物盗り
「ほんとに、ここはどこもかしこも殺伐としてやがる」
モルフェは小声で呟きながら、イーリスを見た。
「お前みたいな、おっ……顔してたら、すぐに目をつけられそうだな」
「おっとは何ですかおっとは」
「言っていない」
「言いましたよね?」
「言ってない」
「もしや、おっぱ」
「言っていないし見てねぇ」
イーリスはやれやれと肩をすくめた。
美女の瞳の色は確かに陰険メガネイーリスと同じだ。同じなのだが……。
「見てたんですか。まあ、構いませんよ。世の中の煩悩は愚かでくだらなくて、悟りを開けば可哀想ですらありますね」
「お前ほんっと性格悪いよな」
「褒め言葉でしょうかねぇ」
イーリスは眉をひそめ、周囲を冷静に見渡した。
「冗談はさておき、見た目に関わらず、警戒しないといけないのは分かっています。こんな治安ならば、もはやオリテは国として終わっています」
「おい、お前は昔オリテの兵士だったんだろ。昔はこんなのじゃなかったのかよ」
「ええ。私が忠誠を誓っていた方が生きていらっしゃった頃は……こんなふうではありませんでしたよ」
モルフェはイーリスの意外な返答に片眉をあげた。プルミエ以外に、この陰険メガネが大人しく仕えることなどあるのだろうか。
すると、目の前で突然、怒声が上がった。
「こっちだ! あいつを捕まえろ!」
数人の男たちが一人の少年を追いかけ、街中で大声を上げている。痩せた少年は必死に逃げ回り、男たちが怒りに満ちた顔で追い詰めている。モルフェはそれを見て、深いため息をついた。
「ほらな、これがオリテの現実だ。チビの盗賊だって、路上で堂々と仕事してる」
イーリスは冷徹な目でその状況を見守っていた。
「一時の情で、目立ってはいけませんよ」
モルフェは一瞬ためらったが、軽く足を踏み出した。
少年は顔を青くしながら逃げ回っていたが、ついに路地の奥へ追い詰められた。男たちの一人が持っていた鉄の棒が、少年の頭部に向かって振り上げられる。
棒が当たる直前で、モルフェは素早く近づき、その男の腕を掴んで引き寄せた。
「おい、こんなガキ相手に何してるんだ?」
モルフェは鋭く言い放ち、男の目をじっと見つめた。
男は一瞬驚き、視線を逸らした。
「こいつ、盗みを働いたんだ! 大人も子供もねぇよ。やっと追い詰めたんだ。邪魔するな」
「何を盗ったんだ」
「これさ……金も無いくせに、おかしいと思った」
「薬草か」
モルフェはそのまま男の手を払い、少年をかばうように立ち位置を変えた。
「気持ちは分からなくないが、薬草一つで大人が束になってとっちめるってのはやりすぎじゃないか」
イーリスが言った。
「弱者は次の弱者を探し求める。昔の格言の通りですね。王家に虐められた人間が、また街の弱きものを虐める。さらにその憤りはもっと弱いものへと向かう……」
「うっせえよ! 俺たちだって慈善事業じゃねえんだ!」
男が吠えた。
モルフェが一歩進み出た。
「いくらだ? 俺が払う」
「正気か? まあ、金さえもらえりゃあ……1000シルだ」
「1000!? これ、普通の薬草だよな」
「闇市なんだぞ。普通も何も無ぇよ」
モルフェは少年が握りしめている薬草を一瞥した。
体力が多少回復するだろうが、別段変わったところはない。
レヴィアスの物価の感覚ならば、100シルくらいだろう。
あまりにも高すぎる。
少年は震えながらモルフェの後ろに隠れ、男たちも少し戸惑っているようだった。
モルフェが諦めて、男にコインを放った。
「もう行け。逃げろ」
少年は躊躇った後、感謝の気持ちを込めて小さく頭を下げ、急いで走り去った。
男たちはしばらく黙って立ちすくんでいたが、やがてひとりが口を開いた。
「……あんたら、旅人か? よっぽど暇なんだな」
「暇じゃない」
モルフェが冷たく言い放ち、背を向けて歩き始めた。
「そうですね。やるべきことはたくさんありそうです」
イーリスもゆっくりとその後ろをついていく。
会話は無くとも、二人の胸にはあの痩せた子どもの怯えたような目が焼き付いていた。




