布の繊維が断裂していく、ビッという音が耳障りだった。
男の息と、指先の事実が酷く不快だ。
あと少しでも動けば、一瞬でも間違えば、服よりもずっと柔い皮膚一枚簡単に駄目になってしまうだろう……。
気を抜けば捕食される鼠のような気持ちになりそうだ。
レインハルトは心の中に獅子を思い描いた。
獅子は倒れるときでも獅子のままだ……。
男が場違いな口笛を吹いた。
「ほお~。お前、なかなかやるなあ。ここで暴れるか泣き言を入れるのが普通なのに、微動だにしねえ」
「やるならやればいい。俺が死んだら指輪のありかは誰も分からずじまいだ」
「よしよし、こういうやつほど本当に痛めつけると弱かったりするんだ。ちょっと斬ってみるか? 大丈夫だ、
お前を殺すわけにはいかねえから、まあ、片腕がちょっと動かなくなるか、背中の見栄えが悪くなる程度さ」
背の切り裂かれた衣服から白いレインハルトの背中が露わになり、揺らぐ灯が影を落とした。
男はナイフを逆手に持ち替えて、無抵抗な獲物の背後に回る。
生あたたかい息と、隠そうともしない殺気が、首筋を撫でた。
レインハルトは目を開け、怒ったように灯りを睨み付けた。
絶対に命乞いなどしてやるものか……。
パッ!
銀色の光が目の端にきらめいた。
直後、パリンッと何かが割れる音がする。
灯りが消えた。




