カボチャか人間か
「アラン様! 伝令です」
帰還した伝令を迎えるアランは、無表情に極めて近い微笑を浮かべていた。口端は笑んでいるのに、目は笑っていない。持ち上げたモラビア硝子のカップを傍の小さな丸テーブルに置く。
どうせまたいつもの報告だ……飽き飽きする……。
「どうぞ。話して」
アランは形良く磨いた人差し指の爪を伝令の兵士にすいと向けた。
実直そうな伝令の兵士は、筋肉の盛り上がった腕と精悍な顔つきで頼もしそうな男だ。
「ハッ! ……アラン様、やられました」
「ふうん。何が?」
「我々は……壊滅です」
「何ですって?」
アランは目を見開いた。感情の無かった表情に初めて動揺の色が浮かんだ。
「壊滅?」
「はい。奇襲するため、我々はタルザールの北側の関所から侵攻を開始していました。しかし……敵は我々が想定していたよりも遥かに強く……」
報告しようとした兵士の言葉を断ち切るように、アランは尋ねた。
「イライザが一緒だったでしょう」
「……っ」
ねっとりとまとわりつくような台詞に、兵士は苦しげに瞬時、息をのみ、咳をするかのように吐き出した。
「やられました」
「何ですって?」
アランはパチパチと瞬きをした。誰がやられたって?
兵士は苦々しげだった。アランの反応を怖れている。兵士はこわごわと口を開き、唇を震わせながら報告した。
「イライザ様は……破壊されました。交戦し始めてすぐ、我々は熱波に当たらないよう、建物の外で控えていたのですが……激しい爆発音がして、突撃しようとしたら扉が吹き飛んで、中にはもう……」
「嘘よ」
アランはきっぱりと言った。にわかには信じられなかった。
あのイライザがやられるわけがない。
ただの人間相手に――。
「いいえ。本当です」
兵士はもう泣きそうだった。
「イライザ様は跡形も無く、敵によって破壊され、破片となって朽ちたと報告を受けております。こ、これが……イライザ様です」
兵士は懐から土で汚れた布を出し、包んであったものを開いて見せた。
それは片手に乗るくらいの小さな金属の部品だった。魔石を包んでいた丸い金属片だ。しかし、アランに現状を理解させるのには十分だった。
「イライザ……」
それは、核と呼ばれるイライザの中心だった。
器のように丸くなめらかに造った金属はハルコンと言って、丈夫で伝導性に優れているけれども高価ではない。
最初は資金など無くて、近場にあるなるべく質の良い素材から始めたのだ。
ベラが亡くなってすぐ、悲しみにくれて、暇さえあれば感情をぶつけるように研究に没頭していたあの頃、アランが造ったものだ。
それはずっと深部、イライザの最奥にあった核を包んでいたものだった。内部にはザクロのように紅い魔石が入っていた。まるで血を煮詰めたように濃い色の紅い石が……。
しかし、丸いハルコンの中には何も無い。
アランは兵士の手から、布ごとハルコンを受け取った。
裏側には小さな字で、
【イライザ ベラに捧げる美しい供物】
と彫りつけてある。
確かにかつてアランがその手で彫ったものだ。間違いない。
ハルコンの、ぽっかりと空いた鈍い銀色の空洞を、アランは凝視した。
そして、次第に実感した。
流れ出した血のような核が、ベラに酷似した面影が、無機質な温もりが、この世界から完全に消え去ってしまったのを理解した。
「本当に……」
アランは呆然と呟いた。まさかイライザを破壊されるなんて思ってもみなかった。
「不可能だわ……」
それでも、信じ切れなかった。
オリテやゼガルドの軍の精鋭たちが束になってかかり、集中砲火を浴びせられたらさすがに分からない。
だが、イライザは最強だ。
作戦上、そんなことにはならないはずだった。
アランの頭脳とイライザの戦闘力をもってすれば、どれほどの魔力もたいした障壁にならないと計算が出ていた。
大陸で一番の魔力持ちと喧伝されていたラソのファロスリエンも、イライザの武力を振りかざせばすぐに地に墜ちた。
たいてい君主なんてものは領土を焼けば勝手に滅びてくれる。
イライザの力は十分だった。そのはずだった。
アランは熱に浮かされたようだった。目の前の兵士の顔さえまともに見えていないかもしれない。彼は、ハアッと荒く息を吐き出すと、ぎらついた瞳で呟いた。
「どうして? こんなところで、戦場でも何でもないところで、いったいどうして?」
兵士は気を付けをしたまま、報告した。
「敵は一人でした」
「一人? まさか?」
「いいえ、何人もの前線の兵士が証言しております。私もチラッと見えました。あの美しい赤毛……ゲフンゲフン、失礼いたしました、ええ、そうです、たった一人の少女でした」
「……っふふふ、あははははは! あなた、何を言っているの? 正気? 大丈夫? あのね、イライザがたった一人の女の子に負けたっていうの?」
「我々も信じられませんでした。崩れた扉から出てきたその少女は、イライザ様を倒した後、控えていたロタゾ軍の方へと突撃し、軍隊を戦闘不能にさせました。奇襲部隊は全員北部から動けておりません」
「だからね? 何を言っているの。本当に、あなた自分が何を言っているのか分かってる?」
