宝石屋
イーリスが店に入ると、来店していた何人かの紳士や淑女が振り向いた。オリテの貴族ではなく、成金の旅人かと見て取ると、興味を失ってすぐに視線を逸らす。
「失礼ですが、お客様。どちらかのお客様のご紹介でしょうか」
「ああ、いや……そういうわけではないのですが」
「ならば、恐れ入りますが、お控えいただけますでしょうか」
イーリスはパチリとまばたきをした。
入店するなという意味だろうか。
「それは、店に入るな、という意味でしょうか」
あくまでも慇懃に尋ねてみると、片目がねをかけた店員は、仕立ての良さそうなネクタイの結び目をひっぱって、露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「はっきり申し上げて――そうなのです。実は、今ご来店いただいているのはオリテの国内の貴族の方々ばかりでして」
「爵位が無ければ、買えないと」
「いえ、そんなことはありませんが……いや、しかしですね、我々は伝統と格式を重んじるオリテの忠実なる国民なのです。それがどこの馬の骨かも分からぬ者に、貴重な品を売ったとなると、いやはや……申し訳ございませんが、今回はご遠慮いただけませんか」
貴族連中はイーリスなど、店に入ってきた羽虫のように扱っていた。存在すら認識されていない。
店員は無遠慮に、イーリスの胸元をじろじろと見た。
片目がねがキランと光り、この伝統的な格式高い店内にふさわしくない物は排除すべきだと無言で囁いていた。
「それでは――おいとまいたします」
イーリスは丁寧に会釈をして、きびすを返した。
店内にいた貴族たちは、プルミエの資料で見たことがある。
ブレンメ男爵、キットゥ伯爵、ピュートオ子爵。
確かに皆、オリテの有力貴族たちだった。
奴らは丸々と肥え太り、宝飾品を品定めしていた。
宝石店から出たイーリスを誰かが呼び止めた。
「おい」
振り向くと、裏路地から黒髪の男が手招きしている。
モルフェだった。
「収穫はどうだ」
イーリスは軽く眉をひそめて答えた。
「貴族たちは元気そうですね。とても――」
「ふん。含みがある言い方だな」
「入店を拒否されました」
「本当か?」
裏路地で肩を寄せ合いながら、イーリスとモルフェは囁き合った。地べたで座って手酌で酒を飲んでいる酔っ払いが、イーリスを見上げて下卑た口笛を吹いた。
「ヒュウ、ねえちゃん! い~いもん持ってんじゃねぇか」
モルフェがせせら笑う。
「おい、イーリス、こんなに美女になったってのに、宝石が買えなくて惜しかったな」
イーリスは店内で感じることの無かった怒りの感情が、今少しばかり芽吹いたのを感じた。
「イーリスではありません。『イル』ですよ……モルフェさん」
わざと色気を滲ませて言ってやると、モルフェは分かりやすく嫌そうな顔をした。
「キメェ……今すぐやめろ」
「ほう。私に命令できる立場だと主張しているのですね?」
「やめてください」
路上の浮浪者が歯の無い口で笑った。
「がっはっは! 姉ちゃん、あそこの店に行ったのかあ? だめだめ、オリテは貴族は人間、それ以外は人間じゃねぇんだからよ!」
「どういうことだ?」
浮浪者に向かってモルフェが声をかけた。
「そのままの意味だよ! オリテは変わっちまった。貴族や王族じゃねぇと生きてる価値が無いんだよ。不平等だよなあ、俺らはなぁんにも悪いことせずに、ちょっと酒やら女をつまんでよ、つつましぃく生きてただけなのによぉ……食料も金も巻き上げられて、今や一文無しだあ……」
「今の王は戦をするのか?」
「いんや。戦争なんてしねぇよ。政治には金がかかるんだとよ……税さ」
浮浪者は咳き込んだ。薬のように酒を流し込んで飲み込むと、また話し出した。
「税はどんどんあがっていった。賃金もあがらないのによ……昔なら50シルで買えたグレッドが、10年経って、今は200シルだ! 贅沢品だよ!」
男によると、オリテの街の治安は、この10年でますます悪化していた。
10年前、レヴィアスとの国交が途絶えて以来、街は急激に衰退した。獣人を国外に退去させ、かつての繁華街は閑散とした。人々は疲れ切り、活気を失っていた。税金は年々引き上げられた。貴族や商人たちはますます豊かになっていったが、一般市民の生活はどんどん厳しくなった。
「バルバドス王になってから、貴族や王族、城で働く者たちには税の優遇政策がとられたんだよ。学の無ぇ俺たちには分からなかった。獣人を追い出すのは国防だと言われた。それでどんなことになるか知らなかった……人口を失ったオリテは、税を引き上げたよ、それに許可を貰わないと国外に逃亡できないように、防御を固めた。そうだよ、あのときから……思ったら、10年前から、俺たちは奴隷になってたんだよ……この国の……」
浮浪者はゴウゴウといびきをたてながら眠り込んでいた。
イーリスはじっとその姿を見ていた。
モルフェはイーリスのなめし革のジャケットの裾をひいた。
「行こうぜ……もう十分だろ」
モルフェたちも街を歩きながら、その空気を肌で感じていた。かつては賑やかだった広場も今は荒れ果て、店自体が閉まっている場所も多い。
すれ違う人々の顔に疲れた表情が浮かび、誰もが無言で足早に歩いている。
元気なのは馬車だけだ。ゴロゴロと石畳を時折走る貴族の馬車を、水分の抜けた野菜を並べて売っている子どもが魂の抜けたような顔で眺めていた。




