セルガムバーの後味
「どういうことだ? 第2王子のエリックがゼガルドの後継者だと?」
「あー、まあ、そうなるかあ」
リーヴィンザールが不機嫌なモルフェの鼻先で首筋を伸ばす。
「おい。テメェちゃんと説明しろ」
地を這うような声でモルフェが言った。
「モルフェくん、ええ子なんやけどなあ。チンピラがからんどるようにしか見えへんねんなあ。惜しいなあ」
飄々としたリーヴィンザールに対して、モルフェは無詠唱でパラライズの麻痺魔法を放つ。
浅黒い青年の指先から、黄色みを帯びた閃光が放たれる。
(あっ……モルフェ、やりやがった)
ノエルは思わず目をつぶった。
しかし、足を組んだリーヴィンザールは笑顔のままだった。
パリンという音がして、攻撃が無効化された。
腕につけている紅い魔石の腕輪が、リーヴィンザールを守っていた。
「あははー、やめてや。こわぁ。嘘嘘、別に隠すことちゃうしな、ちゃんと説明するで。まあ、プチ軍事機密みたいなもんなんやけど。あのなあ、エリックは確かに第2王子や。せやけど、次の王はエリックやってみんな思うとる。理由は簡単や。第1王子のヴェテル――俺の親友な――は、『天子』なんや」
「『天子』?」
「『天子』いうんは、生まれつき色素が薄い人間のことや。金の髪と透けるように白い肌と、紅い瞳。日光に弱いし、視力も弱い。外に出れんのや」
ノエルはふんふんと頷きながら聞いていた。
酷く難儀な人間もいたものだ。
それが王族というのだから、ヴェテルとかいうやつも可哀相なものだ。
(人前に出てナンボの商売なのになあ)
人民のためにならない王族は、疎まれるだけだ。
リーヴィンザールは話す前に、上唇を軽く舐めた。
「あいつは、もともと『天子』ってだけで希少やのに、王族で、しかも綺麗な造りの顔しとる男でなあ。ほんまに、外側だけ見たら天使みたいな男やねん。シャンデリアキラキラの執務室もかんかん照りの馬上も、よう似合わんわ。実際、無理矢理に外に出て、酷い火傷みたいになったこともあってな。まあ、早い話、光を感じすぎるんや。やからあいつは――ヴェテルは産まれたときから地下に居る。王の血を引いた、実子やってのに……産まれてから一度も、ゼガルド王はあいつのところに来たことが無い。早い話、王族やと思われてないんやろなあ」
ポリポリポリポリ……。
サクサクサクサク……。
ノエルは真剣な眼差しのまま、セルガム・バーを食んでいた。
天子とかいうゼガルド王子の境遇に同情はする。
が、それはそれ、セルガムバーはセルガムバーである。
リーヴィンザールは憂いを帯びた瞳を揺らめかせた。
「俺もなんとかあいつの力になりたいが、一応は第一王子言う身分やからか国を離れるのは難しいらしくてなあ。手紙のやりとりをするくらいで。やけど、あいつ軍略の天才やねん。最近も『騎士道物語』とかいう本を書いて送ってきて……」
鳴り響いていたポリポリポリが、ぴたりと止んだ。
ノエルは驚愕してリーヴィンザールを見ていた。
聞いたことのある名称だ。
そうだ、確か、父親のコランドがはまっていた面白い小説の――。
「リーヴ、今なんて」
「え? いや、せやから、最近も『騎士道物語』とかいう本を送ってきて。ああ、あいつ、暇やから物語書いとんねん」
「んま、まさか、『騎士道物語』の!? 作者!?」
ノエルが食い気味に反応したことで、リーヴィンザールはいささか驚いたようだった。
体を動かした拍子に、群青色の髪がふわりと揺れる。
「ああ、せやけど、……なんで泣いてんねん」
「うっ……ぐす……先生……」
「先生!?」
実際のところ、ノエルにしてみても心の奥底では、それなりに新たな環境へのさみしさや心細さ、戸惑いを抱えていたのである。
表に出さなくても、心の奥の部分の柔らかい場所がじんと熱を持ったように痺れていた。
そんなときに出逢った、『騎士道物語』は多分にノエルの心を癒やしてくれたのである。
「おい! リーヴ! 知り合いなのか!?」
リーヴィンザールを見上げるノエルの目には、きらきらした希望が光っていた。
「知り合いっつーか……いや、ノエル、俺の話聞いとった? 親友やって」
「う、おおお……先生とリーヴが……そんな……」
目の前の人間が憧れの人間と繋がっているというのは、なんともいえず興奮するものがあった。
ノエルは目を輝かせて尋ねた。
「もしかして今回、『先生』が協力してくれるってこと?」
「せやからそういうとる」
「マジで!?」
ノエルはにわかに活気づいた。
『騎士道物語』の作者がついていてくれるのならば、百人力である。
ノエルはおもむろに立ち上がった。
その場の面々を見渡す。
レインハルトの美しい鳥のような金髪。
モルフェの荒々しい癖のある黒髪。
彫刻のようなティリオンと為政者独特のオーラのあるリーヴィンザール。
ここに『先生』が増えるのだ。
そもそもノエルは楽観的な性格だった。
だからこそ、ノエルは何の損得も考えず、勝算も計算も無しに言い放った。
「勝てるな、これは」
ノエルの台詞にその場の空気が一瞬硬直する。
ティリオンが目を見開き、モルフェは鼻くそをほじる指をそのままに固まった。
レインハルトはポカンと口を開けて、言葉が紡げずに、はくはくと意味もなく唇を開ける。
リーヴィンザールが弾けたように笑い出した。
「あっはっはははは……! 敵、俺らの8倍やのに?」
「だって『先生』が俺たちについてるんだろ。だったら勝てるよ。俺、あの人の本読んだけど、すげー面白かったもん」
レインハルトがぐっと息をのんだ。
モルフェがだしぬけに言った。
「おいノエルおまえ、小説が面白かったから勝てるって戦争ナメてんのか!?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
「いーやナメてる。お前、一人が八人に寄ってたかって殴られに行くようなもんなんだぞ!?」
「でも『騎士道物語』は10倍の戦力相手に勝ってたぞ」
「本の中の話だろうが!? いいか、お前、本は本なの! ゲンジツはゲンジツ」
といっても異世界なのである。
(ゲンジツったって、そりゃあ分かってるけどさ)
東洋の島国の成人男性から、西洋風の世界の貴族令嬢に生まれ変わった時点で、ゲンジツの定義など一度粉々になっている。
「モルフェに同意するのはしゃくですが」
とレインハルトが横から口を挟んだ。
「軍を実際に率いるとなると話は別ですよ。相手は百戦錬磨のロタゾですからね」
ノエルはのど元にせり上がってきた言葉にならない言葉を、セルガムバーと一緒に飲み込んだ。
(それでもやっぱり、……あの作者だったら……勝てると思うんだけどな)
素直な思いだった。
レインハルトもモルフェも、あの小説を読んでいないから、そんなことが言えるのだ。
絶体絶命の絶望的な状況から、鮮やかに逆転する『騎士道物語』の軍の動き方、騎士たちの戦いぶりはいっそ芸術的でさえあった。
ただ、ノエルの発言によって、その場の空気はふわりと緩み始めた。
負け戦への重苦しい沈痛な雰囲気が、やるだけやってみるかという前向きなものに変わっていった。
そして、遂にロタゾとの決戦のときを迎えた。