アランはいらいらし始めた。目の前の実直そうな兵士は好青年だが、戦場のストレスでどうにかなってしまっているのかもしれない。アランは幼子に噛んで含めるように、兵士に言い聞かせた。
「いいかしら、イライザのことは分かったわ。あなたの言う通りだとしても、イライザと一緒に出撃した部隊は十人や二十人じゃないのよ。鬼ごっこしてるんじゃないの。たとえ、それが昔ウチに滅ぼされた国の者たちだったとしても、今はロタゾの兵よ。逆らったら暮らしていける場所なんて無くなるのを良く知ってる。戦闘意欲なんて無くたって、盾くらいにはなるわ。それを、何? お嬢ちゃんがどうしたっていうの。魔法でお花畑にでもしたって?」
兵士は頷いた。
「ええ。そうなんです」
「は?」
思わず、アランの口から男の声が出た。
殺気にヒイッとすくみ上がった兵士は、うわずった声で言った。
「その、赤毛の少女は、イライザ様がやられて混乱し、退却を始めた我々ロタゾ兵に魔法をかけて来たのです。そ、その……怒らないで聞いてください、アラン様。私も言いたくて言ってるわけではなく、これが事実で、それでこれが伝令の役割なんです……あのですね」
「もったいぶらなくていいから、早く話して頂戴」
「ハッ! えー……我々は、今現在、カボチャにされております」
「……ふざけているの?」
「アラン様! 怒らないでください! 申し訳ありません! しかしこれ以外に言いようがないのです! 我々は退却する者と、気付かず侵攻しようと前進するもので、混乱が生じました。何せ司令塔はイライザ様なのです。それが崩れたとあっては、隊は総崩れです。雪崩のように人の波にのまれそうになる者、ぶつかり合う者などが出る始末で……退却命令を出そうにも、イライザ様がこんなところでやられるなど、誰にも想像ができていなかったものですから……あわや人混みで圧死するものが出るのではと危惧し始めた矢先、赤毛の少女が言ったのです」
兵士は一貫して真面目だった。
「『フローラ・パンプキン』と!」
「……ふざけているわね」
「アラン様ッ! 怒らず最後まで! どうか最後まで報告させてください! 私は誓って嘘は申しておりません! これが伝令の役割なのです、ご理解ください」
「それで? パンプキンになったってわけ?」
「少女が魔法を唱えるやいなや、一帯に黄色っぽい雲がかかり、光が我々の体を包み込みました。そして気付けば我々は首の下からブーツの先まで全部、顔だけ残して綺麗にカボチャになっていたのです! ……痛い、痛いッ、おやめくださいアラン様!」
「……お前を斬り付けなかっただけいいと思えよ」
男言葉になったアランに縮み上がった兵士は涙目で付け加えた。
「しかし、そのおかげで我々は幸か不幸かぶつかりあわずに現状を認識することができました。そう、一瞬のうちに手足を封じられたので、目で周りを見るくらいしかやることがありませんでしたから……赤毛の少女は凜とした声で『カボチャ魔法』を詠唱し、北部一帯をカボチャの海にしました。降伏して捕虜になるならば危害は加えないと……なので、兵士たちの多くは、こ、降伏して投降しております……そんな中、戻ってきた私は褒められてもいいのではないかと思います」
「お前、わきまえずにわりと言いたいこと言うのね」
「ハッ! お褒めにあずかり光栄です!」
「褒めてはいないのよ」
「ちょうど私は偶然転がったところに大岩があり、体を強く打ち付けまして、カボチャが割れました。亀裂が入ったので、えいやと割ってここへ戻って参りました。中身が濃いオランジュ色をしておりまして、あれはおそらくかなり甘い品種なのではないかと」
「カボチャの報告は省略して」
「ハッ! 承知いたしました」
「で? その赤毛の少女っていうのは何者なの」
「いえ、それは存じないです」
「それを存じなくて良くノコノコ戻って来れたわねぇ……?」
「申し訳ありません! しかし、私も精一杯だったのです。何せ、後ろにも目がついているのではないかというくらい、鋭敏に気配を察知して、逃げようとする者には容赦なくカボチャ魔法を……実は私が逃げてくるときも、カボチャを割っていざ、と思ったらジイッと少女が私を見つめていたんです! 遠くからでしたが絶対あれは私を見ていました! 目が合いましたからね。いや、可愛かった」
「そろそろお前も真っ二つのカボチャみたいにスパッと割ってやりたいわねぇ」
「ヒッ!」
怖れるくらいならば余計なことを言わなければいいのだが、兵士には自覚が無いらしかった。
アランは手を軽く振って、兵士を下がらせる。
頭が痛い。
渓谷の幕の後ろに静かな時間が戻ってくる。
「もし、本当にそんな少女が実在するとしたら……」
まるで生きる兵器だ。
しかも、イライザ以上の――。
アランは知らないうちに呟いていた。
「人間、なのかしら?」
「人間だよ」
バッと身をひるがえして、アランは椅子から立ち上がった。背後を振り向いて、敗北を悟った。
赤毛の少女は、確かに美しい瞳をして、獣のように感情を映さずにじっと自分を見ていた。
なぜ、お前がここにいるのだ、というアランの率直な疑問はすぐに解消された。
「ごめんな、ちょっと話したかったからさ。お前の部下、尾けてきちゃった」
赤毛の少女はどこか申し訳なさそうに言った。




