感謝祭と剣舞
混乱を招くから、とルーナは西に戻ることをしなかった。
マールの村でバカンスを過ごすのだと豪語し、それなりに楽しくやっているらしい。
最初は歩いていて物にぶつかったりすることが多かったが、コツをつかめば歩行も問題ないらしい。
嗅覚と聴力が優れている獣人の能力がここに来てルーナを助けていた。
ルーナは表向きには明るく振る舞い、村人ともそこそこうまくやっているように見えた。
だけど、時々窓辺に座り、じっと外の風を感じているように耳を外に向けるようになった。
「ルーナ、少し散歩でもしないか?」
ある日、ノエルがそう声をかけると、ルーナは少し驚いたように振り返った。
「散歩?」
「そうだ。いい天気だし、外の空気でも吸えば気分が晴れるかもしれない。」
一瞬の間があった。ルーナは視線を外に戻し、考え込むようにしていたが、やがてふっとため息をついて立ち上がった。
「わかりました」
ノエルはルーナの手を握った。
「あたし、自分で歩けます」
「このほうが早いだろ」
「……ですね」
二人はオアシスの隣の木陰に腰を下ろした。
木々の間を通り抜ける柔らかな風が二人を迎えた。
葉の揺れる音や小さな鳥たちのさえずりが、どこか心を落ち着かせる。
ノエルは話しかけた。
「ルーナ、ここの生活はどうだ? 正直なところを聞かせてほしい。」
「慣れてはきました」
ルーナの返事は短く、声も抑え気味だった。
「でも、引っかかることがある?」
ノエルは穏やかな声で問いかけた。
その言葉に、ルーナは口を開いた。
「……時々、わからなくなるんです」
「何が?」
「大丈夫、って思うのに……ふとしたときに不安になるんです。いつまでこの状態が続くのか。ずっとこのままなのか、それとも元に戻るのか。はっきりしたら楽になれるのに、いつまでも分からないのが、こんなに辛いなんて」
その声には微かな震えがあった。
「あたし、正直最初は女王なんてって思ってました……そんなの似合わないって。でも、少しずつ皆さんがあたしを頼ってくれたり、レヴィアスの町が大きくなっていって、町の人たちに感謝されることも増えて……もっと、こうしたらいいんじゃないかってアイディアだって出るようになって。ようやく何とか、役に立てそうなところまで来たんです。だけど……あたし、辞めなきゃいけないんでしょうか」
ノエルはしばらく黙ってルーナを見つめていた。
ルーナがそんなふうに考えていたとは気付かなかった。
面倒だと思って押しつけた役職であることは否めなかったが、ルーナがそんなにレヴィアスを大切に思っていることが意外だったし、嬉しかった。
そして、ノエルは一つの考えにたどり着いた。
「なあ、ルーナ」
「はい」
「祭りを開こう。村全体で感謝祭をするんだ」
「えっ? 何て言いましたかノエルさん」
「お前が女王を辞めるか辞めないか、視力が戻るか戻らないかは、はっきり言って俺にも分からない。だけど、今のお前にだってきっと、誰かの役に立ったり、楽しめることがあるはずだぞ」
*
マールの村、いや、もはや城下町だが――の日々の営みは穏やかだった。
その静けさは平和で喜ばしいものだったが、今日は様子が違っていた。
広場では、色とりどりの飾り付けが進められ、魔法で赤や青や黄色に光らせたランタンや旗があちらこちらに飾られた。
村人たちは楽しげに手を動かして、出店の準備をしていた。
料理担当のグループは、香ばしいボア肉のローストやスパイスの効いたスープ、甘い果実の飴を準備している。串焼きの匂いが村全体に漂い、タルザールのタレやラソの塩がノエルの手によって持ち込まれた。
獣人の音楽隊は即席のリハーサルを始め、笛や太鼓の音が賑やかに響く。
獣の角や牙を使った伝統的な楽器は独特の音色がして、非日常感を高めていた。
「本当に私がやるんですか?」
準備の最中、ルーナが少し不安げに尋ねた。
幼少期、オリテの孤児院にいたルーナは、何かの行事で剣舞をさせられたことがあるらしい。
剣の盛んなオリテでの、伝統的な舞らしい。
レインハルトとルーナが二人で舞を披露するのが、この祭りのステージの目玉だった。
「ルーナが剣舞を見せてくれたらすごく盛り上がると思う。無理にとは言わないけど……」
ノエルは真剣な顔で答えた。
ルーナは見えていなくても、その場の雰囲気を感じ取っているようだった。
少し考えた後、ため息をつきながら剣を手に取った。
「十年ぶりですよ」
「間違ったっていいからさ」
「レインさんに斬りかかってしまうかも」
「大丈夫だろ、レインだし」
そして、やがて剣舞の時間がやってきた。
中央の舞台に立つルーナの姿は、これまでの彼女とは違って見えた。
美しい布で目隠しをして、長いゆったりとした白い装束を身につけたルーナは神々しかった。
そして、正面にはレインハルトが、金色の衣装で相対している。
一組の雌雄の獣、獅子を表しているらしい。
音楽が鳴り、ルーナとレインハルトが足音も無く動き始めた。
獣人の身体能力を活かした優雅な動きと、鋭く正確な剣捌きが舞台を魅了した。
火の明かりが剣の刃に反射し、動きに合わせて光が舞う。
その様子は、まるで星が踊っているようだった。
マールの村人たち、そして集まった獣人たちはその光景に息を呑んだ。
「きれい……」
「ああ、本当に」
次第に歓声と拍手が沸き上がった。
ルーナは踊っているうちに思い出していた。
オリテの孤児院ではこの舞を、毎週やっていた。
そこまで複雑な動きはないが、これは雌雄が揃って初めて完結するのだ。
レインハルトの流れるような動きが風を起こし、鼻先に存在を感じる。
もしも鋭いかぎ爪を持っていても、怖くないだろう。
(あ、見える)
ルーナの視力は回復していなかったけれど、脳裏にはっきりとレインハルトの姿が感じられた。
目ではなく、触覚や聴覚、嗅覚の全てが、ルーナに相手の動向を実感させる。
(もしかしたらあたし、この瞬間をずっと探していたのかもしれない――)
鈴の音が鳴り、つかの間の、しんとした静寂が訪れた。
村人たちはルーナとレインハルトを囲み、口々に賞賛の言葉を送った。
「素晴らしかった!」
「剣舞なんて初めて見たよ」
「ありがとうねえ」
そのとき、村人の中から小さな獣人が飛び出して、レインハルトに駆け寄った。
「おじちゃん、あんなにきれいに踊れるなんて、すごいね!」
「お、おじちゃん……? 俺はまだ二十代になったばかりだが」
複雑そうに呟くレインハルトの横で笑うルーナは、旅をしていたときのままの笑顔だった。




