グレッド屋にて
オリテの街の中には店が点在し、広場の近くでは行商人たちが元気よく声を上げていた。
雑踏の中でノエルは無駄に目立たないようにフードで顔を隠しながら、視線を周囲に巡らせて歩いた。
やはりこの街は何か違和感がある。
城下町ならばもっと活気があっていいはずだ。町人たちが買い物をして、馬車が行き交い、喧噪もあれど子どもが走り回って……。
しかし、石畳の上には数えるほどの人間しかいない。
行商人こそ元気がいいが、それ以外の店は魂が抜けたようだ。
路地を歩いていると、グレッド屋の前で言い争う声が聞こえてきた。
木の机の上に籠がある。中には小さく切ったグレッドが入っていたのだろうが、今はほとんど無い。
その前で男二人が言い争っている。
「おい! こんな乾いたまずいグレッドが売り物になるか! 常識で考えて、食べ物じゃねぇだろ。謝罪しろ!」
若い男が唾を飛ばして叫んだ。
もう一人のエプロンに粉のついた恰幅の良い男が不機嫌そうに足を踏みならした。グレッド屋の主人らしい。
「なんだと!? 試食を食うだけ食い散らかしやがって……ただで文句を言いたいだけならウチで買い物するんじゃねぇよ!」
「あ? 『指摘』してやってるだけだろう? お客様に向かって何だその口のききかたは!」
男は怒鳴ったが、店主は負けていなかった。腕まくりをして叫び返した。
「うるせえ! こっちはな、好きで商売やってんだ。無理に気に入ってもらわなくて結構! 客だろーがなんだろーが、最低限の礼儀も知らねえやつに、頭下げてウチの品物買ってくれなんて頼まねえよ」
図星をさされたのか、男はケッと捨て鉢にせせら笑うと、店の前に置いてあった看板を蹴飛ばした。
バキッと音がして、細いイーゼルの脚が折れる。
「二度と来るかこんなクソみたいな店!」
男は吐き捨てて、走り去っていった。
脇を走り去った男から、微かにバニラのような甘い匂いがした。
「うわっ!」
ノエルと一緒に歩いていたニコラが、耳打ちした。
「酷いや。なんだか不穏ですね……」
「そうだな」
ノエルはため息をついた。
自分にだって少し身に覚えがある。
ゴミのように生きていた前世の若い自分は酷い環境にいたが、そこで似たような光景をいくらだって見た。
寂れた町にはいつも、虫と貧しい人間が湧く。
ノエルは木のイーゼルを立て直している店主に近寄った。
『ホーリ・グレッド』
と黒い板に白い字で四角いグレッドの絵と店名が書かれている。
「大丈夫ですか」
ノエルは道の上に倒れた看板をひろいあげた。
店主がへにゃりと眉を下げた。
「あ、ああ……すまんな。変なところを見せてしまって」
ぷんすかしているニコラがちょこちょことイーゼルに駆け寄る。
「手伝います。酷い人もいるんですね」
「最近良くあるんだよ。客だと言い張るんだが……あいつらは星鳥の群れみたいに全てを食い尽くしていくんだ」
「あいつらっていうのは……さっきの人みたいのが、まだいるんですか?」
「ああ、そうさ。ここの近くもスラムみてぇになっちまった。みんなゼガルドに逃げていこうとするんだが、捕まっちまったら死刑だ。ここは入るのは簡単だが、出るのは難しい。あんたたち旅人か? 気を付けたほうがいい、スリも強盗も多いからな。オリテも昔は治安が良かったんだが……景気は悪くなる一方さ」
グレッド屋の店主は、ニコラのフードをちらりと見た。
かがんだ拍子に布の端から少し、耳の毛が見えていた。
「あんた、獣人か」
店主は小声で呟いた。
「えっ」
ニコラはあわてて、フードを深く被る。
ノエルは身構えたが、店主はため息をついただけだった。
「おびえなくていい。俺はホーリだ。ここの店長をやってる……なあ、気を悪くしないで欲しいんだが、オリテを早く離れた方がいい。どうにかして出国しなよ。悪いな、してやれることがなくて。俺は不器用でよ、グレッド作りしか能が無いんだ」
グレッドの店内は香ばしい匂いに包まれていた。
ノエルは胸いっぱいに久々の小麦の香りを吸い込んだ。
だが、朝だというのにトレイの上には数個のグレッドしか置いていない。
ホーリは自嘲気味に言った。
「正直、もう客なんてほとんど来ないんだ。グレッドなんてこんな古くさい贅沢品、誰も見向きもしない」
「そんな……」
グレッド好きのニコラが傷ついたように呟いた。
「売れるのは安くて味のつかない値引き品のグレッドだけさ。まあ、それでも俺の店は城に卸してるからな。食いっぱぐれることはねえ。だが、それを妬んでるやつがああやって嫌がらせをしてくるんだ」
その言葉に、ノエルは小さく頷いた。
オリテの城下の町の雰囲気は賑やかでありながら、どこか陰湿な空気を漂わせている。
どこかごみごみした路上、壊れたままの小さな留め具、何よりも人々の笑顔が無い。
マールの村とは大違いだ。
一方、イーリスは市場を少し離れた場所で、目立たないように歩きながら人々の動きを観察していた。
普段は堂々としているイーリスだが、こうした場面では慎重に行動することを忘れていない。
このオリテの町は山の陰になるからか、曇りの日が多く、昼間でも薄暗い。
ふと、広場の奥に宝石屋があるのを見つけた。
老舗の宝石店ならば、王家の人間と繋がりがあるはずだ――。




