串焼き聖女と来訪者
むしゃむしゃとボアの串を貪りながら、ノエルはオアシスの泉で足を浸していた。
マールの村ーーもはや村ではなく、城下町というのに相応しいがーーは、繁栄していた。
山羊の獣人のヤックたちを中心として作りあげた広大な農園を中心に食料が増え、西からやってきた人間もちらほら増えてきた。
西レヴィアスと東レヴィアスの融和は、完全ではないけれど進んでいる。
獣人のルーナが女王になったのも大きい。
さらに、ロタゾに祖国を滅ぼされた少数民族や何人かの若者が、マールを目指して移住してきた。
来る物拒まず、去る者追わずのマールの村には、こうして獣人の集落と人間の居住地が少しずつ混ざり合っている。
もう、一人の身ではない。
単なる伯爵家の令嬢というだけではなく、あれよあれよというまに、いつの間にか国を率いる聖女になってしまった。
ノエルは細く息を吐き出した。
(銃弾が胸にぶち当たったときは、こんなふうになるなんて想像もしてなかったぜ)
一度は死んだ身である。
今更、富とか名誉とか、戦争やら結婚やら何やらに執着する気は毛頭なかった。
ノエルが欲しかったのは自由だ。
金だって好きな食べ物を手に入れられるくらい在ればそれで良かった。
タルザールの酒場では、まかない飯目当てにスタッフとして本気で働き出したいと思ったが、憤怒の形相のレインハルトに止められた。
(そりゃあろくな最期じゃなかったかもしれねーが……俺は俺なりに前世を生き抜いたつもりだ。おいおい、転生の神様ってやつがいるなら、俺にこれ以上何をさせてぇんだ?)
ボアの串の旨味。
ラソの塩、タルザールの秘伝のタレ。そして、泡立つセルガム。
(うめぇんだよなあ)
料理は人類の叡智である。
美味なるものを食べているときこそ、平和そのものだ。
ノエルはこの時だけは、もはや大国となったレヴィアスで、聖女として今誰よりも注目されているという現実を忘れることができる。
(はぁ〜。どうすっかなあ。ゼガルドはともかく、オリテはどう出てくるか分かんねえしなぁ)
とにかく平和に串と酒を食むことを第一と考えるノエルだった。
その時、突然、何かふわふわしたものが、ノエルの肩をポンッと叩いた。
(レイン……じゃない!?)
レインハルトにしては、手が軽い。子供や少女の手のようだ。
(気配が全く感じられなかった)
明らかに素人ではない。
ほわん、とノエルの首に柔らかいものが当たる。
日なたでいっぱいにあたたかい光を浴びたような、柔らかい声がした。
「ノエルさん。ご無沙汰しています」
「あっ! お、おまえは」
振り向いたノエルの目に、ふわふわした獣の耳がうつる。
衣装こそ、旅慣れた旅行者のような軽装だが、明るくいたずらっぽい顔立ちには見覚えがあった。
「ニコラ!」
「わあ、光栄です。名前を覚えていてくれたんですね」
「そりゃそうだよ。当たり前じゃないか。どうしたんだよ」
聖ルキナス修道院で過ごした期間は短かったが、印象深い日々だった。
ピコピコ動く獣耳は愛らしい。
線の細そうな美少年と思いきや、この顔で怪力隠れマッチョなのだ。忘れようにも忘れられない。
「で、隣のお嬢さんは……?」
ニコラの隣に、すらりとした女性が佇んでいる。獣耳はなく、人間のようだ。色白で、怜悧そうな顔立ちだが、美人ではある。
ニコラがニヤリと笑んだ。
「あー。このお姉様ですか?」
女性はノエルにちらりと目をやり、慇懃に礼をした。
ストイックな中にもほのかな色香がある。
「この人は『イル』です。ゼガルドの城でメイドをしていました」
「へぇ? なんで、また、ここに」
「僕らはお願いに来たんです」
「何の……」
ザッと土に靴を滑らせて、ニコラとイルは膝をたててしゃがみ込んだ。
「えっ!? えええっ」
ニコラが凜とした声を出す。
「聖ルキナス修道院よりお願いにあがりました。ノエル・ブリザーグ様。どうかレナード王子をお守りください!」
イルと呼ばれた女性が、スリットから太ももが見えるのにもかまわず、冷静沈着に言った。
「我々はプルミエ様の使いでやって参りました。レナード王子の身に危険が迫っています」
ノエルはこんな時だが何となく気になって、
「あの、ふとももが……」
と小声で言い出したが、聞こえないふりをされた。
「え? 王子、ってレインのことだよな? どういうことだ?」
いぶかしげなノエルに、ニコラは言った。
「オリテの国王はご存知ですか? ええ、レナード王子の叔父に当たるバルナバスという男です。前国王の弟です。そのバルナバスが、レナード王子を狙っています」
「今に始まった話じゃないだろう?」
「ええ。これまでも指名手配をしておりました。ただし、国外逃亡した後のブリザーグ伯爵家の配慮や、変化薬の効果もあって、王子は難を逃れてきたのです。でも今回は……」
ニコラの表情が陰った。
「レヴィアスの聖女、女王、剣士、魔道士として名が知られてしまっている今、レナード王子は」
「あー、ちょっと待て。ごめん。話の途中なんだけども」
「はい?」
「いや、最初の二つは分かった。ルーナと俺だろ。だけど、後の二つは……」
「聖剣士レインハルト。そして漆黒の魔道士モルフェ、と噂になっています」
「せっ……しっ……」
本来ノエルは、聖剣士!? 漆黒!? と言いたかったのだが、腹筋の痙攣に負けて最後まで言えなかった。聖剣士はともかく、漆黒の魔道士はものすごく中二感がある。
「えっとさ、あの……誰が言ってんだ?」
「我々は聖ルキナス修道院からここまで旅をして参りましたが、道中で良く耳にいたしました」
「ええー……」
ノエルは天を仰いだ。自分たちの知らないところで、幻想が一人歩きをしている気がする。
「というか、ノエル様、かなり雰囲気が変わられたのですね? なんというか、所作や振る舞いも男勝りになられて」
「いや、あ、うん、実はそうなんだ。ここまで色々あってだな」
「そうでしたか。大変だったのですね」
ニコラはしみじみしているが、誕生の瞬間が一番大変だったと思っているノエルは見当違いの心配だと思った。だが、何か都合良く脳内で補完されているであろうニコラは、そっとしておいたほうがいいだろう。
それにしてもイルという女性のむっちりした太ももがすごく気になる。
今は少女の身なので直視しても何ということはないはずなのだが、その露出過多な旅の衣装は聖職者なら一発免停モノである。
「あ、あのう……イルさんも、聖ルキナスの方なんでしょうか?」
おそるおそる尋ねたノエルに、イルは面食らったような顔をして黙り込んだ。
ニコラが弾けたように笑い出す。
「あっはっは! すごい、さすがはプルミエ様の渾身の作だ」
「笑いすぎだ、ニコラ」




